第一話 それぞれの夏休み 立花楓の場合
お待たせいたしました
艶やかな黒髪をなびかせ、手提げ鞄を片手に、畦道を歩く少女がいた。
深夜の真夏には相応しくない、水色のセーターと灰色のロングスカートでありながら、涼しげな無表情で、足取りは軽い。
目印のバス停を見つけた少女――立花楓は歩みを早める。
お姫様ですと紹介されたら、疑いの余地なく信じてしまいそうな、美しい少女だ。
損傷もひどく、現在は使われていないバス停だが、楓にとっては意味がある。
持参した本を読みながら、しばしの間待っていると、目的の物はやってきた。
頭部の毛が背に垂れ、成人男性よりも数倍近く巨大な体躯。
茶の体毛に覆われた、猿に似た怪物。
異獣。
旅人に食べ物を譲ってもらった代わりに、荷物を背負い、道に迷わないように先導したという伝承が残る妖怪だ。
背には鞍に椅子の背が引っ付いたような物が固定されていた。
楓は鞄からお手製のお握りを、異獣の口元に運ぶ。
異獣はそれを一口に頬張ると、ゆっくりと姿勢を低くした。
手提げ鞄を肩にかけなおし、「お願いします」と一言加えて、大猿の背に跨る。
準備ができ、首元を叩く。
それを合図として、異獣は夜道を疾走する。
この異形の役目は、利用者を無事に送迎すること。
人間でいうところの、タクシーに近いものだ。
お金の代わりに、食べ物を差し出せば、異獣は要望通りの場所へと運んでくれる。
情報が飽和し、妖怪の存在が薄れゆく中で、自らの存在理由を成立させるため、彼らなりに模索した結果だった。
安全と安心と速さを売りに、絶賛売り出し中である。
以前ならこのような目立つ代物に乗るなんてありえなかった。
けれども学園長からの庇護も強まり、敵対勢力が悉く壊滅しているために、堂々と妖怪専用タクシーを使えるようになっていたのだ。
そして異なる獣を利用する楓の目的は、
(お父様、お母様、元気かな……)
実家への帰省だ。
「あーん楓ちゃーん! 私の楓ちゃんが帰ってきたわぁ!」
「只今帰って参りま……うっ、苦しい……」
楓を強く抱きしめる紅の和服の女性は、瓜二つの容姿だというのに、まったくの別人にも見える。
楓は美しさの中に、白い純真と誠を感じさせる。
しかし一方は、赤い情熱と艶を感じさせる。
白と赤。
誠実と魅惑。
同一のようで、異質な、別人。
「もう、お母様ったら……」
「無表情がちょっと困った感じなるのが素敵よ。食べちゃいたいわ。愛でたいわ」
よしよしと頭を撫で、愛おしそうに呟くのは、楓の母、紅葉伝説の鬼女こと、紅葉その人だ。
さすがの楓も、いつもの表情を崩して、過剰な愛情に困り果てた顔だ。
「なあ紅葉よ? せっかく楓が帰ってきたのだから、俺も顔が見たいなーなんて」
「黙ってなさい」
「はい」
母の背後で、小柄な男、楓の父、ぬらりひょんがうずくまる。
人の家にいつの間にか忍び込み、去っていくという地味な怪異で、突き出た後頭部が特徴的だ。
昨今はぬらりひょんが主役級の創作物が世に広まったことで、急速に力を強めており、見た目に反し、高い能力を誇っている。
小柄な渋い老人と若々しい黒髪美女という親子のような組み合わせだが、これでも一応夫婦である。
もっとも今は、嫁に尻に敷かれる哀れな夫の図を展開中であった。
家族の再会もそこそこに、一家は居間に移動した。
彼らが住む屋敷は三人で暮らすには大きく、部屋も広い。
高級旅館のような家は生活感よりも、歴史を感じさせる。
だが十数年暮らした我が家の匂い、雰囲気が、ここが楓の家なのだと実感させてくる。
両親と娘が長机を挟んで座り、呉葉が茶菓子を戸棚から取り出して並べる。
色とりどりの饅頭や煎餅が食欲をそそった。
話したいことはたくさんあった。
