第十二話 勇者と父⑥
どうして志すのか。
それは勇者の始まりにある。
和也を夜空の星々を瞳に写しながら、語り始めた。
「向こうに飛ばされた時さ、俺が落ちたところって戦場のド真ん中だったんだ」
和也の召喚は事故だった。
確かに勇者召喚の儀はあったが、異世界の王がダメ元で、しかも独断で決行したうえ、いい加減に執り行われたので、正しく発動しなかったらしい。
そのために、本来の召喚場所が狂ってしまい、飛ばされた場所が大きく変化してしまったのだ。
「紫色の月があったり、人が空飛んでたり、死体が転がっていたり、それはもう大混乱だった。いつ死んでもおかしくなかった」
突然地面に引きずり込まれて、視界が真っ暗になり、視えるようになってきたと思ったら、見慣れない景色が広がっている。
爆発音が鳴り響き、大地が割れ、人間や怪物が飛び回っている世界に放り込まれる。
冷静でいられるわけがない。
「ただその時に偶然逃げ遅れた人がいて、助けてもらったんだ。見ず知らずどころか敵かもしれないのに」
あのまま状況が呑み込めず、立ち尽くしていたら確実に死んでいただろう。
「言葉は通じるのか?」
「通じた。バベルの塔が崩される前みたいな世界で、神様の加護が言語を強制的に統一させるらしいんだ。実は今も影響が残っていて、外国語とか全部日本語に聞こえる」
一見便利そうだが、外国語の歌詞は日本語に翻訳され、リズムが崩れたりするし、文字は読むことはできても、書くことができない。中途半端な神様の加護だ。
「おかげで話し合うことできて、何とか冷静になれた」
言葉が通じない相手にまくしたてられたら、訳も分からず逃げ出していたかもしれない。
「助けてくれた人は、同年代ぐらいの女の子だったんだけど、最後まで俺を見捨てずに、一緒に逃げてくれたんだ」
彼女は和也の手を引っ張って、導いてくれた。
和也を元気づけようと、頻繁に声をかけてくれていた。
『大丈夫、心配ないからね』『抜け道を知っているから、追いつきっこない』『私に任せていれば万事解決!』
妙に調子のいい少女に、笑みさえ溢していたような覚えもある。
そう、呑気に笑っていた。
「俺はずっと、されっぱなしだった。俺からは何もしてあげられるず、とことこついてくだけだった」
少女は自らの危険も顧みず、和也の命を救った。
行動を共にすれば、敵に発見される可能性も上がるというのに、少女は自分の安全を犠牲にしてでも、和也を助けた。
その事実を、和也は失念していた。
「なんだかんだ無事に逃げ切って、その後は保護された。カモフラージュのために血塗れになっていて、意識も曖昧だったけど、あの時のことは絶対に忘れない」
安全地帯に逃げた後、生還を喜ぶ余裕もなく、少女は涙を流し、膝から崩れ落ちた。
助かったことに安堵したのだと、和也は思った。
そうして初めて気付いたのだ。
自らの情けさに。
同年代の少女におんぶにだっこで、気の利いた言葉一つ言えず、状況に流されていたことに。
同時に沸々と煮えたぎる自身への怒り。
自分という人間を振り返れば、必ず最初に少女が浮かぶ。
少女が和也の原点だ。
「俺にとってはあの子が勇者だった」
命が脅かされる状況であっても、他者を思いやれる心を持ち、勇気を胸に、一歩を踏み出すような人間になりたい。
そして勇気ある人を守れるような強い人間になりたい。
元の世界に帰るという理由もあったが、己を奮い立たせたのは、いつだって勇敢な少女の姿だった。
「あの子みたいになれるように。あの子を守れるような人になるために。それが始まりなんだ」
和也は懐かしむかのように、夜空を眺めながら言った。
「まあ意思だけじゃどうにもならないから、勉強もしたし体作りもした。その点コピー能力は便利だったよ」
和也は苦笑しつつ、両手を広げた。
