第十話 元勇者と忍者と一般人、釣りを楽しむ
夏休みシーズンに入り、平日に学生が街に繰り出し、満喫する姿が散見される。
友人と遊んだり、彼女とのデートに夢中だったり、部活で練習に励む生徒など様々な光景があちこちにあった。
まさに夏休みだ。
そして朝早いにも関わらず、蒸されるような暑さの中、清条ヶ峰学園の校門前に、二人の少年が雑談していると、一台の車が止まる。
「二人ともおはよう。ごめんよ準備に思いの外手間取っちゃって」
慌てて車から降りてきたのは、三年E組委員長。本間宣親。
E組唯一の、異能もなければ特殊な組織にも属していない普通の人間だ。
容姿も特徴的なところがない中背中肉で、成績も平均的の常識的な人物でもある。
「うぃーす。全然いいっすよ、俺らも来たばっかなんで」
髪を掻き、眠そうに返答するのは、一年E組。服部武蔵。
忍者として、人々の害となる妖怪の討伐、研究を行う役目を担っているが、現在は学園で青春中だ。
なお高校で彼女とウフフでラブリーな充実した学園生活を目論むも、一学期が終わった現在も成功の兆しは全く見えてきていない。
「おはようございます先輩」
礼儀正しく爽やかに挨拶したのは、一年E組委員長。桐生和也。
異世界帰りの元勇者で、地球に帰ってきてからは勉強にバイトに家事に大忙しである。
メンバー揃ったところで、三人は宣親の父親が運転する車に乗り込んだ。
全員Tシャツにハーフパンツの軽装で、車の後ろに積まれている荷物はクーラーボックスやバケツに釣竿などの道具などで、彼らの目的は一目瞭然だ。
要するに、今日はこの三人で、街の近くの川に釣りに行くのだ。
「桐生君は釣り、初めて何だっけ」
「はい。素潜りで魚を捕った経験はあるんですが、釣りは一度もやった事はないです」
「それは珍しいね。やり方はそう難しくないから、桐生君ならすぐにコツを覚えるさ。僕も一から教えるし」
「ありがとうございます。実はずっと楽しみだったんですよ釣り。昔テレビでマグロを一本釣りするシーン見てから一度やってみたくて」
異世界に拉致される前、暇潰しに眺めていたテレビで流れた釣り番組で、遠洋で荒波に揉まれながら、ぽんぽん大物を釣り上げる漁師に憧れたものだ。
小学生低学年の頃だから、漠然としか記憶にないが、確かにあこがれは今でも、この胸に残っている。
今回は川釣りで、マグロどころか大物もいないが、釣りは釣りだ。
昨夜は浮かれて、寝付くのに時間かかってしまった。
和也にしては珍しく、テンションが高めだ。
一方武蔵は一本釣りと聞いて、渇いた笑みを浮かべた。
「あーアレな。ガキの時に親父に無理やり連行されて数か月漁船の上で生活してたわ。ずっと吐きっぱなしだったな……。忍者修業がどうとか絶対関係ねえよ……」
今一度忍者の存在意義を問いたくなってくる。
あの変身ヒーローもそうだが、和也の中の忍者像がどんどん捻じ曲がって、ぐしゃぐしゃになっていく。
「釣ってる人は全員プロだから自分でやるとまた別物だよ。あれはひどかった……」
「先輩もした事あるんですか?」
「一度ね……」
宣親はどこか遠くに魂を置いてきたかのように、顔を青くする。
武蔵と違って一般家庭に生まれた宣親が、漁船に乗るとは想像しにくい。
和也が不思議に思っていると、運転する父親に聴こえないように、耳元で教えてくれた。
「学園の行事だよ。妖怪が経験していない仕事とかやってみようとか、そんな奴。僕以外全員妖怪のクラスだから、皆ピンピンしてたけど、僕には色々と無理だったよ」
科学的な要素を含まない釣りなら、妖怪でも出来るだろうが、普通の人間もいるのに敢行する無謀さは、学園長の意向が色濃く影響していそうだ。
しかし、どうも腑に落ちない点がある。
「そうそう。楠先生も僕を心配して一緒に乗り込んでくれたんだけど、あの人もずっと酔ってたな」
一年E組の担任を務める楠俊夫が宣親を無責任に放り出すのに関して、納得がいかなかったのだが、何というか、ご愁傷様である。
楠は最近白髪が一割増されていて、本気で過労死が心配されている。