学校のことだとか、友達のことだとか、最近好きな本のことだとか。
思い出もたくさんできた。
大切な学園の友人達。
今日一日、ずっと喋り続けられる自信がある。
共感してもらったり、感動してもらったり、笑い飛ばしたりしてほしかった。
でも違う。
楓は背筋を伸ばした綺麗な正座の膝の上で、拳を握る。
「それで今日はどうしたの? 人間みたいにお盆だから帰ってきた、なんて理由じゃないでしょう?」
紅葉が柔和な笑みで、楓を見据える。
「家族に会いたかったから、でも一向に構わんがな。お父様は」
ぬらりひょんは娘の緊張をほぐすように、おどけてみせる。
優しい両親に、目に潤いが帯びてきそうになるが、ぐっと堪える。
そして前を見据えて、口を開く。
「強く、なりたいんです」
曇りない少女の瞳には、鋼鉄の意志が宿っていた。
牛鬼襲来時。
自らを犠牲にするしか方法はないと思い込んでいた。
しかし素晴らしい友人たちによって、救われ、居場所もできた。
楓は助けられただけだった。
甲賀忍者襲来時。
紗和を守ろうとするも、逆に守られてしまった。
事件収束まで、ベッドの上で寝ていた。
楓は弱かった。
吸血鬼襲来時。
戦いに敗れ、涙を流した。
楓は無事を祈るしかなかった。
楓は何もできなかった。
思えば、昔からそうだった。
閉鎖された世界に飽き飽きして、勝手に飛び出して、窮地に陥って、助けられて。
誰かの役に立ったことなんて一度もない。
己の力で成し遂げたことも、ない。
挑戦しようとしても、周りに迷惑がかかるから、と、都合のいい言い訳を盾にして逃げてばかりいた。
だからこそ、変わる。
「強くなりたい、ね。楓ちゃんは何でそう思うの?」
紅葉は問う。
「皆と一緒に歩いていたいから」
悩むまでもなければ、考えるまでもない。
無表情で愛想がなく、問題だらけの楓を見放さず、友達として受け入れてくれた彼らのために。
初めての友達で、想い人の和也。
見た目は不良なのに、純情で真面目な武蔵。
容姿も能力も何もかも完璧でゲーマーの、クルミ。
いつだって元気溌剌明るさ底なしのフリーネ。
皆がみんな、大切な楓の友達だ。
後ろから見ているだけでは駄目なのだ。
前に進まなければ、現実は変わらない。
大事な友と、肩を並べて歩いていきたい。
堂々と胸を張って、隣にいたい。
たったそれだけのことだ。
されどそれだけのことなのだ。
生まれて初めて宿った感情が、楓を突き動かしていた。
娘の簡潔で、明確な意思を聴いた紅葉は、隣のぬらりひょんに視線を送る。
それに目を閉じて頷くと、彼は言った。
「どうやら本気らしいな」
「はい」
「ならばよし」
ぬらりひょんは断言した。
これ以上、言葉を交わす必要はない。
想いは伝わっているのだから。
楓は道着に着替え、道場の中心で正座していた。
目を瞑り、微動だにしない。
凛とした姿に、透き通るような美しさを感じる。
しかし少女の澄み切った表情とは裏腹に、額から汗が流れていた。
気体が渦を巻き始めたかと思いきや、突如として血肉が出現して、そして霧散する。
鳥のようなモノ。
犬のようなモノ。
人のようなモノ。
あらゆる生命が創り出されようとし、儚く消えていく。
楓がやろうとしているのは、生命の創造。
彼女の特性は、透過能力と偽物生成能力だ。
妖怪の性質上、急に強くなることはありえない。
なら使える能力を極めていくしかないのだが、それこそ数十年、数百年の修練を必要とする。
早く強くなりたい楓にとっては、気が遠くなるような話だ。
そこで目を付けたのが、紅葉の特性でもある偽物生成能力、極めて本物に近い偽物を創る力だ。
楓はどんな時でも、生物を能力で創ったことはない。
敵と対峙する際は剣。状況に応じて小物を創って対応する。
そう言い繕うことはできるが、実際は都合のいい言い訳だ。