少女を守れるような勇者になるためには、意思だけでなく力も必要だ。
だから和也は自らに秘められた異能、コピー能力を利用した。
異世界で初めて知った異能は、状況によって能力を変えられ、実に便利な代物だ。
体質同化の特性もあり、力自体はすぐに身に着けることができた。
身体強化、毒耐性、熱耐性、精神干渉の拒絶などなど様々だ。
説明を聞いて、初めは便利で羨ましいとぼやいていた智也だったが、体質同化の解説に入ったところから、顔色に影が差し始める。
「お前から意味が分からん無色のオーラが出てる理由は把握したが……」
智也は目を一瞬瞑り、覚悟を決めたかのように開くと、言った。
「つまりお前の中には別の人間の人格が入っているんだろ? 正気でいられるのか?」
智也の懸念は当たり前だ。
体質同化は永久に能力を保存できる代わりに、対象者の魂を体に刻み込む必要がある。
最近では吸血鬼ペーテル=ブロゴヨヴィッチの魂を宿し、時々会話に割って入ることもあった。
他人が中にいて記憶は混同しないのか、取って代わられないか、不安材料はいくらでも思いつく。
「当然。正気でいる自信がなきゃ、こんな力使わないよ」
和也は堂々と言いきった。
ペーテルは別として、和也の主な体質同化対象は異世界レルービアの仲間たちである。
死線を潜り抜けた仲間を信頼しているし、何より真っ直ぐな心を持っていれば、自分を見失うことはない。
「中から見張られているようなものだから、むしろ安心かな。いつも緊張感を持っていられる」
「……どこかで休まないと潰れるぞ」
「いや今まで休んでいたよ。休みすぎていたくらいだ。だから後はやり通すだけさ」
和也の瞳には強固な意志が広がっていた。
「それより今の俺が、桐生和也本人か確認しなくていいの?」
「そんなことしなくても分かる。親だからな」
智也はさも当然というように、軽く言ってのけた。
そして途端に優しい顔になって、
「理由はよくわかった。ただなぁ、お前は充分やっただろう? 世界救って故郷に戻って幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしでいいじゃないか」
世界を救う偉業。
確かに人生を飾るトロフィーとしては大きすぎるくらいで、苦労を考えれば、余生を穏やかに暮らしたって、そうそう文句は言われないだろう。
だが、そうではないのだ。
「確かに人生の一大事は過ぎたとは思うけど、少し考えてみてよ」
和也はわざとらしく、たっぷりと間をとって言った。
「俺、まだ十代だし。のんびり暮らすとか当分先でいいなって」
ああ、と智也は素直に納得の声を漏らした。
和也はまだ二○年も生きていないのだ。
余生なんて考え方自体まだまだ早い。
「それに心配しなくたって、皆がついてるから」
和也がそう言った直後、胸の奥から爆発的に膨れ上がる熱さを感じた。
中の人達が和也の想いに反応しているのだ。
温かく、頼もしく、力強い、大切な仲間達がこうして見守ってくれている。
どうやら智也には視覚できたようで、反射的に後ずさっていた。
どんな色に視えたのだろう。
気にはなったが、敢えて聞かなかった。
たとえ暗い色だったとしても、彼らへの信頼が揺らぐことはないのだから。
「……心配なさそうだな」
智也は穏やかな表情で言った。
それに笑顔で応えると、智也は和也の肩に手を置いた。
「だけどやめたくなったら、いつでも帰ってこい。俺達は変わらず待っててやるからな」
「結構いいこと言うじゃんか」
「ただし大学には行け。正しく在りたいのなら、教養は深めるべきだ」
「うん。高校の範囲はだいたい覚えたから、今は大学レベルの勉強してるよ」
「やることが早いな。本当に早いな……」
高速戦闘でも思考が出来るようになっているので、脳まで強化されているのは疑いようのない事実だ。
