グリーンヒル専属剣士達練習生
齢12歳。
そのあまりに若すぎる年齢は、瞬く間に、イシュタリア王国首都グリーンヒルを中心にして国中に広まっていった。
わずか12歳の少年の、守護剣士の誕生である。
━━話はひと月前に遡る。
「守護剣士?」
声変わりもまだ迎えていないその少年は、訝しげに眉を顰めた。
前髪だけを真っ赤に染めた金髪が、汗で額に張り付いている。
「ナニそれ? 偉いヤツ?」
「ウィル……お前、グリーンヒルの剣士を目指しているくせに、そんなことも知らんのか」
少年をウィルと呼んだのは、彼の父親ほどの年齢の男。
片手に木刀を握った男は、呆れた顔で息を吐いた。
場所はこぢんまりとした稽古場。
その男を中心にして、ウィルの他に木刀を手にした男たちたちが二十人ほど、それぞれが滝のような汗を拭いながら弾む呼吸を整えている。
打ち込み訓練後の休憩時間である。
「部隊長。外の国から来た、それも親に捨てられたガキの知識なんざ、たかが知れてますよ」
「アイザック」
静かに諌める男━━部隊長。
しかしアイザックは鼻で一蹴し、ウィルを見下ろす。
ただでさえ小柄なウィルは、自分より遥かに背丈の高い彼を、出来る限りの眼力で睨みつけた。
「誰が親に捨てられたんだよ! 稽古のし過ぎで頭沸いてんじゃねぇの?」
「クソガキが! それが年上に対する口のきき方か!?」
「はぁ? それが年下に対する年長者の態度か?」
アイザックはウィルよりも10歳は上であろう。ここにいる者たちもほとんどがそれ位で、ウィルだけが抜きん出て若い。いや、幼い。
ウィルとアイザック以外の男たちは、もはや見慣れたこの光景に苦笑し、成り行きを見守っている。
「お前が年下らしく、もう少しだけでも可愛げのあるガキだったら、こっちだって優しくしてやるよ!」
「きっしょ! 顔だけじゃなくて、発想まで気色悪ぃな! ……あー、そっかそっか! 俺がてめぇよりイケメンだから僻んでんのか! 顔の作りだけは、稽古じゃどうにもならねぇもんなぁ」
アイザックの顔色が、わかりやすく紅潮していく。
「その自慢の顔面、ボコボコにしてやろうか? あぁん?」
「出来るもんならやってみろよ、オッサン」
木刀を握るアイザックの右手に力が籠る。
それを振り上げるや否や、部隊長の右膝がアイザックの鳩尾にめり込んだ。
「私闘は厳禁だ、アイザック」
「ず……ずびば……ぜ……ん」
膝から地面に崩れ落ちるアイザックに、舌を出して中指を立てるウィル。そのウィルの横面を、部隊長の右脚が殴打する。
「煽るな、阿呆」
部隊長は仕切り直すように、咳払いを一つ。
「━━で、だ。話を元に戻すが、ひと月後に我がグリーンヒルの専属剣士隊の入隊試験がある。お前たち練習生には全員、この試験を受けてもらう。試験内容は基礎知識の筆記と、対人戦。勝敗は合否には関わらないので、持てる限りの力で挑んでもらいたい」
「その対戦相手が、先ほど部隊長殿が仰っていた守護剣士……ですか?」
地面をのたうち回っているウィルの代わりに、別の男が尋ねた。
「いや。……ウィルの為に説明するが、我がグリーンヒル専属剣士隊には、守護剣と呼ばれる特殊な剣が存在する」
守護剣は選ばれし者のみが所持することを許され、所持者の意のままに操ることができる。その刀身は羽のように軽く、決して刃こぼれせず、岩をも砕く。━━と、いわれている。
「チートじゃん。お伽話かよ」
「いや、マジらしいぜ? 既に三本あるうちの二本は、所持者が決まっているんだとよ」
ウィルの呟きに、近くにいた男が答えた。
「そうだ。あと一本、残っている。実技試験の際に、お前たちの中の誰かが選ばれるかもしれんな」
「選ばれる基準は?」
「知らん」
部隊長はキッパリと言い放つ。
「剣そのものが、所持者を選ぶ。他の二人の守護剣士たちも、それぞれの剣が所持者を選んだ。基準はその剣によって違う」
「なんかよくわかんねぇけど、そのチートソードを手に入れたらどうなんの?」
部隊長は口の端を少しだけ上げて笑う。
「給料がちょっとだけ上がる」
⭐︎
イシュタリア王国は、大陸の約半分を領土とする王政国家である。
王の鎮座する首都はグリーンヒル。
その名の通りなだらかな丘の上に白亜の城が聳え立ち、その背後にはエメラルドグリーンの大海原が広がっている。
城の足元から広がる家々の軒先は白と青で統一され、遠目に見ると一層、街の美しさが際立って見えた。
イシュタリアは隣国ティルア帝国との戦争終結以後百年、平和を保っている。
「小さな内乱はちょこちょこ起きているけれど、現状私たちが目指す専属剣士の仕事は対人ではなく、民間人を魔物から守ることだ。魔物に有効な攻撃手段は、鍛冶屋が打った鉄か魔法のみ。魔法使いの存在は希少だから、この国では剣士が重用されているんだよ」
━━夜。
ウィルは、彼ら剣士隊練習生に当てがわれた宿舎の部屋で、同室のカストに入隊試験対策を指南してもらっていた。否、ウィルは頼んでいないので、一方的に聞かされている。
「なぁ、おっちゃん。別に教えてくれなくていいってば」
簡素なベッドに横たわり、眠そうな表情のウィル。
「そう言われてもねぇ……部隊長に君を任せるって言われているから」
カストは人の良さそうな顔で苦笑した。
アイザックよりも更に十か二十は年上で、部隊長とほぼ同世代。ウィルとは逆に、他の練習生たちよりも飛び抜けて年上である。