和也のような補修を受ける生徒にも親身に教え、勉強の面倒を見てくれるありがたい先生だ。
学園面で非常に頼りになる先生ではあるが、その内ぽっくり逝ってしまいそうな雰囲気が生徒の涙を誘う。
思い出すだけで、和也も心も締め付けられるようだ。
車内に沈んだ空気が浸透しそうになり、宣親が慌てて声を張り上げる。
「この話は終わり! もうすぐ着くし、がんがん釣っていこう!」
楽しい楽しい釣りの時間。
暗い気分でする必要はない。
楽しんだもの勝ちだ。
「そうっすね。魚を釣ってなんぼっすから」
「はい! 俺も釣り方を覚えて、がんがん釣ります!」
和也も武蔵も気分を入れ替えて、気持ちを前に向ける。
目一杯自由な時間を満喫し、釣って釣って釣りまくるのだ。
暑さを忘れ、三人は固く誓い合う――
「釣れませんね」
「ピクリとも反応しないっすね」
「そうだね」
あれから一時間。
釣れない。
どこまでも釣れない。
太陽が反射し、銀色の波に揺れる小川。夏の風物詩である蝉の声が響き渡る。
これはいい。
ただし釣れない。
垂らした糸は川の流れに揺られるのみで、当たりが来ない。
離れた場所で釣りをしている宣親の父親は結構な頻度で釣り上げているのに、こちらには全く引きがない。
男子高校生三人組が、馬鹿みたいに並んで、馬鹿みたいに竿を持って、馬鹿みたいに簡易椅子に座りっぱなしの、滑稽な光景が広がっている。
かといって場所を変えるのは、敗北してしまったようで癪だ。
宣親の父親が釣る度に、得意顔をこっちに向けてきて、宣親も負けたくないと情熱を滾らせるので、余計に場所変更を躊躇わせる。
しかし、待てど暮らせど、魚は気配すら現さない。
強制的に訪れる静寂に耐えられるわけはなく、雑談に発展するのは、自然な事だった。
「ところで桐生君は彼女できた?」
「いえ、居ませんよ」
「おお意外な発言。桐生君ならいても不思議じゃないのに」
「好きな女の子もいませんし」
「それでもちょっと遊べばいいのに。今みたいにさ」
「結婚前提じゃないと付き合いませんよ、俺」
「今時そんな台詞を吐く男子高校生に驚きだよ、僕」
ウキに意識を集中させながら、会話を交わす。
和也も宣親も言葉の割には淡々と話すが、今までぼんやりしていた武蔵が声を荒げて、食ってかかった。
「お前からすれば女の子は選り取り見取りだもんなぁ! 楓ちゃんとは勉強会とか言って二人きりでいるし、フリーネちゃんからは名前呼びだしよ。クルミちゃんには家にご招待されてんだぜ? そりゃ余裕があるってもんだ! イケメンなんざ滅べ! 糞が!」
「……本音は?」
「羨ましいです。コツを教えてもらいたいです。女の子にモテたいです」
あっさりと白状する。
性欲の欠片も感じさせない和也と違い、煩悩全開だ。
年頃の男子高校生なのだから、女の子に好きになってもらいたいに決まっている。
「俺の場合モテてるとかじゃないと思うけど、まあ普通に接してればいいんじゃないか」
「その普通ができれば苦労しねえよ!」
乱雑に釣竿を振る武蔵。
自然に話そうとすると、変にカッコつけたり、たじろいでしまうナンパ男には、普通の振る舞い方がどうにも難しい。
どう理由をつけたところで、普通でいるというのが一番難度が高い、と忍ばない忍は思う。
そこに宣親が的確な助言を言い放った。
「身なりを整えて、些細な気遣いを心掛け、適度に共有できる話題を提供し、どんな女の子のどんな愚痴にも解決策を出すんじゃなく、ずっと共感していれば、少なくとも友好的な関係にはなるよ。延々とどうでもいい話を聞く根気があればだけど」
「無理ぃ! そんなの無理ぃ! 無駄な話とか耐えられねえ!」
武蔵は先輩相手にタメ口に戻っている事に気づかずに吠える。
理路整然とした内容だが、一気に難易度が跳ね上がった。
身なりはいい。むしろいつも気にしている。
だが愚痴を聴き続けるのは、武蔵には無理だ。
外見に反し、理系で真面目な彼にとっては、そんな事に時間を使いたくない。
好きな相手なら、超絶美少女、美女ならいくらでも聴いていられるが、常に意識し共感するというのは許容限界を超える。
