第四話 楠俊雄と野槌
妖怪三大勢力の頭が会議を行うにあたり、楠は分身を駆使し、せわしなく働いていた。
酒呑童子、九尾、鞍馬天狗、妖怪の大物が勢ぞろいする中で、失礼は許されず、常に緊張感が走っている。
楠の役目は要人の案内のみだが、文化祭の業務もあるので、休む暇すらない。
そもそも文化祭と並行するな、と言いたいのだが、所詮は一教師にしか過ぎない楠には、拒否権も発言権もなかった。
学園長に無理難題を押し付けられても、仕事を放りだしたくない一心で、何とか問題を解決してきた。
故に今日も、手を抜かず、懸命に仕事をこなす。
せめて何事もなく、平穏に終わればと願いながら。
「はぁ……」
人目のない、学園の隅っこにあるゴミ捨て置場で、清掃員に変装した楠の分身体が嘆息した。
役目を終えた別の分身が消滅し、記憶がコマ送りのようにして、流れ込んできた。
分身時は意識が別々になっていて、能力が解除されると、オリジナルと分身中の別個体に統合される仕組みとなっている。
どうやらこの分身体は酒呑童子の案内をしていたらしく、相当の疲れを溜め込んでいた。
学園に訪れた酒呑童子に文化祭を案内しようとすると、いつの間にか姿形もなく、懸命に探して見つけると、女性を口説いていた。
楠の責任問題になるので、勘弁してもらいたいのが本音だ。
観光時間も過ぎ、学長室に連れていこうとしても聞く耳持たずで、寄り道ばかりだ。
僅かに残っていた黒髪が真っ白になりそうなストレスは、この分身体は感じていた。
それがどっと他の楠に入り込むのだから、嘆息の一つもしたくなる。
「楠、おつかれさまー」
フードを深く被った小柄な人物が、ゴミ捨て置場横の監視小屋から出てきた。
「お疲れ様です、野槌さん」
「いやぁ、良い鉄屑だった。ここはオイラの楽園だよ。まさに天職だね」
野槌は鉄屑を拾い、舐めまわすように手で弄んだ。
清条ヶ峰学園に拘束された後、E組生徒の住宅警護などの仕事をしていたが、最終的にはゴミ処理係として落ち着いた。
ゴミの分別から後処理までこなし、美味しそうな物があれば、口に放り込む。
学園では不気味な清掃員として知られ、彼のいるゴミ捨て場に近づく生徒は殆どいない。
普段は付近の山で過ごし、自由は制限されているが、気ままに暮らしている。
牛鬼の集団に属してはいたが、闘争よりも各地の美味しい物に興味があったので、これはこれでアリだと思い、今日も楽しく仕事に励んでいた。
「そっちの仕事はどう? その調子だと、クッソ忌まわしい学園長がまた余計なことでもしてた?」
「いえ、今回は別の方ですね。まあ、いつものことです」
「大変だねぇ」
楠は野槌と親しげに話す。
学園の生徒を襲ったという経歴のため、初めは敵意を抱いていたが、仕事を共にする中で、奇妙な情が湧いてきていた。
主に学園長の愚痴になることが多く、仕事終わりに時々不満を漏らすこともある。
「そもそも何でこの時期に会議をやるんだろね。オイラ、酒呑童子とか顔を合わせられないよ」
「学園の視察も兼ねているみたいですからね。こういうイベントの方が、色々と都合がいいんでしょう」
「そうなのかぁ。とりあえず酒呑童子には会わないようにしないとなぁ。牛鬼さんのことで怒られかねないし。鞍馬天狗もいるんなら気も立ってそうだし怖いよ」
牛鬼は強者を求めて、志を同じとする仲間と共に全国を流浪していたが、元々は酒呑童子の配下だ。
酒呑童子が牛鬼を御しきれなかった結果だとしても、仲間だった野槌に被害が及ぶかもしれない。
学園の庇護下にいる内は安全だが、必ず守られるとはかぎらないのだ。
「まず学園の生徒に害を加えようとしなければ、こんなことにはならなかったでしょうにね」
