第一話 妖怪の総大将(漫画家)
「ふぅ……」
和也は人混みを抜けて、学園西部の庭園にある木陰で涼んでいた。
吸血鬼の特性をコピーしてから、どうしても太陽の光に抵抗感を覚える。
実害はないが、あまり光を浴びていたくはない。
逆に夜は絶好調で、コピー前の体よりも、ずっと調子が良かった。
「一、二、三、四……」
屈伸をしたり、背筋をぐっと伸ばして、体をほぐす。
こうすると怠さも多少は解消され、気分が良くなってくる。
「ねーちゃんは絶対に泣くね。俺は五○○円賭ける」
「泣かないよ! おばけなんて楽勝だもん!」
フリーネと子ども達は、近くのお化け屋敷に並んでいる。
親もついているので、和也も心置きなく送り出せた。
体調が万全になれば、また文化祭に繰り出すつもりだが、まずは休憩だ。
心地のいい秋風を満喫しつつ、意味もなく辺りを眺める。
「ねえあなた。少しいいかしら。人を探しているのだけれど」
「は、はい。いいですよ」
ぼんやりしていたせいか、突然の呼びかけに、上手く返事ができなかった。
歳は一○後半から二○前半に思えるが、纏っている雰囲気は妖艶な物を感じる。
白地に紅葉の着物、大きく抜いた襟元、白く線の細い体に映えていて、美しい女性だったが、いかんせん学園内である、着物姿はかなり浮いていた。
(立花さんにすごい似てるな、この人)
和也は失礼のないように気を付けながら、女性の顔を見た。
どこをどう見ても、楓に瓜二つだ。
「あら、どうしたの? 私の顔を見つめてしまって」
女性が婀娜の匂いのする笑みを浮かべた。
注意をしていたつもりだったが、お見通しだったようだ。
「いえ、知り合いにそっくりだったもので。申し訳ありません」
「いいのよ、減るものじゃないのだから」
女性は和也の耳元で囁いた。
甘い吐息が耳を刺激する。
妙に艶めかしい人だな、と思うが、楓そっくりの人だと認識してしまっているから、興奮よりも猛烈な罪悪感を先に抱いてしまう。
女性は和也から離れて、男を虜にしそうな笑みを浮かべて言った。
「ところで私にそっくりな人と言うのは、もしかして立花楓かしら」
「はいっ。まさに立花さんのことです。知り合い……御家族の方ですか?」
「ええ、楓の母です。ということは、あなたが桐生和也君なのね」
「はい。ご存じなんですね」
「あの子がよく話してくれますから、ふふ」
楓の母を名乗る女性は、目を見開いて、まじまじと和也を見つめる。
観察されているようで落ち着かないが、そんなことよりも楓の母親という事実に、驚きが隠せなかった。
和也の母も若く見られがちだが、実年齢は四○近いので、一○代と言われることはない。
しかし彼女はどうだろう、ほとんど楓本人に近い容姿であり、現役高校生ですと自己紹介されたら、素直に信じてしまいそうだ。
近くにいる生徒も、楓と勘違いし、二度見どころか四度見はしていた。
普段の楓からは考えられない恰好なので、それも仕方のない反応だ。
「ほーん、君が桐生和也か」
低く、渋い声が聞こえてくる。
和也は楓の母君の背後に視線をずらす。
そこには笠を被り、甚平姿の小柄な男性がいた。
まるで当たり前のように存在するので、逆に驚いてしまった。
「この人は私の夫よ。一応ね」
「一応とは何だ。泣くぞ」
彼は妻にすかさず言い返すと、和也に目を向けた。
全身を上から下まで、品定めするかのように見る。
「君、漫画は読むかね」
「はい、それなりには」
「では、これを読むといい」
男は懐から一冊の本を取り出すと、和也に押し付けた。
急に何だと思うも、とりあえずタイトルを確認する。
