ツイッターという中の蛙になりさがる我々
ツイッターも実は井の中の蛙になりかねないね
そもそも他の国の様子はわからないしね
何せ言葉がわからないなら厳密には
向こうで何が話題になっているかも
わからない
もし言葉がわかってもたいていは
訳として日本の立場からの解釈でしか
捉えないから
結局向こうから入ってきた情報を
訳という形で自分の解釈に投影しているに
過ぎない
そもそも戦争で負けるまで民主主義の
一つの要素の人権について全くとは言わないが
人情としいう言葉でしかとらえていなかったのも
事実
それが人が平等ゆえにもっている権利だとは
思っていなかったというのからして
自分たちの投影で人権=人情という直感的な
ものでとらえていたのから脱却したのは
民主主義の国アメリカと付き合いを深くして
その文化に触れるようにしてきた
その蓄積からなのだと思う
しかし英語を単なる世界にでるための
技術的なツールとして考えていない人が多い
この国の中で
本当の意味での民主主義を理解するのは難しい
そもそもアメリカがキリスト教徒の国であるという
ことを知らない人も多いのかもしれない
まあそこはおいておいて
文化を理解するということは難しいという話
他国で行われていることが何であれば
それがその国の人の総意でもない可能性はある
国民的という言葉を使いたい国柄ならそうならないのだろうが
そんな国は意外に世界的には稀なので
いい意味でも悪い意味でも世界の国々は個人とか個性を
重要視するため国民的とかいう言葉を言われても
特に響かないし逆に興ざめになるかもしれない
自分たちの国のマスコミがどういう人間なのかを
考えれば他国のマスコミも同じかもしれないという
推測もなりたつだろう
結局情報にとらわれているだけだから
それがわからないのだと思う
どうして日本のマスコミだけが悪で他国のマスコミは
放置していいのか
どちらも無意識に情報操作、思想誘導、印象操作を
しているのである
いやどんな人であれすべての人が実はそうなのだ
だからその情報とか印象とかという表面的な
ことで右往左往しないことだ
それが結局井の中の蛙にならない秘訣
井の中にいるのは構わらない
ただそれで深い井戸を見つめないで
上に見えるちょっとした空だけみているから
問題なんだ