私が恨むべき日本はいったいどこに
ちょっと前にあった記事で
私が恨むべき日本はいったいどこに?
というのがあった
中国人が日本を訪れて“妄想”がなくなった
内容についての記事だ
この内容はこちらを参考にしてほしい
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=82474&type
概略をいうと
私は日本を訪れる前、日本には変態侵略者のキャンプが
いたる所にあると思っていた。しかし、実際は我々と同じように
静かに暮らす人々がいるだけだった。彼らも私たちと同じように、
両親がいるし、子どもがいる。
恋愛もするし、失恋もする。喜んだり悲しんだりもする。
これを読んで、日本のマスコミは中国人が悪意をもっている
低俗な民度しかない連中だという表現をするかもしれない
しかしそれは中国のマスコミがこの私に吹き込んだ内容と
同じことにならないか
そもそもがマスコミの解釈の方法論はきっと万国共通な
可能性もある
表面的な情報というより聞き伝えの話を根拠にしている
いわゆるマスコミは下手をすると噂話ばかりともいえなくはない
速さを考えるあまり熟慮されていないのだから
そこは解釈とか選別する部分で本当に慎重にならないと
いけないことなのだろう
民度が低い中国人という解釈をそのまま受け入れると
それは同じ誤解を生みだけ
もしかしたらお互いに表面的な解釈とそして憶測を
もとにして非難しあっている可能性もなくはない
客観性が重要ならば、きちんと日本の現実をみて、
また中国の現実をみて発言するべきだ。
結局はこうした伝え聞きのものをもってして
客観性だといっているだけのとても浅い内容なのが
マスコミなのではないだろうか
記事にもある我々と同じように静かに暮らす人々がいるだけ
人間であることには変わらない。
そしてその人間が持つべき心を
どこかに置き去りにしてしまっていやしないか
それとも日本人だけそうした正しい心を持っているという
おこがましい主張をするのだろうか
日本人にも殺人者や強盗や強姦魔はいるわけだし
それに空気読まないと圧殺するような文化もあるし
またブラック企業に代表するように人の人権を無視することもある
それは個人差や地域差も世代差もあるかもしれない
そこを分析することなしに、
その観点なしに語っている客観性というのも、
それは人間の心を無視した客観性、
思い込みたい前提をもとにした
理性の主観性でしかないのではないか。
そしてそれは恣意的なものや悪意に支配されやすい、
主観性となることがえてしてあるということを
忘れてはならない
すでに世界は狭くなった
もう私たちが考えるほど人ということへの
認識はかわっていやしない
それを忘れるなら日本人は昔と変わらない
民主主義という人権思想もわからない
間抜けではないかと個人的には感じる