第十話 元勇者VS妖怪
本作は学園ほのぼのコメディではありません。
学園バトルファンタジーです。
シリアスも含まれるのでご注意ください。
異能者。
読んで字が如く、物理法則を超えた正体不明の力を扱う存在。
手から火を出したり、空を飛んだりと色々な現象を起こせる。
身体能力も一般的な人間と比べると高い水準だ。
彼らは数の少なさから世間に認知されずに、人目を気にして社会に浸透している。
そんな異能者達だが、時が経つにつれ、ただでさえ少ない数をさらに減らしていった。
人口の減少の理由は未だに不明。異能者について判明している事あまりないためだ。
今では世界中で千人いるかどうかしかいない。
そして人間を超える力を誇示することもない。
なぜなら妖怪という異能者より遥かに強力な怪物がいるからである。
異能者も人間の範疇を超えているが、あくまで人間と比べての話だ。
彼らの戦闘能力は一般的にはいくら強くとも中位妖怪と同レベル。
中位妖怪は世間でもそれなり、もしくは地域限定ながら根強い知名度を誇っている異形達だ。
それも一対一に限られ、複数に囲まれたら勝目は薄くなる。
下手に上位妖怪に目を付けられると、生き残る術はない。
桐生和也は異能者だ。
中級が数体いるだけで人生終了のお知らせになりかねない高校一年生は今。
「経立、野槌」
三体の化け物と対峙していた。
野太く低い。性別は男であろう大柄の人物が両隣の二体に命じる。
経立と呼ばれた影はコートを脱ぎ捨て、固めた茶色の体毛を露わにする。顔つきは人間的になった強面の猿。手には鋭そうな日本刀。
野槌と呼ばれた小柄な影は、灰色の肌でのっぺらぼうのように目鼻がない。ただでさえ気持ち悪いのに、頭の上に大きな口。
人間離れした化け物。日常に潜む闇の存在。
「……妖怪、か」
楓たちを見送ったあと、いつまでもついてくる奴らをどうにかしようと誰もいない広場にやってきたらこれだ。
地面はレンガで敷き詰められ、中央には噴水の、最近よく行く広場。
異形との距離は一〇メートル程離れている。
アクションを起こされても反応できる。
殺す気満々の異形相手にいつでも戦えるよう、一定のリズムで呼吸を刻みながら構える。
フードで表情の読めない謎の大柄の妖怪であろう人影は和也に、
「まあ待て小僧。こちらは今のところ戦いに来たわけではない。話をしにきただけだ」
月光に暗闇を照らされる中、諭すように、それでいてバカにするように言った。
鵜呑みにする馬鹿ではないから、警戒の意識を絶やさず、言い返す。
「話? 俺はあなた方と話す事なんてありませんが」
「そうなるだろうな。だがお前に理由はなくともこちらにはある」
「ならそこのお猿さんの刀をおろしてくれませんかね? 話をする態度じゃないと思うんですが」
「あぁ?」
経立は青筋をたて、刀を握る手の力が強める。
短気で冷静さを欠きやすい性質。
妖怪であることから筋力もそれ相応。油断はできない。
大柄の男は右手を上げ、
「経立、下ろせ」
「だけどよ兄貴、コイツ異能者だぜ? 情報じゃ異能は劣化コピーとかいう雑魚みたいな能力だ。脅せばどうにでも……」
「我らは妖怪だ。多少は弱き人間の意思を尊重してやれ」
「そうだよ、経立。愚鈍な人間のお願いぐらい聞いてあげようよ」
野槌の声は幼い子どものようだ。
グロテスクな口のわりに饒舌に喋る。
もしかしなくとも人間を馬鹿にしていた。
楓という前例があるため、同じ妖怪とは思えなかった。
彼女は口下手だったが、分け隔てなく接していた。
経立は和也をにやつき、見下しながら、刀を鞘に収める。
「へいへい。わーりましたよ。これでいいな異能者」
「そうですね……」
和也が異能者であることを知っている。
能力もバレている。妖怪が言った事は正しい。
和也の異能は『劣化コピー』で合っている。
あの態度からして能力の性質はわかっていないようだが。
わかっているなら、こんな下手な交渉なんて考えられないからだ。