実際、和也はそれをこなしているから人気があるのだろうが、性に合わない物は合わないのである。
「そう言う先輩はどうなんすか! 彼女いるんすか?」
「僕? いるよ彼女」
「ハッ。面白い冗談だ」
「いやマジだよ」
突きつけられる現実はいつだって非情で、残酷だ。
真顔の武蔵が視界に入っていない宣親は嬉しそうにはにかみながら、語りだす。
「同じクラスに毛倡妓って女の子の妖怪がいるんだけどね。最近付き合い出したんだ。恥ずかしがり屋で一年の頃からずっと髪で顔隠しっぱなしなんだけど、そこもまた可愛いんだよね」
「そうっすね」
「どうしたんだ服部君。元気ないじゃないか」
「そうっすね」
真顔を通り越し、無表情の忍者。
学園生活で普段からしていれば、もっと楽しく過ごせたであろうポーカーフェイスっぷりだ。
毛倡妓とはやたらと妖怪にモテる逸話が残る妖怪だ。
遊女の姿をし、顔は髪で覆い尽くされ、その下を窺い知る事はできないが、モデルが遊女というだけあって、一般的には美女扱いの怪異として知られている。
実はのっぺらぼうという説もあるため、宣親の彼女の毛倡妓が美人とは限らないが。
同じ妖怪でも伝承の数だけ存在するので、その可能性はあるが、いずれにしろ両隣が現実を満喫してる野郎で、武蔵の肩身が狭い。
「それしても意外だったな。武蔵が男しかいないのに来るなんてさ」
和也は思い出したかのように呟いた。
彼女、彼女、と連呼するから毎日のようにナンパでもしてるかと思いきや、貴重な一日を使って一緒に遊んでいることが、失礼ながらも意外なのだ。
対して武蔵は何言ってんだとばかりに、
「別に女の子がいないからって、誘ってくれてんだから断るわけねえだろ。どうせ暇だしよ」
せっかく友人が誘ってくれているのに、断る理由などない。
コスプレスーツを着せて喜ぶ父親は列島から離れた島だ。
手に入れた自由を満喫するのは今だけ。
男だろうが女だろうが関係なく、この時間を大切にしたいと思っている。
ただ、高校デビューでやらかしただけで、武蔵は基本的にいい奴なのだ。
「つーかお前もバイト忙しいとか言ってた割に、結構暇そうじゃん」
「色々あって、元々バイト入れる予定だった日が一気に減ったんだよ。おかげで自由な時間ができたから、こうして遊べるんだけどさ」
複雑な表情を浮かべ、水流に揺られるウキを眺める。
本来なら、今日も一日バイトのはずだった。
スケジュール表も夏休みも補習と自主勉強とバイト尽くしだったが、現在は大部分が白紙となっている。
父の智也に学生がバイトで夏休みを潰す必要はないと言われ、大幅に予定を入れ替えられた。
以前から働いているコンビニのバイトの他にも複数勤めるはずが、結局いつもの所に落ち着く羽目となったのだ。
収入も安定してきているから、和也が無理に働く意味もそこまでない。
意味はないが、より良い家庭環境で過ごしてもらいたい気持ちは大きくあった。
かといって親の言う事はもっともであるし、所詮学生の身分では限界がある。
そんな煮え切らない感情を抱えながらも、夏休みの予定を考えていると、丁度よく宣親に誘われ、リフレッシュがてら遊びに来たという感じだ。
武蔵は自分から訊いてきたのに、興味がなかったようで、適当に聞き流していた。
「そっか。まあお前にも色々あんだなー」
「補修で学校行かなきゃだけど……お! きたきた!」
引っ張られる感覚を覚え、すかさず糸を確認すると、待ちに待ったヒットがやってきていた。
喜びのあまり力任せに釣り上げたくなるが、和也の腕力でそんな事をすれば魚が空高くフライアウェイしてしまう。
待望の反応がようやく来たことにより、宣親も武蔵も慌ただしく和也に近寄った。
「力を込めて一気に引き上げろ!」
「いや丁寧に確実に、ゆっくり巻くんだ!」
「どっちかにしてください!」
両者反対の発言に、力を入れたり抜いたりを繰り返す。
まだ見ぬ強敵との一進一退の激闘の始まりだ。
武蔵の指示に従って、ぐいっと力任せに引っ張るのは怖い。
しかし宣親の指示に大人しく従っていては、逃げられそうだ。
(敵は小物。落ち着いてやれば、いける!)
