ラリィ=バイオレット
少ない荷物をまとめ終えたウィルは、半年以上寝起きしていたベッドに腰を下ろした。
硬くて少し湿っぽい布団。歩くと軋む床。過去の練習生たちが残した落書きが刻まれたデスク━━
それらを漫然と眺めながら、次にやることは何だったかと、ぼんやりと考えていた。
(剣士の訓練場に行って、入隊の説明会だっけ……? 配属の話とか、書類の話とか……その後も何か話があるって言ってたような……話ばっかで面倒臭ぇな)
そろそろ宿舎を出ようと思うのに、なんだか立ち上がる気になれない。
手足に錘がついているようで、ひどく体が重たいのである。
カストが使っていたベッド。
掃除されているものの、薄らと残っている床や壁に飛び散った血液の染み━━
あの事件以降、ウィルは寝起きする為に別の部屋を用意されていた。だからこの部屋へ入るのは、荷物を取りに来た今日が初めてだった。
(早く部屋を出ねぇと……)
余計なことを考えて、立ち上がれなくなってしまう。
インクを一滴こぼしたように、じわじわと澱んだ思考が広がっていく。
もっと早く異変に気付いていれば……
同じ部屋で過ごしていたのに。
体調が悪い事も知っていたのに。
カストは望まなかったけれど、誰かに不調を伝えておけば良かった。
あの朝、もっとしつこく声をかけていれば、アイザックまで死ぬことはなかったはず。
(なんでそんな簡単なことも出来なかったんだ……)
「ウィル!」
「っ!」
ゆっくりと深いところに落ちていっていた気持ちが、突然降ってきたイアンの声によって引き戻された。
「大丈夫か? やっぱり途中まで一緒に行ってやろうか?」
「いらねぇよ」
イアンの手にも、荷物を詰め込んだ鞄が握られている。しかし彼が向かう先は訓練場ではなく、実家。
「せっかく合格したのに、本当に辞めるのか?」
実技試験の時━━あの場から逃げ出した者たちは、全員不合格となった。ただその場に立ち尽くしていた者、腰を抜かしていた者でも、そこに残ってさえいれば合格。結局剣士隊に入隊するのは、練習生からはウィルを含めて五人。外部受験生から十三人と、歴代最小人数となった。
イアンは困ったように笑う。
「やっぱり俺には無理だよ。情けないけど、あれから夜眠れないんだ」
あの日から二日。イアンの顔は憔悴し、目の下のクマがはっきりと見てわかる。
「それは……」
ウィルも同じだったが、言うのはやめた。
「そう言えばまだ、お祝いを言ってなかったな。守護剣士、おめでとう。同期として鼻が高いよ」
「……やめろよ」
嬉しくなんかなかった。
守護剣士になってしまったせいで、剣士を辞められなくなってしまったのだから。
それにイアンはそう言ったが、心の奥ではウィルを軽蔑している━━と、ウィルは思っている。
模造刀とは言え、ウィルはカストに迷いなく剣を向けた。仲間であっても、いざとなればアッサリと斬り捨てる冷たい奴なのだと、実際にそう言った練習生の声を聞いた。イアンだってそう思っているに違いない。
「……今日の午後、アイザックの葬儀だって。カストさんは明日。お前も行くだろ?」
ウィルは無言で視線を床に落とした。
ややあってから、ポツリと言葉を漏らす。
「そんな辛気臭ぇもん、行かない」
「ウィル……」
「じゃあな」
イアンの隣を通り抜け、部屋を出る。
他の練習生や寮母、師範たちに挨拶もせずに、ウィルは宿舎を発った。
剣士寮に向かい、石畳をひたすら歩き続ける。
(葬儀なんて……)
ネックレスを握り締めた。
ウィルの脳裏に、十ヶ月前のことが蘇る。グリーンヒルに来てからは、思い出さないように固く蓋を閉じていた記憶。
(親の葬儀にも出なかったのに、行くわけねぇだろ)
周りの人間が何度も何度も説得したが、ウィルは逃げた。葬儀が終わるまで、村の外れの森の中に隠れていた。
(どいつもこいつも、勝手に死にやがって)
両親も。カストも。アイザックも。
これからもみんな、自分を置いて死んでいくのだ━━そう思うと、悲しさよりも、無性に腹が立って仕方がなかった。
「くそっ!」
「ひゃぃっ!?」
思わず悪態をついたウィルのすぐ横で、なんだかよくわからない悲鳴がした。
「あー、ビックリしたぁ。どした? なんかヤなことでもあったのか?」
ウィルは足を止めないまま、声の主を一瞥する。
金髪の若い男だ。雰囲気でわかる。きっとヤンキーだ。カツアゲに違いない。……と、ウィルは推測し、ひとまず男を無視した。
「ちょいちょい! 金髪で、前髪だけ赤色のちびっ子! ウィル=レイトだろ?」
「あ? だったら何? 文句でもあんの?」
男は大きな目をキラキラと輝かせ、ウィルの両手を掴んだ。
「やっぱりー! 待ちきれなくてさぁ、迎えに行こうと思ってたんだよ! あ、オレはラリィね。ラリィ=バイオレット! 噂通りちっせぇなぁ! 可愛いなぁ! あ、実技試験の話は聞いたぞ。第二部隊の剣士相手に圧倒的だったって? それになんかすげー大変だったって━━」
「うるさい、うるさい! なんだよ急に! あんた誰!?」
馴れ馴れしくウィルの頭を撫でたり、肩を組んだりしながら、止めどなく喋るラリィ。ウィルはその手を振り払い、一歩下がって距離を取った。
「だから、ラリィだってば」
「言葉が通じねぇ……」
げんなりとするウィル。
やはり無視して逃げてしまおうかと考えた時、ラリィは両手をぽんっと合わせた。
「あ。『ラリィ先輩』って呼んでいいぞ」
「先輩って……」
もしかして、そういうことか。
「剣士……?」
笑顔でうんうん、と頷くラリィ。
「後でちゃんと話があると思うんだけど、ウィルの配属はオレと同じ第三部隊一班な。オレの方が一年先輩だから、『ラリィ先輩♡』って呼んでいいぞ」
「呼ばねぇし、なんでハートマーク付いてるんだよ」
「呼ばない……の……?」
心底意外だったのか、本気でショックを受けている。
「……ま、いっか。それよりほら、入隊式の会場まで案内するぞ!」
「訓練場だろ? 試験の時も行ったし、案内なんか━━」
「まぁまぁまぁまぁ」
強引にウィルの背中を押して歩き出すラリィ。
「入隊式が終わったら、寮の中を案内してやるからな。他のメンバーの紹介もしたいし、他の班の連中にも会わせたいし、食堂のおばちゃんにも━━」
「あのさぁ! 一人で勝手に話を進めるなよ! いいから放っておいてくれ!」
ただでさえ虫の居所が悪いのに、付き合っていられない。
ウィルはラリィをその場に置いて、急ぎ足で訓練場へと向かった。
ポツンと残されたラリィは、遠ざかっていく小さな背中を見送る。
「反抗期か。可愛いなぁ」