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妄想から解き放たれる詩 イン  作者: きるけ
未来
121/187

うほうほ原始人も進化論の産物?

よくあるうほうほの原始人的イメージ


これは妄想ではないか


よく考えるとおかしい部分がある


聖書を例にとると

最初の人類のアダムとエバは別に

現代人と文明ことなかったが

うほうほしてはいない


古事記とかにしても

ああいう原始的なイメージはない


都市があってつつましいながらも

集合生活をしていたわけだと思う


あのイメージはたぶん

2001年宇宙の旅からきているのだろうが

それはある学説を基にした

ちょっとしたイメージなだけであって


真実でもなんでもない


今となってはちょっと時代遅れかも


結構人はテレビなどの映像からの

雑で正確でもないイメージに囚われていることが多い


編集の作業などをしている人からすれば

わかることなのかもしれないが


そもそも映像が真実を伝えるかといったら

それは作為的でないにしても改変されている

部分は多いのは編集という作業があるから


そこにおいての作業というのは何を

目的としているかというとそれは表現だ


だからマスコミは表現者になってはいけなく

単に伝えるだけという役割を求めないといけない


今のマスコミは余分なことまで

ことを突っ込みすぎて本来の役割を

はたしていない


話が横にそれたけど戻すと


まあ猿から進化したという

進化論という仮説からしたら

そういうイメージでないといけないんだろう


アダムとエバの話は今更言うまでもないが

ある時代からあれは神話だとあとから作ったものだとか

いろいろあるんだが


そもそもそれも人の判断、仮説でしかなく

それをそのまま信じるのはうのみとなる


左翼にしても右翼にしても極端なうのみが

誤解と曲解というねじまげを生んで

争いのもとになる


価値観が違うものは衝突するしかないからだ


そもそも進化論は仮説だから

アメリカで信じられている神が創造したという

その側面も両方考えないと一方的

うのみとなるわけだ


確かにうほうほ原人はしたかもしれないが

それは言葉もしゃべれない猿人みたいなものではなくて

野蛮な性格で争いとか殺人とかが絶えなかった

そういう時代の人類の姿なのだろう


ひょっとしたら

人は自分たちの過去がそういうものであることを

認めたくないだけなのかもしれない


自分たちがどれだけ業が深くそして

どうしようもない存在だと思いたくないから

原始人は野蛮だったというカテゴリーで

批判しているのかも


そういう妄想の中にあるわけだ


本来の姿は簡単なものだ

1 進化は神の試行錯誤の後

2 自然淘汰はないあれは神の作為

3 だからうほうほは神の途中過程を表現したもの

4 進化論はその神の作業部分を無視して過程を抽出したもの


たぶん神の全知全能部分を強く昔の人は言い過ぎたから

進化論みたいなもので解釈するしかなくなった


ある意味進化論は神の全知全能説を補佐するためのものである


神が試行錯誤して失敗のようなものをしないように

自然淘汰という考えを導きだしたのかもしれない


まあ個人的な感想からしたらそもそも神は全知全能ではない

ただ完全に最後までやり遂げるスタイルをもった存在だと

そういう認識かな




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