「それに、君が寝るまで見張っていろってね。この間みたいに無断外泊をされたら、私も困るんだよ」
練習生の宿舎は、消灯以降の外出や無断外泊は禁止されている。見つかった場合は連帯責任で、ウィルの外泊がバレた時は全員シャトルラン五十本が課せられた。
「ちなみにあの時、どこへ行っていたんだい?」
「あー……」
問われてウィルは、あの日のことを思い出す。そして思わず目元と口元が緩んだ。
「女っていいよなぁ」
「……は?」
「ほら、たまに事務室で見かける女いるじゃん? 城の関係者だか事務員だか知らねぇけど。あの人に遊びに誘われて、そのまま━━」
「あー! あー! 聞かなかったことにする! 何を考えているんだ、君は! いや、あの娘もそうだけど、何歳だと思って……!」
「スケベな妄想するなよ、気持ち悪ぃな」
「……へ? あ、あぁ……悪い。そうだよな。別に何かがあったわけじゃないよな。あははは」
「ってことにしておいてやるよ」
カストは絶句する。
親子ほども歳の離れた子供に、完全に翻弄されている。
「頼むから、せめてあとひと月。入隊試験が終わるまでは大人しくしておいてくれよ。君が苦手な基礎知識の勉強くらいなら、私も手伝ってあげられるから」
「べつに俺、ここならタダで飯食えるからいるだけで、剣士になりたいわけじゃねーし。試験に落ちたらまた来年受ければいいと思ってるから」
「ウィル君。剣士になりたいのでないなら、もっとまともな仕事を探した方がいい。国を守る、人を守ると言ったって、所詮は無数に湧き出てくる魔物を討伐するための捨て駒なんだから」
「捨て駒だからこそ、俺みたいなガキでも就ける仕事なんだろ」
「ウィル君……」
カストは鎮痛な面持ちで、まだ幼い少年を見る。
半年前だったか━━部隊長がウィルをここへ連れて来たのは。
整った顔をした、しかし暗い目をした少年だというのが、カストの第一印象だった。
風の噂で、部隊長がティルア帝国へ出かけた際に拾ったのだと聞いた。アイザックは親に捨てられたと言っていたが、家出してきたのだとも、売られたところを部隊長が助けたのだとも聞く。
結局のところ、真相は本人が詳しく話さないのでわからないままだが、剣士を夢見てやってきたのではないことだけは、初対面の時の表情からみて確かだった。
「だけど、剣士になれたら給料も貰えるし、もう少しマシな寮にも移れるって部隊長が言うから、それも悪くねぇかなって。何より外泊禁止だの消灯時間だのって規則がうぜぇし」
「そうだね。少なくとも、人並みの生活はできるだろうな」
「守護剣士に選ばれたら、更に給料上乗せだろ? おいしいよなぁ」
「そんな簡単に選ばれるものではないよ。少なくとも今残っている守護剣の所持者は、二十年は現れていないらしいからね」
剣士の入隊試験は毎年行われている。ウィルたちのように練習生として集められ、剣士としての訓練を受けてから試験を受ける者もいれば、飛び込みで試験を受けに来る者もいる。毎年の受験者は五十人程で、受かるのは半数程度。
「千人受けても、守護剣には選ばれなかったのか」
ウィルの中で、少しだけ守護剣に対する興味が湧いた。
千人の中には剣の腕が確かな者たち、屈強な男たちがいたはず。あの部隊長だって試験を受け、選ばれなかったのかもしれない。
「なぁ。あとの二本の所持者って、どんなやつ?」
「一人は魔剣士。もう一人は女性だね」
「女ぁ!?」
思わずベッドから上半身を起こすウィル。
「確か二年前だったと思う。当時随分話題になったんだが……知らないか」
守護剣そのものを知らなかったのなら当然かと、カストは話を続ける。
「俺も直接見たわけじゃないが、剣士とは思えないほどの美人だそうだよ。当時十六歳だったから、今は十八歳かな」
ウィルの脳裏に、筋骨隆々な美女が思い浮かぶ。果たしてそれは美女と呼べるものだろうかと、軽く頭を振って想像を霧散させた。
「もう一人が魔剣士だっけ?」
「その人もまだ若いんじゃなかったかな。二十歳かそこら。魔剣士なんて出されたら、勝てる気はしないよなぁ」
魔剣士とは、攻撃魔法を使える剣士の呼び名である。
ただでさえ魔法使いの数は少ない上に、攻撃魔法は扱いがとても難しい。
生まれ持った魔力と、それを具現化させる素質、そして操る為の知識が必要だ。その上剣を振るう筋力、体力を兼ね備えなければならないのだから、並大抵のことではない。
「やっぱり、守護剣士ってすげぇのな」
お伽話みたいに、平凡な人間が選ばれるようなものではなさそうだ、とウィルは漠然と考えた。
「けど、守護剣士になったらモテそうだよなー」
「発想が子供らしいんだか、そうじゃないんだか……」
「おっちゃんは、モテたくねぇの? ジジィになると性欲ってなくなるもん?」
「だれがジジィだ━━」
「うるっせぇぞ、てめぇら! マジでぶっ殺すぞ!!」
カストが反論しようとした時、隣の部屋との仕切りの壁を思い切り殴る音と、アイザックの怒声が鳴り響いた。
宿舎は古く、狭く、壁が薄い。
「っんのクソ野郎……! 殺せるもんなら殺して━━」
「ウィル君! いいから! ほら、もう寝るよ! 明かり消すから、放っておきなさい!」
本気で殴り込みに行きそうなウィルをなんとか宥め、その夜は更けていった。