それでも情報はいくらか漏れているのは確定的。
辛うじて勇者だった事実は分かっていないようだ。
張りつめた緊張感の中、破綻した話し合いは続けられる。
「それで? ただの異能者にお強い妖怪様が何の御用ですか?」
「簡単な用件だ。素直に応じてくれればすぐに済む」
兄貴と呼ばれる大男は真面目な口調で、
「楓と呼ばれる妖怪をこちらに引き渡してもらいたい」
「…………」
嫌な汗が頬をつたう。
妖怪が和也に接触を持った時点で、楓関連の事柄だとはうすうす感じていた。
もしくは武蔵。彼も忍だが、妖怪と関わりがある。
妖怪達の目的が楓だと判明しても事態は変化しない。
それに詳しい目的がはっきりしていない。
和也の勘違いで悪いことなんて一切目論んでいない可能性もある。
「どうしてですか? 彼女が何か問題を起こしましたか?」
「お家の事情だ」
「それだけ?」
「お前に説明したところで無駄だ」
「そんな説得力の欠片もないのじゃ納得できませんね」
「妖怪の問題だ。お前には関係のない話だ」
「こうして俺に頼っているのに?」
「…………」
急に黙り込む大柄の男。
どうにもきな臭い。核心も何も言おうとしない。
雑魚の異能者だと舐めきって、力づくで丸めこようとしている。
妖怪がどんな思惑を抱えて和也と接触したのか。
どうして楓を求めるのか。
疑惑の念を絶やさず、和也は追求する。
「まず俺に接触した理由は? 立花さんを連れて行くため? 違いますよね? あの学園には二年にも三年にも妖怪はいる。なのになぜ異能者の俺なのか。同じ妖怪同士なら話も早いのに。考えられるのは、ここに通っている妖怪とは仲が悪いか、学園側が許可をしない、の二つ。そこから――」
「ごたごたうるせえな! てめえは黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ!」
経立が苛立ちを隠しもせずに怒鳴る。
せっかく収めた刀を今にも抜きそうな勢いだ。
経立だけではない。他の二体も穏やかな雰囲気が感じられない。
彼らも同様に苛立っている。
「そうだよ。君はそんな些細な事を気にしなくていいんだよ。楓を騙してでもいいから、おいら達のところまで連れてきてくれればいいんだよ」
「……それはあなた方が黒だと自白しているようですが」
「だって遊びみたいなもんだもん。中位二体に上位一体、君に最初から選択権なんてないのさ。ほら明日にでも楓を連れてきてよ。友達なんでしょ? 朝からずっと見てたんだ。それぐらい朝飯前でしょ」
「つーわけで、わかったか? お前は俺らの言うこと聞いてりゃいいんだよ。そうだ、誰にもこのことは言うなよ。もしバレたらテメエを殺してやるからな!」
妖怪三人組は最初から話し合いなんてする気はなかったのだ。
暇つぶしの遊び。素直に応じても、断っても結果は変わらない。
楓を彼らに引き渡すように手引きさせられるだろう。
激しい嫌悪感が和也を支配する。
こんな下衆が楓を欲している。渡したら、その先どうなるかなんて、簡単に想像がつく。
爪が手に食い込むほど強く拳を握る。眼光には明確な殺意が宿る。
「おいおいなんだその目は? 調子乗ってんのか?」
「……目的は?」
「は?」
「目的はなんだと言っている」
「目的? 楓は妖怪の中でも『特別』なんだよ。ま、可愛い顔してるし、利用価値がなくなったら美味しくいただこうかなぁ」
下品な笑い。大柄の男も野槌も似たりよったりで、馬鹿みたく笑っている。
静かに腹の底から煮えたぎる感情。怒りだ。
あの妖怪共は和也が素直に渡すものだと思っている。
異能者は奴らにとってはその程度。
数がいれば脅威に値しない弱者。
遊んでいたメンバーで一番弱いと判断されたのは和也。
情報も得ての選択。
まずは。
「……そうか。ロクでもないことに立花さんを巻き込もうとしているのはわかった」
抑えてきたものがダムの水のように溢れ出す。
