第十五話 血を吸う鬼
「今日も楽しかったー! 明日も楽しみだなー!」
フリーネは鼻歌混じりに、スキップしながら寮を目指していた。
本日も広場で子どもたちと駆け回り、目一杯遊んだ。
夏休みに入ってから、遊んでばかりで、楠に注意されたりもしたが、休みは始まったばかりだ。
宿題なんていつでも片づけられる。
長期休暇終盤になって途端に焦る生徒の典型的パターンを、これでもかと実行する少女がここにいた。
「って門限近いから急がないと! また怒られちゃう!」
日も暮れかけ、門限間近となっているので、悠長にしていると締め出されて説教のダブルコンボだ。
また反省文も書かせられるかもしれない。
それは絶対に避けたいフリーネは、全速力で街を掛けようとするが、ここでちょっとした違和感を抱いた。
「あれ? 人が誰もいないな……」
沈みかかっていた太陽は雲に隠れ、地上は一段と暗く染まる。
仕事帰りのサラリーマンもいなければ、元気に満ち溢れている子どもも一人として見当たらない。
この時間帯にしては少々不自然だ。
いつもなら、ちらほらと通行人がいるのに、今は誰もいない。
偶然だと言われればそれまでだが、こんな事は一度も経験していないから、余計に心に引っ掛かった。
その違和感はフリーネの気を引き締め、そして気付かせた。
それを。
「いくら危機意識が低くても……察したか?」
声の出処は前方の木陰。
初めは何もなかったというのに、徐々にそれは形作られていく。
足が、胴が、手が、首が、頭部が、空気が渦巻き収束し、人の姿を為す。
それは、きっちり仕立てられた燕尾服を着こなす初老の男性となり、彼女を見据える。
穏やかな顔で、和也よりも背が高く、その赤き眼は、フリーネを見透かしているようだ。
爪は鋭く尖り、肌は血が通っていないと錯覚してしまう程に青白い。
年季の入った皺に細身の体にかかわらず、体格は若者と遜色ない、むしろ逞しい肉体。
服の上からでも、鍛えられているのが見て取れる。
容姿的におそらくは西洋人、しかし、人間ではない。
明らかに妖怪。
凝縮された殺気が瞳に静かに宿り、佇まいに隙がない。
この男は強者だと、直観的に感じた。
一目で理解できる程に、彼の纏うモノは他の妖怪とは一線を画していた。
そして。
ニタりと、裂けるように微笑む口からは、人間ではありえない、尖る牙が姿を現した。
妖怪の知識が足りないフリーネでも、簡単に名前が思い浮かぶ有名妖怪。
「吸血鬼!」
「初対面なのによく分かったじゃないか。クク、特徴的な容姿というのも困り物だな」
愉快そうに笑う老人に、フリーネは身構える。
吸血鬼。
夜の王、生と死を超越した者。
様々な肩書きを持ち、その手の知識がない人でも、名前を聞いたことぐらいはあるだろう。
スタンダードの吸血鬼は、人を虜にする並外れた容姿、人間を遥かに超える腕力、動物や蒸気への変身能力、催眠能力や自然現象を操り、不老不死をも併せ持つ。
世界でも類に見ない最強クラスの妖怪だ。
人間如きではまともに戦闘も出来ず、一方的に殺され、嬲られ、蹂躙される。
また、狂った人間が伝承になるケースも多く、種類も豊富で、極めて厄介な存在だ。
「まだ完全に夜になってもないのに、外に居ていいの?」
「良くはない。今も眠くて体が重い。早く棺桶に戻りたいよ。クク」
だが、吸血鬼は多彩な能力と引き換えに、弱点もまた豊富だ。
太陽の光、聖水、ニンニク、銀の武器等に弱く、流れる水は越えられず、心臓に杭を打ち込めば死に至る。
吸血鬼に効果のある物品の調達は容易で、あまりにも有名になり過ぎた結果、弱点も世界中に広まってしまい、英雄でもなければ、専門の業者でもない、極々普通の子供にさえ殺されかねない。
この世界で妖怪が名を轟かすというのは、同時に自身の弱点も知り渡ってしまう事にも繋がるのだ。
しかも、妖怪を正しく認識し、対処できる人材が豊富にいる街にいるなど、自殺行為に等しい。
フリーネの記憶の中に、吸血鬼が街にいるという情報はない。
湧きあがる疑念の感情のままに尋ねた。
「どうやってこの街に来たの? 何の用なの?」
