ノーベル賞にしたってスポーツにしたってお国自慢の道具か?
JBD @nanndarou
ノーベル賞報道
科学は普遍的なものだから
どの国がというのは関係がない。
なのに記事では国が争っているようにしたいという雰囲気もある。
そして国同士の威信、
メンツとかも見え隠れ どうしてそんあ記事を書くのか
―――――
よく今年は日本人の誰かが受賞したとか
スポーツでも海外で日本人の誰彼が活躍しているかとか
イチローのときはすごかったな
毎日彼のどうでもいいコメントとかが報道される
どうでもいいといったら怒られるかもしれないけど
ツイッターじゃないんだからつぶやきみたいなものを
毎日載せるのはどうなのかってね
ある程度まとめてエピソード的に読み物としてならわかるんだが
中身の薄いものをのせるのはどうなのかって
そもそも大リーグなら彼の周りにもいろんな選手がいる
彼を中心にしたとしても面白いつぶやきは彼以外にも
あるわけでせっかつ張り付いて取材しているのだから
彼をほめたたえる内容だけでなくて
大リーガーとはどういうものなのかってことを
取材するなり何かあるんじゃないかって思うんだ
ワイはスポーツという趣味は今はあまり関心ないんだが
ただすごい数字をだして画期的なことをする人がでてきたら
応援したくはなるが
イチローのときも安打数のときは応援したがそれだけ
そもそもスポーツは楽しみを与えるもの
選手もそれは理解している
だから本当の意味での一流選手はそこを理解している人だと
言えるのだけど
確実にイチローはそれを理解してはいたからつぶやきが
オモシロいのかもしれない
しかし毎日つぶやけるほどに彼は思索を究める生活ができる
わけではもちろんない
彼の本分は試合でいい結果をだしてファンを喜ばすことでしかない
だからある意味つぶやきを取材されるのは
本位でないように思っていた節を感じる
そういう意味で選手として一流だなとは思うが
ワイが彼のつぶやきをききたいとは別に思わない
スポーツでそういう哲学めいたことを言われても限界が
あるのは明らかだからだ
同じくノーベル賞にしてもそもそも上に書いたように
科学が人間文明に貢献したことを祝っているだけで
平和賞と文学賞以外は単なるテクノロジーでしかないという
観点を忘れて報道している節がある
そもそもその認識がおかしいのかってことに気づいてもマスコミは
いないようだ
そしてある種の記事の場合、日本のお国自慢になったりする
視聴者が求めるから書くというのはいいわけで
本来のジャーナルとしての役割を忘れてそれだと迎合主義に
なってしまっているし、広告主のいうなりに記事をかいているのと
なんらかわりないものになる
広告記事ほど面白くないものはない
確かに自分が所属している国が褒められるのは別に
悪い気がすることではないだろう
けれど褒められているのはその個人であって
ワイたちが所属している国が褒められたところで
ワイの価値があがるわけでもない
そもそも毎年何人ものノーベル賞を受賞している欧米の国々なら
そんなことをお国自慢にしたりしない
科学が人類に貢献できていることを主張するだろうし
そのために何の研究でそれが何に貢献し今後何の可能性があるのか
そういうところに注目するはず
なのに将棋にしてもそうだけどアイドルと同じ扱いになったりするのは
もう変を通りこして気持ち悪いとすらいえる
そもそも貴重な経験や研究をしている人の邪魔にすらなるだろう
テニスの選手の話もあったけ
「それテニスと何の関係がありますか?」
って記者にお国自慢を煽り立てるような質問に答えていたな
本質としてはノーベル賞なら平和賞が今年はどういうものなのか
それが本当に世界の究極的な平和に貢献できる方策なのか
それとも今年はそういう何かがなかったのか
そういうところで判断したいものだ
スポーツにいたっては論外
楽しめばそれでいいし、選手には気分よく自由に
試合ができる環境をつくるべきだ。