「断っても半殺し、バラしたら殺される。よくわかった」
それでいて紡ぐ声は静かだ。
「わかってんなら、とっと行動しろよ。つうかお前うぜえわ。やっぱここで遊んでやろうか。兄貴いいすか?」
「いいだろう。程々にしろよ。大きな騒ぎになると面倒だ」
「わーってますよ。んじゃ、やるか」
経立がへらへらと隙だらけの体で歩いてくる。
刀も抜いていない。
舐めきっている。
弱いものを嬲る目だ。
自分が上の存在だと信じて疑っていない目。
和也はそういう目をよく見てきた。
異世界での戦いはいつも格上との戦いだった。
和也の異能『劣化コピー』。
触れた相手の能力をコピーする。
ただし出力も範囲も見かけも劣化する。
どうあがいても敵より弱くなってしまう能力。
ストックできる異能も二つまで。
新たにコピーしようとすると古い方から消えてゆく。
身体能力だって遥かに下回っていた。
それでも生き残ってここにいる。
どうしてか。
敵が油断していたのも理由の一つだ。現に目の前の猿は油断しきっている。
隙だらけだ。
それに――
「んじゃ、まずそのむかつく顔を歪ませてやんよ! せいぜい逃げ回ってくれよ。この広場の中限定だけどな!」
経立は和也が恐怖で動きないと勝手に思い込んでいる。
浅はかだ。
茶の体毛に覆われた剛腕は顔面に迫る。
他の二体も和也を憐れむように眺めている。
このまま殴られたら奴らの笑い物だろう。
「なっ!」
振り下ろされた拳を右手で受け止める。
人間の力では本来受け止めるなんて所業は不可能。
だが和也をそれを難なく可能とする。
掴んで、絶対に離さない。
いくら力を込めても意味はない。
後ろにいる者たちにはどういう状況かわかっていないだろう。
散々馬鹿にしていた人間に受け止められるなんて現実は、想像もつかないだろうから。
「経立ぃ。遊ぶのもいいけどしっかりやんなよ。見てるこっちはつまらないよ」
「ちげえよ! やけに力が……っ!」
あがいて抜け出そうともがく。異常事態に焦り始めたのだ。
和也が普通の異能者なら力負けするなんてありえない。
妖怪とはそういう存在だ。
異能の正体が判明しているのにこの有様。
ゴミ扱いの人間にこの体たらく。
焦りもここに極まり、ついに空いた手で腰の刀を引き抜く。
月光に煌く刀身。ひと振りで命を奪う凶器。
襲い来る斬撃を見極め、掴んでいた経立の手を軌道上に軽く放った。
「うぁぁぁあああっ! 俺の右腕がぁああああああああ!」
闇雲に振るわれた凶剣は右腕に食い込み、切断面から綺麗な薔薇を咲かせる。
和也は咄嗟に体を半歩ずらし、無傷だ。
腕が宙ぶらりんになる激痛に強面の顔を歪ませ、膝をつき傷口を抑える猿妖怪。
痛みに悶えても、殺意は消えていない。
むしろ殺意に満ち満ちている。
人間とは比にならない年月を生きている妖怪だけに、精神力もなかなかのようだ。
しかし人間を甘く見積もり過ぎたのは失敗だ。
いや人間、ではなく和也を。
和也はとうの昔に人間の体の構造をしていないのだから。
「ちくしょうがぁあああああ!」
怒りで我を忘れ、日本刀を突き出し、突進。
吹き出した血など顧みない。
それを左に一歩避け、醜い頭部を右手で鷲掴みにする。
突進による勢いを完全に殺す。
続けざまにレンガの地面に後頭部を叩きつける。
レンガが砕け散る音ともに、肉がちぎれたような感触があった。
まだ経立は生きている。
頭部の表面に石の破片が突き刺さったぐらいで死ぬ生命力ではなようだ。
視界が空中を向き、何が起こったかわからず、目が泳ぐ経立に冷たく告げる。
「……せいぜい逃げ回れよ。広場限定だけど」
――勇者、桐生和也。
彼の異能はただの劣化コピーでしかない。
だからこそ、弱さを補うために肉体を強化しないはずがない。
たとえ、それがまともな方法だとは言えないとしても。
「経立!」
野槌が人を丸呑みできそうな大口で地面のレンガを噛み砕き、吸い込んで破片をマシンガンのように射出する。