漫画名は東京百鬼夜行、これは和也も読んだことがある。
今年連載十年目の妖怪漫画で、ぬらりひょんが主役の話だ。
妖怪の勉強がしたいと武蔵に尋ねた際に、資料本として渡されたのは記憶に新しい。
そんな和也の反応を見て、男性は言った。
「おや、読んだことがあるのか。面白かったか?」
「はい。最近衝撃の展開がきてビックリしてたら、まさか一話から伏線があったなんて考えもしませんでしたし、徹夜で全巻読み直しましたよ。それに何より主人公のぬらりひょんが最高に格好いいですよね」
「そうかそうか」
「まったく、あなたったら良かったわね」
楓の父は満足そうに頷いた。
しかし解せない。
この漫画がどうしたというのか。
和也の疑問を察してか、彼は口を開いた。
「実は俺が描いているんだ、その絵巻……漫画をな」
和也は漫画をぺらぺらと捲り、作者を名乗る男とページを交互に見た。
楓の両親ということは、つまり彼らは妖怪だ。
妖怪の創作物は人間が厳しく取り締まっていると聞いているし、そもそも妖怪が漫画を描く光景が想像もできない。
「いやいやいや妖怪ですよね、お二人は。漫画とか描いてていいんですか」
「まあ原作担当だがな。忍者に仲のいい奴がいて、実験ついでに描かせてもらっている。おかげで妖怪の総大将という肩書きまで手に入れたよ。それに俺を主人公として描くのもなかなかに楽しい」
楓の父――ぬらりひょんは照れくさそうに笑った。
そこでやっと、以前楓に自分の両親はぬらりひょんと紅葉と聞いたことを思い出した。
母方の紅葉と楓が瓜二つなのも驚きだが、まさかぬらりひょんの職業が漫画家とは予想外だ。
というより、総大将の称号が自作自演だという事実に、眩暈がしてきた。
世の中知らずにいる方が、幸せなのではないかとさえ思う。
「頭が良いやり方というか何というか……」
「ふふん、勝てばいいのさ勝てば」
「そういうことよ」
妖怪は法則に縛られる存在である。
妖怪の総大将、そのイメージの発端は、昔の絵巻に描かれていた百鬼夜行の先頭にいるからだった。
それに目を付けたぬらりひょんと一部の伊賀忍者が、『妖怪の総大将』という印象を人間に根付かせるための手段が漫画だ。
はっきりいって、妖怪が漫画に関わりを持つのもグレーゾーンだが、作画や出版を人間が担当することで、何とか成り立たせている。
「君には理解しにくいだろうが、肩書きがあれば、妖怪は思いの外従ってくれるぞ」
「長生きしている怪異はまた違うけどね」
たとえ自作自演であろうとも、人間に妖怪の総大将と呼ばれるようになれば、弱小妖怪や生まれたばかりの妖怪は、ぬらりひょんを格上として認識してしまうのだ。
ただし紅葉が付け足したように、長年経験と知識を積み、確固とした自我を持つ妖怪にもなると、ほとんど意味はない。
故に、ぬらりひょんの勢力は数こそ多いが、強者は皆無に等しかったりする。
和也は口許を手で隠し、囁くように言った。
「あの、サイン貰ってもいいですか」
「構わないぞ。いくらでも描いてあげよう」
ぬらりひょんは漫画の裏表紙にサインを書き、和也に手渡した。
「いや君が漫画の良さを理解してくれているようで、良かった。これでもし漫画嫌いであれば、娘をやるつも……」
「余計なことは言わないの」
紅葉はぬらりひょんを肘で小突いた。
サインを貰えて満足していた和也は、そのやり取りを気にも留めていなかった。
しばしサインに見とれていたが、あっ、と声を漏らす。
「ところでこんな場所にいていいんでしょうか。もしもバレたりしたら……」
「こういった場に溶け込んでこその妖怪なのよ? 私達を甘くみてはダメよ」