意識するのはその中間。
肩の力を抜き、足腰に力を入れる。
超人的な肉体を以って、神経を研ぎ澄ませ、熱に満ちた風を肌で覚え、音を聴き、さらさらとした水の流れを感じ取る。
たった今から和也は大地に生える肉の釣竿となる。
力を入れ過ぎず、タイミングを計って、奴を水中から釣り上げる。
異世界で魔王を倒した勇者が、川魚に敗北するわけにはいかない。
目標に動きは少なく、チャンスを逃さすに一気にいけば、素人の和也にだってどうとでもなる。
逃さず、捕る。
「ここだっ!」
カッと目を見開き、勢いよく竿を振り上げた。
針にかかったそれは、和也の腕力によって水飛沫とともに宙高く舞う。
反射的に三人の視線が釘付けとなる。
そして目を離せなくなった。それほどまでに衝撃的だった。
水を弾く上質な肌。
太陽光を反射し、地を照らす。
大気を飲み込もうとする、綺麗な円状の口。
計算されたかのような、美しい曲りの角度。
こびりついた苔がチャーミングさを醸し出す。
誰もが知る有名なそれは、多種多様な種類を誇り、色も様々。
そう、それは……
「長靴じゃねーか!」
長靴だった。
「長靴だね」
水に浸かっていたにしては綺麗な、ただの長靴だった。
「ああ。長靴だな」
どうしようもなく長靴だった。
武蔵はすかさず突っ込み、宣親は落胆し、和也は降ってきた長靴を拾って、持ってきていたゴミ袋に機械的に放り投げた。
三人は顔を見合わせ、嘆息すると各々の場所に戻って、釣りを再開する。
だらだらと、のんびりと、いたずらに時間を消費する一日。
三人の少年は再度水面とにらめっこだ。
意味なんてないかもしれないが、元勇者と忍者と普通の男子高校生は今日という日を満喫するのだ。
それから数時間、昼を挟みながら、釣りを続けた。
持参した和也の弁当の半分を二人に奪われたり、あたりが来た時に足を滑らせ川に落下する忍者などアクシデントはあったが、概ね平和に過ごした。
昔と違い、地球に帰ってきてからは毎日敵襲を警戒する日々からも解放され、比較的リラックスしながら生活できている。
家族もいて、友人にも恵まれ、勉強もでき、理想的と云っていいだろう。
しかし、依然として不安定な平和なのは明らかである。
謎の学園長も当然警戒しているが、問題は牛鬼と忍者の件だ。
清条ヶ峰学園は様々な勢力に監視されていて、どんなに動きがあっても、せいぜい牽制程度と以前説明されたが、それがどうだ。
妖怪も忍者も明確な敵意を以って、平然と人命に関わる危害を加えてきた。
結局、どんな建前があろうとも、やる奴はやる。
先日の魔王から受けた勧誘も含め、そろそろ今後のスタンスは固めておくべきだ。
敵対しそうな相手から敵視されていない内に、自分の意思をどこかで示しておく必要ある。
何よりも問題なのは、学園長の支配下にいる事が現状一番無難だという事だ。
いっそのこと学園長に取り入るのも一つの手だ。
他の組織に属するよりは安定するかもしれない。
あくまで最終手段ではあるが、既にあの学園の歯車の一つにされている時点で、それが候補から外れる事はないだろう。
せめて学園長の思惑が判れば、多少は話が変わってくるだろうが。
「……今日はこのぐらいにしようか」
「そうっすね。また場所と時間を変えれば釣れるっすよ」
「まだ切り上げるには早い気もしますけど、今日はいい加減諦めた方がいいかもしれませんね」
上を見れば太陽が未だ燦々と輝いていた。
夏は日が暮れるのが早く、小さな子供はいつもより早く帰らされるが、現役高校生には物足りない時間帯だ。
しかし釣れない上に、今更場所を変更しても何だかなという気分だ。
と、そこで和也の携帯が小刻みに振動する。
着信音から判断するにメールのようだ。
片付け始めた二人に一言入れて、内容を確認する。
「先生からか。珍しいな……」
送り主は担任の楠からで、すぐに学校に来てほしいとの事だった。
楠らしく低姿勢な文面で、逆に和也が申し訳なくなってくる。
この私服姿で学園には入れないから、一度家に戻って制服に着替えるしかない。
補習は明日だし、直接会う意味を考えると、あまり良い話だとは思わないが、こんな悠長な言い方と方法なら、そこまで危険性がない話だろう。
和也は携帯をポケットに仕舞うと、片づけを再開し、急ぎ家に戻るのであった。
なお走った方が速いため、住民に見つからないようダッシュして帰って行った。




