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妄想から解き放たれる詩 イン  作者: きるけ
未来
111/187

今のままの教育でいいのか?

最近読んだカントの次の

学者としてヘーゲルの本を買った


まだ読んでいないがまた何か発見があるかと

期待をしているのだそれはそれでいい


ワイは大学で哲学も少し学んだが

実は専門が哲学自体でなかったので

詳しくは学ぶ機会はなかった概略だけだったし


哲学といってもプラトンから始まって

種類が膨大にある


共通して言えるのは思索をすることを好むということと

真理とは何かというのを模索することだ


けれど哲学は神という概念を使うことが

許されないという不思議なところがある


それは置いておくとして


実は科学は哲学から派生して部分的に

現実に応用できる部分について適用されたもの


理論的なところは思索がメインの哲学の

一種かりものとなっているところもある


数学から借りているところもあるかもしれないが

数学も一種の哲学ともいえる


しかし科学は哲学とはならないのは

科学の対象が自然についてとか限定されるからだ


だから基礎的なことを学ぼうとしたら

哲学を学ばないといけないと思っている


ワイももっと哲学を中心的に学ぶことができたら

カントをきちんと読んで理解できたことを

学生時代に理解できていたら

違った生き方とそして実績もだせたと思う


単なるおっさん思索家でなくてね


まあワイの人生なんかどうでもいいから


今から学ぶ過程にいる人には根本的な

考えの部分をもっと深く追求することを

おすすめしたいし

教育はそういうのを助長するように

なっていないといけない


受験や偏差値がわるいわけではなくて

それは本来学びたいものを学べる環境に

いくための手段であるのだから


本来学ぶたいもの学ぶべきものが何なのかを

考えさせるという教育にならないといけないと感じる


今の教育はそこの段階にいったときに

進路変更ができない気つくるしさがあると思うね


自分が思うに基礎的な学問を

みなするべきだと


学士のうちはそれをしたらいいと


それから専門的なものに進んだ方が

考え方の基礎を深められると思うだ



受験などというものはなくして

試験などなしに進学できるシステムなど

いくらでも自由にできると思う


枠組みに囚われているから

そういう本質的なところに

基づいて何かを組み立てられないのだろうか




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