「お前は目立ちまくりだがな」
「うるさいわね」
紅葉の鋭い視線を、ぬらりひょんは冷や汗を掻きながら、口笛を吹いて流した。
出会って間もないが、夫婦の力関係を感じ取れた。
「まあいいわ。久しぶりの外だもの。遊び尽くさなきゃね」
「程々にしておけよ。本来の目的は忘れてないだろうな」
「あんなの建前でしょう。私達がいなくても、滞りなく終わるわよ」
二人でこそこそと話し始め、しばらくすると合意に至ったのか、和也の方に向いた。
「そうそう、訊こうと思っていたのに、すっかり忘れていたわ。あの子は今どこにいるのかしら。会いに行きたいのだけれど」
「立花さんは忙しく働いているので、一定の場所にはいないと思いますね。連絡しておきましょうか」
「楓ちゃんを驚かせてみたいから、遠慮しておくわ。最近は感情豊かになって、色々と面白いのよねぇ」
紅葉がくすくすと笑う。
意地悪な笑みに、内心で楓に同情する。
「……一応いそうな場所には心当たりはあるので、よければご案内しましょうか」
「是非お願いするわ。楓ちゃんの仕事も見てみたいしね。あなたもそうでしょう?」
「まあ気にはなるが……少しだけだぞ」
ぬらりひょんは渋面を浮かべる。
やはり彼は別の目的を優先したいらしい。
和也の申し出に、紅葉は嬉しそうに手を重ねた。
楓と違い、接触的なコミュニケーションが多い人だと、改めて思う。
外見がそっくりなだけに、頭も混乱しそうだ。
「そうそう、楓ちゃんのことが終わったら、学園長室にも案内してもらえるかしら」
「構いませんが、あそこ誰もいないですよ」
「あら、あなたは知らないのね。実はね――」
「あまり余計なことは話すな。彼には関係ないだろう」
「どうせ関係ないのだから、教えても問題はないでしょう」
「おい」
「今日この学園で会議が行われるのよ。妖怪三大勢力の首領が揃った、ね」
紅葉は気のない声で言った。
妖怪三大勢力とは、西を統括する酒呑童子、東を統括する鞍馬天狗、そして京都周辺を根城とする九尾の、三つの勢力のことを指す。
「酒呑童子、九尾、鞍馬天狗が一同に会して、妖怪の今後について話し合うわけだけど、いつも同じことが議題だし、本当に大したことはないの。酒呑童子と鞍馬天狗は仲が悪いけど、まあ問題があるとしたらその程度」
紅葉が心の底からどうでもよさそうに言うものだから、和也も三大勢力の首領が揃う会議の重要性が、いまいち理解できない。
しかもこんな文化祭の真っただ中で、妖怪による会議が開かれる。
状況がおかしすぎて、さらに訳がわからなかった。
「こんな人目につきやすいところで会議なんて大丈夫なんですか?」
「いいのよ。会議のことはどこも知っているから。仮に邪魔が入っても、この学園なら安全だもの」
紅葉は周りを見渡して言うが、和也には安全という言葉が納得いかなかった。
既に妖怪や忍者に襲われているのに、果たして安全と呼べるのだろうか。
もしかしたら他の場所はもっと危険なのかもしれないが、少しもやっとしてしまった。
「では、ここにいるということはお二人も代表として……」
「違うわ、私達の役目は護衛なの。……噂をすればご本人の登場ね」
紅葉が和也の背後に視線を向けた。
視線につられ、和也も後ろを見る。
紫の着物を垂れ流し、煙管を口に咥えた筋肉質の大男がいた。
腰にはひょうたんを括り付け、風流のある出で立ちだ。
恐ろしく容姿が整っており、人を惹きつける妖しい魔力のようなモノを感じる。
彼は和也の前に立つと、その口を開く。
一体何を語るのか。
和也は唾を飲み込み、言葉を待つ。
「私だ」
――いや誰だ。
5章裏編は短いです




