情報は操作実は意図的ではないっていったらどうします?
印象操作とかそういう言葉がはやっている
確かに操作されているが
実はあれは意図的ではないといったら
びっくりされるだろうか
まあ意図的といえばそうなんだが
無意識の意図的、特に情報を操作するという
そのところでは操作してはいないのだ
というのも何かというと
そもそもが情報ってどこから来るのかって
ことにつながる
確かに何か毎日毎日生み出されている現象は
あるのだが、それをいかに解釈して
文字か映像何かにするということで
情報が作り上げられるわけだ
だから情報はそのまとめ上げる解釈つまり
解釈の根拠となる知識とか価値観によって
拾われたり捨てられたりの選択がなされるという
仕組みとしての在り方がある
ただし意図的に操作するという場合も
もちろんある
だけどほとんどがこの価値観による無意識の
操作、もしくは造成が情報と知識となって
わかる形で表れてくるというわけだ
そしてよく考えてほしいのは
情報をみるということではなくて価値が
どのようなものが今流れており
そしてそれが正しいのか
またはどういうバリエーションがあり
自分は何を選択していくべきなのか
そういうのを詳細に考えないといけない
ただ本当は価値より上の部分を考えるなら
そこからの下の部分は放置してもいいんだが
まあそれは極端なやり方なのでおすすめしない
とにかく価値についてよくよくとらえていく
そういう作業を単に情報に翻弄されるのではなく
していかないと
いつまでも堂々巡りとなったり
単に生きるために活動しているということに
なりかねないのだ