この頭脳を十全に活かすために、勉学に励まなければならない。
楓のおかげで随分学ぶことができたが、まだまだだ。
和也は強い決意を胸にし、頷いた。
「それと正義感は程々にな。やり過ぎは悪と変わらん」
「いつも心掛けてるよ。……父さんこそお酒の飲みすぎには気を付けてくれよ。仕事終わって帰ってきたら、いつも飲んでるじゃないか」
「頭が痛くなる話だな。これでも昔よりは抑えているんだがなぁ」
「本人の基準で増えた減ったはアテにならないよ。母さんにしっかり管理してもらったらどう?」
「いや、真美にやらせたら逃げ場が……俺の楽しみが……」
智也は俯き、眉間に皺を寄せた。
どうやら酒の増減は死活問題らしい。
和也は未成年なので呑めないが、いずれ親と酒を酌み交わすことができたらいいな、と思う。
緩やかな空気に包まれるなか、智也が突然思い出したかのように言った。
「そういやお前、好きな女の子はいるか?」
「…………」
「ちゃんと青春しているみたいだな。学園も楽しんでいるようなら安心だ。で、その女の子名前は?」
「父さんに言う必要はないね」
「まあ怒るなって」
智也がニヤニヤしながら脇腹を小突いた。
何が悲しくて父親に自分の恋愛事情を話さなければいけないのか。
和也は断固拒否の姿勢を示し、智也の手を払う。
話もまとまり、宿に戻ろうとするが、中から小さな影が飛び出してきた。
「あ、いたいた! 緊急事態なの!」
野衾が和也の顔面に飛びつく。
これでは会話のしようがないので、片手でつまみ、顔から引き剥がした。
「あんた……和也様にお願いがあるのです」
和也は無言で続きを促した。
しおらしい態度に驚くよりも先に、瞳の奥にある恐怖を感じ取ったのだ。
「実はあたし、とある恐ろしい妖怪を目撃してしまったのです」
野衾は言った。
気ままに山を飛んでいると、突然全身が凍るような寒気を感じた。
近くに野衾の命を用意に刈り取る怪物がいるのだと、すぐに分かった。
心臓を掴まれた感覚に襲われながらも、木々の間を縫うように飛び、そして見たのだ。
「体が滅茶苦茶に溶けた猪と、狂ったように笑う妖怪……あの大妖怪牛鬼がいたのです」
野衾は全身を震わせ、絞り出すかのようにして言った。
牛鬼は和也もよく知っている。
頭は牛で、胴体は人間。
酸性の毒を分泌し、毒を浴びた者はことごとくが溶けて殺される。
伝承によっては蜘蛛の体を持っていることもあるが、楓と因縁のあった牛鬼はこの姿と能力だった。
妖怪は跡形もなく木端微塵にされて殺されたとしても、人間が覚えているのなら、必ず復活する。
記憶は全て消え、新たな個体として生まれるが、有名な妖怪は実質不死と言える。
「人里に下りてくるのも時間の問題でしょう。どうか、忍者の方々に伝えてほしいのです」
野衾は神妙な面持ちで頭を下げた。
そして恐る恐る和也の様子を窺うが、
「それを先に言ってくれよ。場所は?」
和也は考える間もなく、即答した。
野衾は意外だったのか、目をぱちくりさせていた。
「へ、あなた様が戦うので?」
「ああ。牛鬼なら前にも戦ったことがある。頭は牛で胴体は人間のタイプの個体だけど」
「ええ、その姿形をした牛鬼で間違いありませんが……本当に和也様が滅されるのですか? 忍者がやるのではなく」
「危険が迫っているのなら、早めに対処しないと。プロの人にも連絡はするけど、たぶん悠長に待ってはいられないと思うから、俺がやる」
駈け出そうとする和也を、智也が呼び止めた。
「気を付けろよ」
「気を付けるよ。夕飯までには戻ってくる」
短いやり取りだったが、それで充分だった。
和也は冬の闇夜を駆ける。
「……あのあたしも連れていくんですか?」
「当たり前だって。さすがに父さん達だけに任せられない」
「……ですよね」
がっくりとうなだれる野衾を抱え、今度こそ闇夜を駆けた。