使わなかったのではない。使えないのだ。
意志のない道具と違い、生き物には意志が、魂がある。
紅葉の伝承において、望まぬ男との結婚を避けるため、自身そっくりの美女を生み出し、男に嫁がせ、しばらく騙し通すという話が残っている。
このことから、精巧な生物を創り上げることには、日本妖怪でも随一といえる。
だがその力を受け継いでいる筈なのに、楓は生物創造に関してさっぱりだった。
紅葉は伝承から、楓は新種として、生まれた怪異。
根本的に出自が別だ。
同等の能力を操るのに、多少の格差があっても不思議ではない。
初めから使い方を体で覚えている紅葉は、ある種の天才型だ。
尤も妖怪なら皆そうなのだが、楓は特殊な妖怪である。
自分の手足を操るようにはいかない。
これまではそれでよかった。
だが、これからはそうはいかない。
頼るだけでなく、頼られるような存在になりたい。
助け合い、切磋琢磨しあう対等な仲間になりたい。
和也のように、格好良く、正しくありたい。
楓は固い決意を源に、意識を深い闇に沈めていく。
そこに弱く儚げな少女の姿はなかった。
道場の隅から傍観していた紅葉とぬらりひょんは、楓の邪魔をしないように扉を閉めて、場を後にした。
居間に戻ってくるまで、二人は一言も発さずにいたが、襖が閉じた途端に溢れるように語りだす。
「楓ちゃん変わったわね」
「もはや別人だな。やはり人間の影響とは大きいものだ」
「良い方向に進んでくれて、本当に嬉しいわ」
喜びに頬を緩ませる。
ここで暮らしていた時代と今とでは、顔つきも表情も、何もかもが違う。
妖怪しかいない環境で、妖怪は育たない。
害か益かは別として、人間と共存してこその妖怪なのだ。
どういう方向であれ、変化があるとは分かっていたが、それでも嬉しいものがあった。
「学園に入れて良かったと思う?」
「どうだかな。あの学園長はどうも好かん。牛鬼もわざと招き入れたとしか思えん」
一転して、神妙な面持ちとなる。
「あそこの学園長は友達なんでしょ? やけに冷たいわね」
「友達、ではないな。俺の仕事の支援者、せいぜい知り合いだ。猫に化けたヤツと会ったことはあるが、本来の姿は知らん」
ぬらりひょんは座布団に腰を下ろすと、茶をぐいっと飲み干す。
「牛鬼の野郎がこっぴどくやられたおかげで、楓に近づく輩もほぼいなくなったのも事実だが、なんにせよ、ヤツは好かんよ」
「そうなのよねぇ。結果だけ見れば、私達が得しているのだけれど。あの人の考えは読めないわ」
「俺からも探りを入れようと、酒呑童子に頼んでおいた。近々学園に向かうらしいからな」
「テンちゃんが? いくらあの人でも学園長相手じゃ分が悪いわ。この際私達も行きましょうよ。あの街に。直談判しにいくのよ」
紅葉が瞳を輝かせ、夫に詰め寄る。
「いや、それはお前が行きたいだけじゃ……」
「楓ちゃんのためよ。一から十まで楓ちゃんのことしかないわ」
「巷で有名なモンスターペアレント……」
「わが子を思う、純粋な母の気持ちよ」
「俺には仕事が……」
「ここじゃなくてでも出来るわ」
完全に紅葉に押され、言葉のみならず、物理的な距離も狭められていく。
ぬらりひょんの頬を撫で、艶やかに迫る。
「……仕方ない。酒呑童子にかけあってみよう。あいつなら多少は工面してくれるはずだ」
「決まりね! 服も見たいし、ケーキも食べたいわ。楓ちゃんのお友達とも会いたいわね!」
速やかにぬらりひょんから離れ、勢いよく立ち上がる。
案の定の反応に、苦笑しか漏れない。
「楓の友人は、俺も興味があるな。異能者、魔王、忍者、ドラゴン。よく集まったものだ」
「そうねぇ、魔王とドラゴンはどうやって接触したのか検討もつかないし。まあ一番気になるのは桐生和也君かなぁ」
