クリスマスって何?
よくクリスマスは恋人の祭りのように
されているけどその意味がわかっていっているのか
ほとほと疑問
それでその恋人がなくてボッチだから
クリスマスは家族で祝うものだというのも
実は同じこと
そもそもそれは恋人が祝うクリスマスという
ことの対立概念だから
確かに恋人はサンタクロースなんて歌は
論外だけどそれに対抗しているのと同じ
ある種負け犬の遠吠え的な段階でしかなく
単なる分派的な発想でしかない
簡単なことなんだよ
そもそもクリスマスが何なのかということを
考えれば答えはでてくる
クリスマスとはイエスキリストという
2000年ほど前にいた人物の生誕を
祝う祭り
もちろんそんなことは誰でも知っているが
ただ知っているのと
その価値がわかっているのとは話は別
知っているというのは情報レベルでしかなく
イエスがどういう人でどういうことのために
祝っているのかということを知ることは
知識レベル
つまりこのイエスなる人物がどうして2000年
たっても生まれたことを祝われているのか
というの意味を知識として考えるべき
それをした後実はそれをどうして価値づけしないと
いけないのか
その根拠を求めていかないとならない
それが価値をもつ価値論の話
ここぐらいまでは考えたうえでクリスマスは
祝うべきなのかどうか判断するとなると
祝うならもうクリスチャンになってしまうだろう
そしたら毎週ミサに通わないと道理が合わない
ことになる
まあそこまで極端でなくても
キリストがもたらした文明に対する影響などには
興味は持つ必要はあることだろう
聖書は読まないにしても有名な聖句ぐらいは
偉人の言葉として考えて生活するぐらいは
してもいいんじゃないか
クリスマスを祝うというのはそれぐらいの
覚悟が実は必要なものだということになるのだが
それがまるでない軽薄なクリスマスは
魂の抜けたたんなるきらびやか儀式でしかない
完全歌もうまくないアイドル歌手みたいなもの
そんな状態のものだったら本当に必要なのか
感動的にアメージンググレースを
歌ったからといって
神からのグレースの意味がわかるわけでもない
そもそもグレースって何ってことなんだろうしね
まあそういう幻想を否定することは本当は
いけない
それするのはさらに否定されるべき幻想を
高めるためにするためにやるのであって
もしただそれをするとしょうもない国会反対で
時間を奪っている左翼と同じ
幻想を否定して妄想に取りつかれてしまう
原因になるやもしれない
左翼も左翼で弁証法という妄想から
解放されれば別にいいんだが
まあこれは余分な話