心に響くまで
心に響くという瞬間があるんだろう
私は生まれながらに哲学的なことが
響いていたネイティブだけど
成長不足でベテランにはなれなかった
まあ人生そんなものだろうけど
それはおいておいて
何かしたいならその対象が心に
響くように工夫していかないと
その対象を深められない
それは真理だと思う
たとえば英語学習
単語をいくら覚えても文系をいくら覚えても
それでなちゅあらるなセンスはまるで養えない
幼稚園児みたいな会話しかできないが
実際ビジネスでは単語がある程度入っていれば
氷原形式はそれで構わないんだ
もちろんそれでOKならいいんだけど
もし本当に英語を知りたいアメリカ文化に
触れたいなら
そこでとどまっていてはいけない
もちろんそういう衝動が心に響くということに
なるのだろうから
まずそれを何かしたい対象でみつければいい
それが答えかもしれない
そうすれば自然にしたくなりどうにもとまらなくなる
はずだ
例えばゲーム、いつまでも人はやっているのだろう
オモシロいから心が求めていくから
それを英語でどうにかするためにまずすることは
勉強ではなくて
英語を話している人の文化というか人たちに
感心を持つことだ
民主主義をつくりだしたの彼ら
そして今世界がそれの恩恵を得ているからこそ
世界は英語を重宝視している
そういう事実はある
ならば彼らはなぜ民主主義を求めていったのか
それを知りたくならないかい
まあ別に観点はそれでなくてもいい
そしてできるなら日本人の解釈は聞かない方がいい
つまり英語ではそうだが他のことなら
これは既成概念となる
そこに真実がないのはもちろんだが人の意見が
すべて何の真実を含んでいないというわけではないんだ
これはちょっと難しい話になるけど
人が物事を考えるときに対象から受け取れるのは
自分自身の中にあるものの範疇をでることがなかなかない
となると他人の意見で受け入れてもそれは自分自身が
既に知っていたけど整理できていなかったというだけになる
もちろん少しプラスされる舵ぐらいは得るのだろうけど
それは非常に遅いから人の話既成概念を聞かないというのは
自分自身の今までをまず捨てるということになる
それをした方が早く新しい概念をキャッチできるわけ
それで対象を求めていくと違った刺激を得れる
それが新しい価値観構成の材料になる
それが認識に気が付くということ
実はすべての認識は世界の中にすでにあって
人がそれに気づいていないというだけ
プラトンもそんなこといっていたかな
そういう認識を得るために自分の価値観を
まず捨てないといけない。
もちろんそれだけでなく行ける道もあるけど
それは時間がかかるね
そしてその道はすでに君たちがやっているものであるから
それをいまさら意識してやる必要はないと思う