茶のみが割れる。
ぬらりひょんの手の力が強まったせいだ。
「前に楓が楽しそうに話していたな……好きな男ができただとか、できただとか、できただとか……」
「恥ずかしいみたいだから、手紙にはあんまりその子のこと書いてくれないし、よく分からないのよね。悪い子ではないと思うのだけれど」
「楓に彼氏が……男が出来てしまったのか……」
月に一度、楓は家に手紙を送っており、学園生活の流れや雰囲気自体は、彼らも把握している。
手紙が届くたびに狂喜乱舞する父がいるのは、娘には秘密だ。
「うわああ、俺をお義父さんと呼ぶ男がついに現れてしまうのか……俺はどうしたらいいのだ……」
「話が飛躍しすぎでしょう。まず父親なら堂々としていなさいよ。情けない」
うなだれ、崩れ落ちる。
涙が溢れて、目にもやがかかる。
可愛い大切な娘に男。
いずれ来るとは想定していても、衝撃は大きい。
そんな夫を、呆れ果てた目で妻は見ていた。
彼とは逆に、娘をそういう関係に発展させたいと考えているので、このへっぽこぬらりひょんには辟易としているのだ。
「もう夏だっていうのに、全く進展もないらしいのよ? ずっと仲のいいお友達。勿体ないわね。 私だったらとっくに私色に染め上げているわ」
「そういうところは似なかったな。いいことだ」
「本当にねぇ。見た目も特性も受け継いでいるのに、男を騙す術を教えてあげようとしても、顔赤くして逃げちゃうし。可愛いから許すけど」
性格や雰囲気、本人の中身を構成する要素は、全くといっていいほど似ていない。
十数年同じ屋根の下で暮らしてきたというのに、これっぽっちも紅葉の影響を受けなかったのだ。
何も不思議な話ではなく、妖怪なら当たり前のことだ。
人間と触れ合ってこそ、はじめて変化が生まれるのだから、妖怪が妖怪をどう教育しても、自分色に染めることはできやしないのだ。
接触したことのある異性が父と、時々訪れてくる酒呑童子のみで、後は少女漫画で「男」が補完されていた楓に、その手の技術に忌避感があったのも、理由の一つだろう。
「男の子については後で聞くとして。楓ちゃんに差し入れでも持って行こうかしらね。ひどく消耗しているでしょうし」
「うむ。あの修行も当分終わらないだろうからな。お前の見立てではどうだ? 元々の使い手であるお前なら分かるだろう?」
「そうねぇ、最短でも二週間はかかるでしょうね。いくら本気になっても、今まで会得できなかった技だもの。最悪、モノにできないかもしれないわ」
その言葉に、ぬらりひょんの表情が引き締まる。
紅葉に考察に一切の甘さは含まれていない。
客観的に楓を見て、現状の情報で判断すると、どんなに早くても二週間だ。
そして技術を吸収しきれないまま、夏が終わることだって充分に有りえる。
あの能力を一番知っているのは紅葉だ。
扱いの難しさも、一番理解できている。
「ま、でも、今の楓ちゃんならどうでしょうね」
「だな。昔のままなら、そろそろ泣きついてくる頃合いだが……」
瞬間。
火山の噴火のような、けたたましい炸裂音が屋敷に響き渡る。
音の方向からして、おそらく楓がいた道場から。
夫婦は同時に部屋を飛び出し、異常の出処に向かう。
初めこそ全神経を張り巡らせ、即戦闘行動に移れるように構えていたが、道場に近づくにつれ、徐々に警戒心を薄めていく。
到着したころには、完全に歩みを止めていた。
それどころか、笑顔さえ浮かべている。
豊かな大地。
屋根を突き破り、今なお成長し続ける木々。
清い水が滴り、流れ、循環する。
蝶が舞い、蛙が捕食し、蛙もまた鳥に攫われる。
生命が循環し、自然が成り立つそれは、一つの世界。
そんな大自然の真ん中に、少女はいた。
瞳を閉じ、その凛とした姿勢で、ずっと。




