ドジな亀も優秀な偶像崇拝者のウサギには勝てるって話
人が関心を持っているジャンルというのがある
それが真理とか正義とかとは関係がなく
時代の中で注目されているものである
そういうことでしかないのだが
しかしその普遍性がないものに
向き合っているのが人間というものでもある
ジャンルはある種の趣味みたいなもの
属性という言葉があると思うが
本性という中心的概念ではない
外枠のもの
バリエーションがいろいろあるわけで
その中には本質ももちろん含んでいる
ジャンルに囚われることはいけないことではないが
本質を見つけ出せないのがまあ偶像崇拝の
妄想への元になるのだ
本質がなんであるのかは考えれば別に
わかるもの
本質は本質だからどこでも共通して言えること
例えばアイドルとかはなぜ偶像崇拝になるかというと
音楽をそのアイドルがするとするなら
音楽である限り見かけというのは重要だろうが
本質は歌がうまいもしくは何かアートだという
独創さがあったりするものであって
それゆえに存在が輝くということの方が
本質にどうしてもなるだろう
歌も中途半端、人間としてのしゃべりといっても
それも実はみかけがあってのものということで
あるとするならわかりやすい銅像みたいなもので
だから偶像=アイドルといういうわけだが
まあそれはおいておくとしても
そもそも自分たちの関心はどこにあるのか
それを考えてみて偶像から抜け出して
本質への旅をすることは
出発することは別に難しいことではない
難しいのは何を本質としてきちんととらえていくのか
そちらの方
しかしそれも集中して継続してやっていけば
別に見えてくるもの
そもそも人は才能とかそういうのとは関係なく
本質に近づこうとする存在であるから
才能は速度を速めるだけでしかない
別に亀のように遅くとも近づいていけば
高い次元の偶像にはまっている
才能あるウサギを追い越すことも可能
もちろん追い越すのが目的ではないが