第三話 武蔵、女子中学生に戸惑う
「マジでどうっすかな……」
武蔵は体育館の壁にもたれかかり、雲一つない青空を眺め、呟いた。
舞に連絡を取って謝罪し、許しを得ることには成功した。
やはり天使のような性格の彼女は、不貞腐れてはいたものの、最後は笑って許してくれたのだ。
しかしこの埋め合わせはしなければならない。
もう一○分もすれば、舞がここに来て、今度こそ文化祭巡りを始める予定だ。
最善の言葉と態度と、どこを巡るかで、武蔵の明日が決まる。
失敗は許されない。
そんなわけで、無駄に真面目で理屈っぽい彼の頭は、見かけとは裏腹にフル回転中だ。
「ん?」
冷たい風を感じ、吹いてきた方向を見ると、制服姿の少女がいた。
何故かうずくまって、人混みを眺めていた。
後姿では顔は分からないが、うなじの辺りで、綺麗な黒髪を一つにまとめた低めのポニーテールが目を引いた。
青を基調とし、スマートなデザインの学生服が目に眩しい。
武蔵の記憶が正しければ、近隣の学園の制服とは違う。
確か県外のお嬢様学校、それも中学の物だったはずだ。
父親の島にいた頃、女に飢え、全国の学校の女子用制服をチェックしていたから、即座に判断できた。
清条ヶ峰の文化祭は有名だから、観光もしくは来年入るつもりの学生が見学に来たのだろう。
しかし兎にも角にも、武蔵の関心はたった一つだ。
(うわスカート短けぇ……。最近の中学生は見せるスタイルなのか? いいのか? 俺見ちゃうよ?)
白い太腿がスカートから伸び、これでもかとばかりに肉感を強調している。
ニーソなのもポイントが高い。
鼻を伸ばしまくっていた武蔵だが、舞を思い出し、我に返る。
女の子に失礼を働いた男が、ミニスカ中学生の絶対領域に心惹かれていいわけがない。
付近を通る男性諸君の目に毒だろうし、立派な男として、ここは一つ忠告をしておくべきだ。
昨今は些細なことで通報される世の中だが、学生服を着ていれば、突然話しかけてもきっと大丈夫だ。
武蔵はカッコつけた顔で、少女に声をかけた。
「やあ、一人で何してるんだい?」
「幸せを探しているの」
いきなり心が折れそうだった。
それでも退いてはいけないと、頬を引き攣らせながら踏ん張る。
改めて話す前に、少女の顔を拝もうとして、武蔵は衝撃を受けた。
雪のように儚げで、不純物を徹底的に排除したような、綺麗すぎる顔だ。
線が細く、今にも溶けて消えてしまいそうだった。
その時に、武蔵は感覚で理解した。
(あ、この娘、妖怪だわ)
武蔵はこれまでの経験と知識で確信していた。
人間離れした容姿に雰囲気、異様な魅力を感じさせる女というのは、大概妖怪だ。
たとえ人間であったとしても、それもある意味妖怪だ。
武蔵が対応してもいいのか悩むところだが、学園に入ってきている時点で、安全な怪異だと保障されている証拠とも考えられる。
細かいことは楠先生がやってくれんだろ、と思い直し、言葉を紡いだ。
「へえ、そうなんだ。あっちに幸せがあるのかい?」
「うん」
少女が行き交う人々に向けて、指を差した。
そこには腕を組んで、愛のオーラが溢れる若いカップルがいた。
「こっちも。青空がとても綺麗」
少女は上空に人差し指を向けた。
「この子達も」
蟻の行列が地面を行進していた。
力のない目で見つめているが、頬を僅かに綻ばせている。
幸せかどうかは武蔵に判別が付けられないが、嬉しく思っているのは確かだろう。
「世界は幸せばかり」
少女は静かに呟いた。
(どういう妖怪だよこの娘。ちょっと俺困ってきたぞ)
武蔵は外面こそ、にっこりと笑顔を浮かべているが、胸の内では焦っていた。
妖怪は対応を間違えると、とんでもないことになる。
呪われたり、下手したら胃袋に収納される。
「あなたの幸せはなに?」
少女が武蔵を見上げるような形で、尋ねた。
「俺の幸せ?」
「そう」
少女の瞳が、武蔵を捉える。
武蔵は困ったように、頬を掻きながら口を開いた。
「そうだなー、ダチと馬鹿やったり、女の子と話してる時かな」
父親と暮らしている頃は、同年代の友人がおらず、碌に遊んだ記憶がない。
忍者の先輩方に相手をしてもらってはいたが、やはり近い年齢の友人というのには、憧れがあった。
楓みたいにハードな人生ではないにしろ、現状に幸せを感じるほどには、武蔵も特殊な環境で過ごしていたのだ。
正直な自分の気持ちを話し、少女の出方を窺う。
女子中学生相手に、慎重になりすぎである。
「そう」
少女は短く言って、武蔵から視線を逸らした。
話の意図は掴めないが、一応のコミュニケーションは行える。
それが分かってきた武蔵は、少女に尋ね返した。
「じゃあ君はどんな時に幸せを感じるんだ?」
「さあ」
少女は素っ気なく言い放つと、それっきり黙り込んでしまった。
辺りは騒がしいというのに、武蔵と少女の間は気まずい沈黙が流れる。
気まずそうにしているのは武蔵だけで、少女は何とも思っていなさそうなのが、武蔵を焦らせた。
「雪乃。何をしている」
荘厳な男の声だ。
深緑色の羽織を被った、白い着物の老人。
深く皺が刻まれた戦士の顔で、眼光は人を殺せそうなほどに鋭い。
老人が歩くと、人の群れが割れ、道を作る。
彼が発する妖気が、問答無用で人を押し退けているのだ。
老人は雪乃と呼ばれた少女を一瞥すると、隣にいた武蔵にも目を向けられる。
武蔵は会釈をし、なるべく視線を合わせないようにして、そっと少女から離れた。
(化け物が来やがったっ……)
三歩歩くのが限界だった。
体が金縛りにあったかのように、自由に動かせない。
背中に嫌な汗が流れる。
心臓が尋常でない速さで鼓動する。
一目で理解できた。
この老人も妖怪だ。
しかし隠す素振りは全く感じられない。
人の姿にこそ化けてはいるが、表面上だけだ。
内から滲み出る怪異の匂いが、肌を突き刺すようだ。
妖怪に詳しい武蔵でなくとも、一般人ですら彼を同じ人間とは思っていないだろう。
そこらにいる妖怪とは格が違う。
老人は武蔵の存在など気にも留めていない様子で、雪乃の前に立ち、見下ろした。
「ごめんなさい、鞍馬様。幸せを探していたの」
「勝手な行いは許さんと言ったはずだ」
泣く子も黙るような、重く冷たい声色だ。
しかし雪乃は表情一つ変えずに、可愛らしく首を傾げていた。
辺りから人が次々といなくなる中で、武蔵は身動きさえしていない。
(今、鞍馬っつたよな。てことはこのおっかねえ爺さんは、鞍馬天狗……!)