「ふむ、答える必要はない。無駄に情報を与えて損をするのはこちらだ。だが教えてあげよう。私は無知な者への説明が大好きだからな」
風に揺れる木々の間にその身を潜ませながら、吸血鬼は嬉々として語る。
「街への侵入自体は難しくない。妖怪は世界の影。どこにでもいてどこからも現れる。完璧に防ぐ術など存在しない。君には理解しにくいかもしれないがな」
名を知る者がいれば、どこの国であろうとも存在を保てる。
だが、基本的に妖怪は自身の伝承が根強く残る地域に居座る事が多い。
数が多ければ多いほど、力が増していく方式なので、そうそう自国から離れる妖怪はいないのだ。
さらに街を監視する組織、個人も数多く存在し、ちょっと騒動を起こせば勝手に目がそちらに向く。
そのどさくさに紛れてしまえば、この街への侵入はそう難しいモノではないのだ。
吸血鬼は沈みゆく太陽に目を向けながら、続ける。
「そして本題の私の目的だが、当然君だ、子ども好きのドラゴン。私と共に来てもらいたい。おや何故自分の正体が露見しているのか、という顔だな。それも答えてあげよう」
警戒心をより一層深めるフリーネを尻目に、上機嫌に説明し出す吸血鬼。
戦闘能力は遥かに自分が上で、炎を一吹きするだけで消滅させられる状況なのに、彼は余裕綽々だった。
「魔王という異界からの訪問者、ジャパンが誇る最先端科学のニンジャ、妖怪の新種、四年の間行方知れずの正体不明の異能者、これだけの面子が揃っておいて君だけが浮いているじゃないか。確かヤマトカゲだったかな? 唯のジャパンの雑魚妖怪だ。あの学園の長にしては妙な選出だと思った。フリーネ=ドラゴニックの名も一種のカモフラージュかと推察もしたが、案外そのままだったりもするのではないかとも考えた。そこで実際に確かめにきたわけだ。多少のリスクを考慮しても、試す価値はある。それに生きるか死ぬかの境界線に挑戦するのも想像するだけで実に心地よい。こうして遥々ジャパンまで来る原動力にはなった。そして今の会話で確信したよ。君がドラゴンだと。腹芸が苦手なようで助かった。聴いているか?」
「…………?」
「その判断能力の鈍さもそうだ。君はどんな危険な状況に陥っても打破できるだけの力がある。故に警戒してもすぐに解いてしまう。まあ、この世界において実質最強の存在であるドラゴンであるから仕方のない事か。天敵がいないのなら適当に過ごしていても何も問題ないだろう。最強だからな」
長い話は耳を通り抜けて、去っていく。
小難しい内容になったりすると尚更その傾向が強い。
結局、この吸血鬼が何を言いたいのかさっぱり分からないフリーネは、
「それで何なの? もしも危ない事なら、ここで燃やし尽くすよ?」
シンプルに攻勢に出た。
全身の柔い肌が刺々しい強固な赤い鱗へと変貌していく。
真意は不明だが、この吸血鬼がよからぬ事を企んでいるのは理解できた。
ならば容赦しない。
世界最強のドラゴンとして灰まで燃え散らす。
途方もない年月が蓄積させた厚みが、フリーネを覆い、徐々に強靭で猛々しい翼が構築される。
息には灼熱の炎が混じり、大気を焦がす。
吸血鬼など比ではない重圧が周囲へと圧し掛かり、あらゆる生命を圧倒する。
世界最強の名に相応しき、圧巻の光景。
しかし、吸血鬼はそのプレッシャーを浴びてもなお、姿勢を崩さなかった。
「止しておくれ。吸血鬼如きがドラゴンに勝利できるはずがないだろう。かといって言葉を尽くしても、君が私に従ってくれるとは思っていない。だがそれでも連れて行く」
「駄目だよ。お爺さん危なさそうだもん」
「言うと思ったぞ。だから私も策を用意した」
吸血鬼が指を鳴らすと、彼の背後の暗闇から、ゆらりと現れる。
流石に警戒を深めていたフリーネも、見覚えのある姿に驚愕の色を隠せなかった。
「さっちゃん……!」
高木里美。
フリーネとよく遊んでいて、先日学校の怪談に襲われていた小学生の女の子だ。
最近はすっかり回復し、再び外に出るようになっていた。
その目は何かを見ているようで、何も見ていないような、虚ろな目だった。
