第五話 ハルと警備員
清条ヶ峰学園には七不思議がある。
中でもメジャーなのは、夜な夜な体育館に響く少女の泣き声、音声オンリーコック、そして『無意味の部屋』
清条ヶ峰学園の最上階の一室には、学園長室が存在する。
最上階には音楽室があるので、生徒も前を通ることもあるのだが、そこに学園長が入る姿を見た者は誰一人としておらず、ノックをしても声が返ってくることもない。
教師も生徒も使わず、物置でもなく、扉がいつも綺麗に掃除されているだけ。
用途不明の、あってもなくてもどうでもいい部屋。
故に無意味の部屋と呼ばれ、七不思議の一つとなっている。
そんな謎の部屋の前に、黒い影が立っていた。
黒いフルフェイスのヘルメットを被り、ライダースーツに西洋の騎士鎧を要所に取り付けた特異な出で立ちだ。
学園長が私的に雇った特別な警備員で、素性は不明、しかし実力は確かという不安が残る人物である。
今日はここで妖怪三大勢力の頭による会議が行われる。
影の騎士の役割は、もちろん会場の警備だ。
最上階は立ち入り禁止区域に設定され、一般生徒も教師も客も訪れないため、ぴくりとも動かず、銅像のように立っていた。
「ご苦労さん。相変わらずその恰好なのだな」
階段を上がってきた酒呑童子が、大股で近づいた。
警備員は会釈し、また直立不動の状態に戻る。
冷たい反応が返ってきたが、酒呑童子は気にせず明るく言った。
「警備なんて無駄なのだ、青春真っ盛りの少年少女に混ざってもいいのだぞ」
「職務放棄を勧めないでください」
脇にいた楠が、すかさず間に入った。
呆れて疲れ切っている楠は、普段よりも老けているようだった。
「分かっている。言ってみただけだ」
酒呑童子が悪戯っぽく笑うと、学園長室と隣接している待機室に向かう。
「九尾はまだこっちかな?」
「もう会議が始まるのですから、挨拶は程々にお願いします」
「心得ている。会議では出来ない個人的に話を、少しするだけだ」
酒呑童子は扉に手を掛けようとするが、ドアノブに触れる直前、彼に向かって叩き付けるかのように開かれた。
深緑の羽織を纏った厳つい老人が、酒呑童子の前に立っていた。
「鞍馬天狗」
「酒呑童子」
途端に酒呑童子は面倒くさそうな顔になり、鞍馬天狗は絶対零度の視線がさらに鋭くなった。
「退いてくれよ、私が通れないじゃないか」
「お前こそ退け。鬼風情が」
「天狗も鬼だろう。自虐か?」
「天狗は鬼の上位種だ。いい加減理解しろ」
「上も下もあるか」
「いいや、ある。天狗が上だ」
よりにもよって、厄介なところで鉢合わせしてしまった、と楠は後悔した。
酒呑童子と鞍馬天狗は仲が悪いのだが、原因は鬼と天狗の認識の違いだ。
天狗は神や妖怪の類とされる怪異だが、本によっては鬼にされていることもある。
凶悪な人殺しを殺人鬼と称したり、仏教における羅刹、民俗学的な鬼など、鬼の定義は曖昧で広い。
よって知名度で力が左右される法則に従い、鬼は国内最強の勢力を誇る。
一見、鬼も天狗も恩恵を受けられているようだが、この図式だと天狗は鬼にまとめられてしまっていた。
つまり、「天狗・鬼の一種」と本に記されてしまう場合があった。
それが天狗は面白くなく、純粋な鬼に反発しているのだ。
逆に鬼は天狗も仲間に引き入れ、天狗の知名度も共有したいと考えており、両者はいつまでも平行線のままだった。
同じ空間にいるだけなら穏便に済んだものを、こうやって理由を作られてしまっては、楠にはもはやどうしようもない。
険悪になる前に手を打たねば、と思案するなか、