鞍馬天狗。
かの源義経に剣術を教えたとされる、日本で最も有名な大天狗だ。
天狗とは鼻が高く、赤ら顔で、山伏の恰好、そして翼が特徴の、日本独自の妖怪だ。
神通力に目覚めた修練者、恐ろしい怨霊などが天狗になるとされ、各地に伝承が残っている。
誰もがその姿を思い浮かべてしまう程に、天狗は有名であり、鞍馬天狗はその最上位種である。
現在天狗は妖怪三大勢力の一角を担い、鞍馬天狗は彼らの頭になっていた。
ちょっと気分で観光しにきました、なんて雰囲気とは言えず、明らかな目的をもって、学園を訪れたのだ。
事情はさっぱりだが、このままいないものとして扱ってもらえれば、大助かりだ。
最新装備の忍者といえども、鞍馬天狗のような怪物とは話したくもないし、目を合わせたくもない。
仕事でもない限り、ノータッチが最善だ。
「この人にも、幸せを探してもらった」
そう思った途端にこれである。
雪乃は武蔵の方を見た。
顔から血の気が引いていくのが分かる。
(なに余計なこと言ってんだァ! 今俺関係なかったじゃんかよ!)
内心で、雪乃に向かって悪態を吐く。
ちらり、と顔を上げれば、鞍馬天狗の冷たい鉄のような瞳が、武蔵を捉えていた。
悲鳴は上げなかった。少なくとも表には出さなかった。
「迷惑をかけたな」
想定外の発言に、武蔵の思考が硬直する。
妖怪の大将クラスが、たかが人間に謝罪の言葉を述べる。
武蔵の常識ではありえないことだし、あったとしても、あまりにあっけなさすぎる。
言葉に重みこそあるが、鞍馬天狗はあっさりと言った。
そもそも何故謝られているのかも、よく理解できていないが、武蔵にとって悪いことにはならなさそうだ。
そのことを察するまでに、十秒は費やしてしまい、鞍馬天狗が眉を顰めていることに気付かなかった。
「鞍馬天狗様。そろそろお時間です」
「分かっている」
不意に、楠の声が聞こえた。
鞍馬天狗の背後から、楠が現れる。
鞍馬天狗に意識を集中しすぎて、今まで眼中になかったのだ。
「行くぞ」
「はい」
鞍馬天狗は雪乃と楠を連れ、学園の校舎に歩いて行った。
楠が武蔵にだけ分かるように、会釈していたが、あんな怪物の傍に付かなければならない担任教師が不憫でならなかった。
張りつめた空気が柔らかくなっていく。
武蔵は大きく息を吐いた。
「ふぅ、何だったんだよちくしょう」
汗も引き、鼓動もいつもの調子に戻っている。
胸ポケットに入れている超戦士装甲に手を当てる。
いざという時、変身できるように常日頃から持ち歩いていたのだが、学園内で使用を考える状況が来るとは思わなかった。
「武蔵君……」
鞍馬天狗が離れていって、平穏を取り戻してきた人々の中から、見知った少女の声が背後から聞こえた。
考えるまでもなく正体は誰なのか、武蔵には分かっている。
振り向きたくないが、振り向くしかない。
相反する気持ちに揺れ動きながらも、恐る恐る後ろを向く。
「まーた女の子といたよね」
舞が腕を組み、冷ややかな目線で武蔵を貫いた。
「いやでもお爺さんだっていただろ? ほんのちょっと女の子とは話してただけで、今回は無実だって……」
武蔵は力なく反論した。
雪乃の幸せ理論や鞍馬天狗の登場で、精神が疲弊しきっている。
碌に言い訳をする力も残っていない。
あれに普通のお爺さんの要素は欠片もないが、この際どうでもいい。
これはどんなに責められても、もう反抗できないし、いっそのこと先の件も含めて、怒ってもらった方が気は楽だ。
武蔵は諦めて、うなだれていたが、
「じょーだんだよ。分かってる、ずっと見てたから。あの女の子を心配してたんだよね」
舞はニッと笑い、武蔵に駆け寄った。
そして腕を掴んで、引っ張った。
「ほら、早くしないと文化祭も終わっちゃうよ?」
武蔵は目を瞬かせていたが、状況に頭が追いつき、老人のような疲れた顔から、若々しい顔つきになる。
武蔵の文化祭が、ようやく始まりを告げた。




