知識は道具でしかない?
情報とか知識がないと
人がひどい価値判断をするという意味で
確かにそれらは必要かもしれない
ビジョンとか夢とか
人の将来性においては
必要なものかもしれない
しかし私は思うのだ
それらは結果的に生じた
いわゆる一つの指針でしかない
特に情報は知識よりも
状況によってかわるもので
知識の方が必要なものと
言えるかもしれない
その反面知識は
価値観によっていろいろに
組み立てられるものであり
価値観がいかなるものかによって
変容してしまうもの
だからそれらは必ずしも普遍的なものでない
一時的なものであることが多い
そもそも情報や知識の目的が
価値を判断するということなら
一番大切なのは
善悪観念だということになる
そして忘れられていることは
悪は善の反対でしかないから
そもそもどちらでもいいのだが
善が何なのかという構造がわかれば
悪が何なのかもわかるのである
だから必要なのは知識ではなくて
善は何なのかということを模索する思索なのであって
結果として得られた知識ではない
知識を目的とするから
それを固定化してしまい
偶像崇拝などに陥ったり
固定観念もしくは
近視的観点になるわけである
知識は道具であると
それは非常に大切な出発点としての
認識だと思う
付け加えていうならここで
重要なのは普遍性といったが
普遍性という意味が何なのかってことを
考えることだろうということ
繰り返しになるが