「まあまあ。落ち着いてくださイ。話は中でしまショウ」
突然ハルが、酒呑童子と鞍馬天狗の間に出現する。
互いに大組織の頭だけあり動じてはいない。
前提として、清条ヶ峰学園の教師なら瞬間移動程度は普通だろうという認識はあるが、とにかく両者は平静を保っていた。
「君は処理班の異能者だったな。警備も担当することになったのか」
「学園長は、ブラックな方ですカラネ。楠さんほど酷使されてはいませんガ、ボクも今回から会場の警備を務めさせていただいてイマス」
ハルはにっこりと笑いながら、両者の気を引いた。
楠はよくやった、と内心賞賛する。
勝手に旅に出たりする癖は快く思っていないが、彼らの間に割って入れる度胸は素直に尊敬しているのだ。
「気味の悪い笑みは止めろ。その芝居じみた口調もな。反吐が出る」
鞍馬天狗は苛立ちを隠さずに吐き捨てると、雪乃を連れて学園長室に向かった。
雪乃は斜め横を歩いていたが、鞍馬天狗は不愉快そうに、
「許可なく近づくな」
「……はい」
雪乃は無表情を崩さず返事し、距離を空けた。
おっかない方ですネェ、とハルが肩をすくめている。
同意を求めて鬼の大将に流し目を送るが、酒呑童子の眼中にはなかった。
鞍馬天狗の背後を歩いている中学生の少女に釘付けだ。
少女も一瞬振り返ったが、すぐに前へ向き直した。
「おヤ、護衛の女の子に目を付けているのデスカ? さすがですネェ」
「……いや何でもない。私も行くとしよう」
酒呑童子は頭を掻き、二人に続いた。
最後に九尾が入室したのを確認し、ひとまず仕事は終わりだ。
「悪いね、ハル君。任せてしまって」
「いいデスヨ。楠サンもたまには休んでいてくださイ」
「ありがとう。では僕は消えるとするよ」
楠が手を振ると、分身体が霧のように霧散した。
人が次々といなくなって、廊下はしんと静まり返る。
二人は扉を間に挟む形で立つが、一分もしないうちにハルが視線をあちこちに動かし、警備員の脇腹を肘で突いた。
どこかドラゴンを彷彿とさせるが、これでも教師を名乗れるのである。
「暇じゃありませんカ? お話しましょうヨ」
警備員は無視するが、ハルがしつこく話しかけてくるので、怠そうに首を鳴らしつつ、適当な質問をした。
ハルは反応が返ってきて、嬉しそうに口を開いた。
「学園長は中にいるのかッテ? 一応いるみたいデスヨ。変身しているみたいデスケド」
ハルはいじけたように言った。
学園長の正体は、誰もが知りたい情報だ。
役に立つかは別として、気にならない人はいないだろう。
ハルも幾度と探ってはみたが、本人が本来の姿を見せたことは一度もない。
猫の姿を借りていたり、鳥になって飛んでいたり、電話越しだったり、実はシャイな性格をしているのかもしれない、と内心で勝手に思っていた。
「ボクの調べでは、かつてサンジェルマンと名乗っていたらしいデスガ、まァお遊びの一環で偽名なのでしょうネ。この際ボクらで呼び名を付けるのもいいかもしれマセン。性悪ニートとかどうデスカ?」
ハルは悪気を感じさせない、爽やかな口調で言い切った。
楠を酷使し自分では働かず、裏でこそこそ動いているイメージから、このようなあだ名になる。
裏側でいくら頑張ろうとも、表で結果を出さなければ働いていないと同義だ。
ハル以外でも、大体似たあだ名を名付けるだろう。
本人の情報や容赦のないニックネームを命名するハルに、警備員は尋ねた。
ならばどうしてそんな嫌いな人物の下についているのか、と。
「理由? 決まっているじゃないデスカ。楽だからデスヨ」
ハルは目を瞑り、鼻で笑った。