「……謝れば許してくれるかな」
「どうでしょうか。立花さんが決めることですから」
「もしも許されなかったらどうなると思う?」
あれから野槌は、楓との接触を避けていた。
二人に面識はなく、牛鬼の一味としか覚えられていないし、下手に姿を見せて刺激することもないだろうという判断だ。
だが野槌にも多少の罪悪感はあるので、今日までずるずると引きずっていた。
対して楠は、冷ややかに言い返した。
「その時は素直に諦めましょう。掃除はしておきますので」
「跡形も残らないだろうけど、お願いするよ」
楠は落ち葉を箒で掃きながら言った。
情が湧いたとはいえ、生徒を危険に晒した一味の一人だ。
あくまで彼らの関係はドライなものだった。
「それで思い出したけど、立花楓はまた襲われたりしてる?」
「いえ、学園長がようやく街の警備に力を入れ始めたので、立花さんを狙う輩も怪しい連中も締め出されていますよ」
「そっかぁ」
「襲われたところを守って、許してもらおうって魂胆が見え見えですよ」
吸血鬼の一件以来、街全体の警備が厳しくなった。
学園側は生徒のトラブルに干渉しないのがルールだったが、ここ半年は危険極まりない事件が立て続けに発生し、二年と三年のE組生徒から批判されたのだ。
文句も改善案も楠がこれまでずっと言ってきたのだから、簡単に受理されるわけがないと思っていたのだが、予想を反し、学園長は素直に応じた。
裏がありそうで不気味だとは感じている。
楠があまりに冷たいので、野槌は盛大に息を吐いた。
「あーあ、オイラは死んだらどのくらいで復活するんだろう。牛鬼さんはもう新しくなってるだろうしなぁ」
「あなたはまだ名の知れている妖怪ではありますから、一年以内には生き返るんじゃないですかね」
「どうせ記憶もなくなるから関係ないんだけど、一年なら上等だよ。野槌も捨てたもんじゃないね」
野槌の声色が明るくなる。
妖怪は死んでも、いずれ復活する。
有名であればあるほど復活も早く、無名であればあるほど遅い。もしくはそのまま名前を忘れ去られ、永遠に消えることだってありうる。
人々の中から消えること、それが妖怪にとっての死だ。
尤も酒呑童子に遭遇しなければ、こんな心配も無用なのだが、
「げえ! 魔王!」
素っ頓狂な声を上げ、鉄屑を放りだし、ゴミの山に逃げ帰る。
視線の先には、銀髪の魔王が仲間を連れ、歩いているのが見えた。
野槌を半殺しにし、ゴミ処理係になるまでのきっかけを作った張本人だ。
叩きのめされた記憶が脳裏をよぎり、体を震わせる。
無数の巨大な手に、両足を引き千切られたのだから、忘れられるはずもない。
和也には一度爆発から助けられたとはいえ、腹を裂かれた経験があるので、そちらも苦手としている。
「楠は痛い目に遭わされてない? 担任なんてやっていたら体がいくつあっても足りないよ」
「いいや、彼女はそんなことはしないよ」
楠は、どこか遠くを眺めていた。
かつて、たった一度だけクルミが楠に頭を下げたことがあった。
あれは入学以前、顔合わせをして間もなくの頃だ。
異世界から訪れたということで、前もって最低限のことは知ってもらう必要があった。
その解説役に、楠が選ばれた。
自宅以外では不安だろうと配慮し、楠は例の屋敷で地球に関しての常識や知識を教えていた。
特に掘り下げはせず、簡潔に説明していたのだが、
――どうか私に、この世界について教えてほしい
宝石のような碧い眼が、楠を吸い込みそうだった。
それほどまでに、彼女の瞳は澄み、どこまでも真っ直ぐで、魅力的だった。
クルミにとって力とは、超常能力の強さという枠組みには収まらない。
知識も権力も人脈も、立派な力だ。