手にはナイフが握られ、自らの喉に突き立てていた。
しかも彼女一人だけでなく、他に三人の子ども達が同様の状態で佇んでいた。
「さっちゃん!」
「いくら呼んでも無駄だ。既にこの子達は私の術中。ここ近辺の人々もな。それにしても、知り合いだったか。妖怪の匂いが強い子を適当に見繕ってきただけだが、これは好都合だな。クク」
青白い手で、里美の髪を優しく撫でる吸血鬼。
「君が動くよりも早く、この子らは自らの喉を切り裂く。小さな命を守りたいのなら、私の指示に従う事だ。いくら君とて理解できるだろう?」
「くっ……! ここの普通の人達に手を出すのは駄目なはずじゃ……」
「一種の賭けだったが、危害を加えない程度なら、学園の長も許してくれるようだな。君が何もしなければ彼女らは死なないし、私も消されない。ああそうだ。人質はこれだけではないぞ」
暗がりからもう一人、子どもが出てくる。
十字架のネックレスをした金髪の愛らしい容姿の子で、明らかに日本人ではない。
「この子は我が祖国で盗ってきた子だ。エクソシスト共の妨害を掻い潜って手に入れた。あれも激戦だったな。なかなか楽しかった……子どもが大好きな正義のドラゴンなら、見ず知らずの子でも命を張ってくれるだろう?」
「さいてー……」
フリーネが憎々しげに呟く。
いくら危ない橋を渡る事が好きな吸血鬼だとしても、此処で調達した人間を街の外に連れ出すのは危険極まりないと判断した。
ドラゴンの表情を見る限り、事前に子を誘拐していたのは正解だったようで、満足そうに微笑む。
「君が応じてくれるのなら、街で誘拐した者は解放しよう。勿論金髪の子は連れて行くが」
憤り、噴出させたくなる炎を無理やり抑えつけ、竜の鱗が人の肌に変化する。
火力、防御力に特化のフリーネでは、この状況だと手の出しようがない。
吸血鬼を燃やすにも、子ども達が近すぎる。
これでは救うべき対象もまとめて消し飛ばしてしまうのは、目に見えていた。
手を震える程に握りしめ、吸血鬼を睨む。
「おお怖い怖い。子ども好きという情報を入手しておいて良かった。でなければ今頃天に召されていただろうな。いや妖怪が天に逝けるはずはないか。そもそも人間が滅びなければ妖怪も滅亡しない。何故人と妖怪はこのような関係性なのか……それもまた興味深い」
フリーネを無視して、独り言に没頭する。
今日が初対面なのに、この吸血鬼の老人の性格が自然と掴めてきた。
どこまでもマイペースで、丁寧な物腰とは裏腹に、狡猾で手段を選ばない。
教科書通りの吸血鬼でありながら、説明好きで危険好きという珍しい要素が合わさっている。
だからといって、フリーネにどうこうできる知恵はない。
だが、こうやって勝手に時間を消費してくれるのなら、思考する余裕を与えてくれるのなら、突破口が開けるかもしれない。
ついでに言えば、騒ぎに気付いて、学園側の誰かが駆けつけてくる可能性も考えられる。
妖怪退治のプロフェッショナルの武蔵も、担任の楠も、楓も、勘の鋭い和也だっている。
クルミは海外旅行中で街にいないが、二年生にも三年生のE組など、この異変に感づく人は多く住んでいる。
いずれ誰か一人はこの異常事態を察知し、何かしらの行動を取るはずだ。
なけなしの頭を使って、必死に策を練るが。
「まさか私が一人で侵入したとでも思っていたのか?」
フリーネの思考を見透かしたかのように、吸血鬼の鋭い言葉が突き刺さる。
瞬間、遠方で爆炎が上がった。
一方面だけでなく、他方からも衝撃音が鳴り響き、大気が揺れる。
「始まったらしいな」
弱点が豊富の吸血鬼が、この街を相手取って戦うのはほぼ無理な話だ。
短時間ですら保つかどうか怪しいところだ。
けれども個人で無理なら、数を増やして対処すればいい。
許容範囲を超えるなら、補佐してくれる戦力を連れてくれればいい。
ただただ単純な話。
「穴だらけの作戦と危機的状況は好みだが、いくら私でも勝率が一割もない戦に、たった一人で挑むほど愚かではないのだよ」
気持ちの悪い風が肌を撫で、草木を揺らす。
輝く太陽は沈み、夜が訪れる。
真っ暗で、どす黒い、悪夢の夜が。




