空気より大事なものってありますよね
読まないといけない空気が問題なのではなく
読まなかったら私刑にするような雰囲気が問題
全体主義も同じようなものかな
問題なのは全体に従わないと制裁が加わる
共産主義もそうだな
共産主義的理想に従わないと
粛清されるわけだ
目には目をもって償わせるという考えに
空気よめの問題点がある
そもそもこの造語は21世紀になってからの
ものらしいもととしては以下の動画に詳しい
https://www.youtube.com/watch?v=IoTS4ov8yKw
問題は空気に圧されることにもしくは
従うことが当たり前という考えが
そもそも完全でない人間ばかりの集団なので
そこで生じる空気がいいものばかりでもない
それに屈するということは文明を退廃させるものだ
空気に押される個人ということの
リンチ的な要素ももちろん問題ではあるが
そこよりましてこういう文化が根付いているという
文化論的な問題の方がいけないことだろう
だから原因を探らないとならない
そこで問題視されているのが制裁的な圧力
それが何からきているのか
そもそも空気だから個人が作り上げて扇動している
というわけではないがその空気を利用するという個人が
いる場合はあるだろう
それらは独裁者とかあとは影の支配者とか
果ては人間ではない悪魔の軍団とか
言葉としてはいろいろあるが
問題はそういう存在がいるということも大事だが
まず空気という特徴が出てしまうのが集団だから
そこで空気を重んじすぎないこと
西洋では空気に圧されるということだけを
選択肢にはしないそうだからそれをまねるものいい
何が違うというとみていくと彼らはジャスティスとか
空気とか時代とかに縛られない何か普遍的なものを
大事にしていることがあげられる
空気より大事なものというものがあるという
考え方がもっと文化に取り込まれていくのが
必要だろう
空気読めによって精神的につらいという反動での
批判だけだとどこかの野党が文句いう国会と
変わらないことにもなりかねない
作用反作用では新しい展開はなく堂々巡り
根本的な解決としての新たな観点が必要というわけ
単純な答えは空気読めより大事なものが
あるならそれをメインに考える文化が必要
そういう観念が文化的に宿らないといけない
そんな感じ