警備員を馬鹿にしているのではなく、自虐的な意味だ。
「学園長は世界で最も有名で万能な存在、正体不明であれド、指示に従っていれバ将来安泰デスカラ。ボクは旅行できて絵さえ描けれバ、それでいいデスシ」
ハル=サトウという男は、若者風の外見とは違い、現代の匂いがあまり好きではない。
大気は薄汚れ、無意味に人が溢れ、世界がどうしようもなく狭く感じる。
だがどんなに窮屈でも、砂漠のオアシスのような場所は存在する。
それは優れた人であったり、心を揺らす絶景であったり、身に染みわたる食べ物だったり、と様々な形でハルを癒してくれた。
世界中を旅し、豊かな人と触れ合い、特産品を物色し、風景をスケッチできれば、ハルは満足だ。
「国の管理下の能力者は海外渡航が厳しく規制されていますシ、面倒なんデス。色々な信念を掲げた組織もありますケド、ボクにはそんなのないですカラネ。上司が好きな人間だとしてモ、一緒には働けマセン」
彼は極力自分のやりたいことしかしたくない人間だ。
他の勢力や組織は条件が厳しく、ハルの性分には合わなかった。
「きっと働けば権力者になれるのデショウ、お金も稼げるデショウ、努力すればさらに評価されるデショウ。でもそんなのどうでもいいデス」
やりたくないことに時間を割きたくない。
地位も名誉も金も興味がない。
その点、学園での教師生活は良いものだ。
未来ある若者が学び、成長し、卒業していく姿を見ると胸が熱くなる。
生徒に教えると、案外自分の勉強にもなり、さらなる技術向上に繋がる。
自由行動も認められているし、そこそこ給料も良い。
「学園長ハ、ボクに無理強いをしまセン。強制が嫌いなんデスヨネ。……心の底から」
最後の部分だけ酷く冷えた言葉だった。
もしも教え子が聞いていたら、ハルそっくりの別人だと勘違いするほどに、普段の彼とはかけ離れていた。
それも一瞬のことで、ハルはいつものにっこりとした表情になる。
「あなたはこういう生き方は嫌いなのでしょうガ、わざわざ辛い環境で頑張る必要なんてないんデスヨ。楽して生きル。最高の生き方じゃないデスカ」
ハルは強く言いきる。
「………………」
警備員は両手の指を鳴らし、腰に引っ掛けていたトンファーを握る。
この学園長の私兵は、本心を隠す人間が嫌いだ。
状況把握や人間観察に優れている警備員に、生半可な芝居は通用しない。
しかしハルは慌てることなく、笑みを浮かべつつ弁明する。
「まァ、そんなに怒らないでくださいヨ。ボクが話したのは二番目の理由デス。一番目の理由は人に言うことではないのデス」
ハルはパーマのかかった毛先を、指で弄ぶ。
警備員は、そうか、と言ってトンファーを仕舞った。
ハルの腹立たしい態度よりも、本音を言わないことよりも、隠して押し通そうとする行為が嫌いなのだ。
「それはそうと実は学園長の顔には心当たりがあるんデス。聞きたいですか?」
ハルは警備員を覗き込むようにして言った。
一応だが、学園長の正体に関しては知っていることがあった。
知ったら驚くだろうか、と内心踊る人間失格教師だったが。
警備員は、顔なら知っている、と断言し、ハルの声が裏返った。
「え、知っているんデスカ? 教えてくださいヨッ。警備員サンだけ狡いじゃないデスカ!」
「煩いぞ! 黙っておれ!」
中から鞍馬天狗の怒号が飛んでくる。
ハルは肩を落とし、警備員を何度も見るが、完全に無視され希望は潰えている。
盛大に嘆息し、しぶしぶ警備に戻るのであった。
番外編はこれにて終了で、次回は六章になります
九章で一旦区切りをつける予定です




