弥月
「……ふっ。あは……あはははは!」
突然腹を抱えて笑い出す男。
殺気が消えて、ウィルは男から距離を取った。
腕を落とされたのに、まるで痛みなどない様子の男にぞっとする。
「あはは……! 信じられない! 何の躊躇もせず、人の手を切り落とすなんて! あははは!」
男は涙を流して笑い転げ、それからラリィの顔を見た。
「あー……君たち、本当に面白いね。いいよ、殺すのやめた。君の名前は?」
「……お前から名乗れよ」
「それもそうだね。僕は弥月」
「ラリィだ」
「ラリィ。ーーそこで様子を窺っている彼は?」
二階のテラスには、セイルの姿もあった。
「セイル=ランクだ」
火のついた煙草を靴の裏で押し潰す。
弥月はニッコリと邪気のない笑顔を浮かべた。
「それじゃあーーまずは君から」
そう言って残っている方の手で指をさしたのは、リズ。
反射的に刀を構えるが、その僅かな一瞬で弥月はリズの背後に移動した。
(っ!? 動きが全く見えない……!)
「リズ先輩!」
吠えるウィルに、弥月は人差し指を口元に寄せる。それからその手をリズの頭にそっと置いた。
「何……? 何をしてるの!?」
「動いちゃダメだよ。失敗すると死んじゃうからね」
リズのうなじの辺りから、細く光る糸のようなものが出て来た。弥月はそれを毛糸玉のように、くるくると手繰り寄せる。
やがて一つの光る玉が出来上がると、弥月は満足そうに頷いた。
「これで良し、と。じゃ、次はもっとすごいの作って来るから、楽しみにしててね」
まるで子供が友達に約束を取り付けるかのように明るい声で言ってから、弥月の姿は風に溶けるように消えた。
次いで屋敷を覆っていた防壁も消失する。
「くそっ! くそ! また逃げられた!」
「……手は切り落としたがな……」
弥月がいた場所に剣を振り回すウィルに、ゼンが呟く。
「あんた、槍なんか使えたの?」
「この間、旅芸人の演舞を見たからな!」
馬鹿と天才は紙一重である、と胸中で呆れるリズ。
「お前たち、ご苦労だったな」
屋敷の中から剣を携えた元帥が出て来た。
「一瞬であったが、私も男の姿を確認した。あの男で間違いないな?」
頷くウィルとゼン。
「弥月と名乗っていました」
「弥月……」
聞き覚えはない。しかしこの屋敷を丸ごと包む防壁の力や、合成獣を作り出すという能力は異質である。
「今夜の後始末は私が引き受ける。公爵にも私から伝えておく故、お前たちはもう帰宅しなさい」
特にボロボロのドレス姿のリズを、これ以上外に晒してはおけない。
「あ、そうだ! チェリちゃん! チェリちゃん見なかったか!?」
「あー。あのメイドなら、屋敷の中に隠れてる。終わったら迎えに行くって言ってたんだった」
彼女がここのメイドとして働いていることは、ラリィも知っていた。だからこそ急いで来たのだ。
ウィルが部屋に案内する前に、防壁が消えたことに気付いたチェリが屋敷の中から出て来る姿が見えた。
「チェリちゃーん! 大丈夫だった? 怖かったよな? 怪我してない?」
大慌てで駆け寄るラリィ。しかしチェリはラリィをスルーし、ウィルの方へと駆け寄って来た。
「ウィル君! 大丈夫だった? 肩、まだ血が止まってないよね?」
「へ? あ……えと……?」
固まるラリィと、自分を心配するチェリと、じっと事の成り行きを眺める先輩、元帥たちを順番に見るウィル。
「俺は……えーと? 大……丈夫。こんなもん、すぐ治るし」
「チェリを守る為に……ウィル君、すごくカッコ良かった!」
(あれ? なんかこれ、マズイことになってる……?)
ラリィの顔を直視出来ない。
「あ! あー、痛ぇ! 痛いわコレ! だからもう、俺、帰るから! じゃあ!」
急いでその場から逃げ出すウィル。
チェリはその後ろ姿を、熱のこもった視線で見送った。
「修羅場だな……」
「面倒臭いことにならなきゃいいけど」
続いて帰路に着くゼンとリズ。
ラリィはその場に固まったままである。
そしてセイルは、二階のテラスで新たな煙草に火をつけた。
「……弥月……」
口の中で名前を呟く。
ズキンと小さな痛みが、頭に響いた。その痛みがとても不快で、セイルは大きく煙草の煙を吸い込んだ。