地球の知識が足りないから、クルミは素直に頭を下げ、教えを乞うた。
つまりクルミは楠が、自分より上だと認めたことに他ならない。
プライドは誰よりも高いが、自分以上の能力があると認めた者には、敬意を払う。
そして貪欲にあらゆる力を吸収する。
逆を言えば、クルミが楠を超えたと判断すれば、途端に尊敬は失われるだろう。
教師の威厳を保ちたいのなら、常に楠はクルミの上にいなければならない。
故に楠も勉強を怠らず、研鑽を積み、先生としてクルミに接することができている。
それが楠の知る、ルーキフェル=イブリス=クルミナレッテだ。
「あの女は人間でも妖怪でもなくて不気味なんだよ。纏ってるモノがオイラ達とは違うんだよ」
こうは言っているが、魔王に付き従う妖怪や異能者の気持ちも分かる。
年々力を失いつつある妖怪やいずれ消えゆく異能者からしたら、彼女は新しい風どころか暴風を巻き起こす存在だ。
灰色の現状をどうにかしてくれるという、期待と予感を思わせてくれる。
実際に、妖怪や異能者、その他の人材を集めた魔王の勢力は、様々な組織がその動向を窺っているという話だ。
野槌には、半年やそこらで大規模な勢力を築く魔王の能力や魅力が恐ろしく、むしろ普通に学園で授業を受けていることに違和感しかなかった。
「そうでしょうか。僕には可愛い生徒の一人にしか見えませんが」
「……楠も大概だよね。あいつらの担任は君しかできないよ」
野槌はゴミの山に埋もれつつ、呆れたように言った。
楓の例もあるように、妖怪は異物もしくは新しい物をとことん嫌う。
人間にも見られる性質だが、怪物の彼らはより顕著な反応を示すのだ。
「そんなよく出来た先生の目には、あいつらがどう映っているのか、聞いてみたいな。掃除をしてる君は暇だからいいでしょ?」
「駄目ですね、軽々しく生徒のことは言えませんので」
「別にいいじゃないか。オイラは他の奴に言いふらしたりしないよ。ほら桐生和也はどうなの? 妙にスカした感じのあいつ」
「拘束された一味の中で、最初に寝返った人の台詞とは思えませんね」
「ぐぅ、それを言われると痛いよ」
野槌はゴミの奥に入り込み、身を隠す。
言い返せなくて、口を閉ざして逃走したのだ。
野槌はしばらく引き籠るのを決めたようで、ぴくりとも動かなくなった。
「桐生君か……」
楠は校舎を見つめ、呟いた。
人当たりがよく、老若男女問わず交友関係が広い。
牛鬼の一件から、特に楓を気にかけていて、彼女をよくサポートしてくれている。
入学当初は勉強が壊滅的だったが、二学期になってからはかなり改善されてきた。
委員長の仕事もこなし、安定感のある生徒。こんな印象だ。
ただ性分なのか、危険な問題に首を突っ込むことが多い。
牛鬼、甲賀忍者、吸血鬼、どれも率先して解決に奔走していたように思えた。
牛鬼襲撃時は平穏に暮らすことを望み、時々愚痴を漏らしていたが、吸血鬼襲来辺りからは、そんな様子もなくなってしまった。
半年前、アパートで平和に生活していた和也はどこか無気力だった。
おそらくは魔王打倒という目的を成し遂げ、根気が削ぎ落とされていたのだろう。
やる気が戻ったのはいいことだが、理由が理由なだけに、大人としては複雑な気持ちだ。
しかし和也が望むのなら、どんな道を歩もうとも、出来るかぎりのことはするつもりだ。
異能者なので、卒業後の進路は自由に決められないが、そこは楠の人脈と上役に頭を下げて、どうにかする。
和也が安心して勉強できる環境と、決断の補佐すること。
もし彼が間違いを犯そうとするのなら、体を張ってでも止めること。
正しい道に導くこと。
それが楠の役目だ。
箒を強く握りしめ、落ち葉を掃いた。
「こっちまで飛ばさないでよ」
「申し訳ない」