妖怪だけあり、できる芸も人間離れしている。
だがそれがどうしたというのだ。
赤っぽいレンガの弾丸をステップの要領で躱すついでに、下で苦痛で倒れこむ猿の刀を足で宙に蹴飛ばし、拾う。
時に刀で弾き、拳で砕く。
一様に同じ動作しかしないため
大柄の妖怪は野槌から離れ、静観している。
様子見かそれとも別の思惑か。
そちらはさておき、まずはこのグロテスクなブヨブヨの灰色生物を片付ける。
「なんで当たらないんだよ、どうなってるんだよ! ただの異能者だろう!」
「悪いね。ただの異能者じゃないんだよ」
野槌が放つ破片の連撃を全て凌ぎ、距離を一歩、また一歩と詰めていく。
和也の動体視力は人間のそれを遥かに凌駕する。
上位妖怪と比べても遜色ない。
異世界で必要だったスキルは、いかなる状況でも冷静に対応できる判断力と、いかなる敵にも対応できる万能性。
たかが音速に迫る速度で、レンガの機関銃程度で、足を止める勇者ではない。
新たにレンガを取り込もうと一時攻撃を中断する野槌。
その隙を逃さす、一瞬にして間合いに踏み込む。
身体能力も人間の比ではない。
刀の使い方に関しては素人のため、胴を突き刺し、薙ぎ払う。
黒く濁った血が腹から吹き出し、地に倒れ伏す。
情けは存在しない。あるのは明確な敵意。戦いにおいてためらいは死に直結する。
「ふう、それで? あなたはどうするんですか? 他の二人は辛うじて生きてますけど、早く手当しないと危ないと思いますよ」
血がつかないよう配慮した、白いパーカーを整えながら、静観を決め込んでいた大柄の男に言う。
経立は右腕をなくし、後頭部に裂傷。
野槌は腹を裂かれている。
対してフードを深く被ったまま、無言を貫く大男。
仲間が半殺し状態。反応の一つや二つあってもいいのに、関心の一つも示さない。
このまま立ち去っても構わないのかもしれないと思い始めたころ、ようやく重い口が開く。
「異能で妖怪を上回る能力を得たのか……いや何よりも戦い慣れているな。それも実力者だとみえる。お前は何者だ?」
和也は返事の代わりに、牛鬼を鋭く睨む。
「……答えないか。だが俺としては嬉しい誤算だ。この時代の人間に強者がいるとはな。長生きもしてみるものだ」
嬉しそうに喉を鳴らす。
戦闘狂は戦闘狂らしく、もっと強い連中と戦えばいいものを、わざわざ和也に狙いを定めたようだ。
「今回はここで終わりとしようか。一度方法を考え直さなければな。我らの接触はもはや隠しようがない」
「あなたは戦わないんですか?」
戦闘狂発言をしていた者とは思えない台詞だ。
しびれを切らして自ずから突撃してくるものだと身構えていたが、冷静な思考のようだ。
「俺としては殺り合いたいんだがな。そこに転がっている奴らを放っておくわけにもいかん。巻き添えで死ぬなんて情けない死に方はそいつらも御免だろう」
男は倒れている経立と野槌を見やる。
自分本位の考えだが、仲間を思いやる心はほんの少しばかりあった。
もちろん逃がすつもりなど毛頭ない。
いらぬ因縁ができる前に片をつけるに越したことはないからだ。
(野槌の言葉だと中位二体に上位一体らしいから、リーダー格のこいつが上位妖怪だろう)
上位となると和也でも聞いたことがある名前だと武蔵は言っていた。
知名度が強さの源の妖怪。その中のトップクラス。
楓の細腕ですら人間をミンチにできると専門家の忍者が述べていた。
コートの外からでもくっきりとわかる太腕。
人間があれで殴られたらミンチどころではない。 和也は例外だとしても驚異の威力だろう。
「逃がすつもりはない。あなたはここで潰す」
和也は脅しでもなんでもなく、宣告する。
優勢とは言えない状況だが、大柄の妖怪は不敵に笑う。
「いいや潰されない。こうやってな!」
手を懐に入れ、子どもの手に収まりそうな小さな黒い玉を取り出す。
上位妖怪は間髪いれずに、黒玉を真下に投げつけた。
球体が破裂して、中からおびただしい量の辺り一帯を覆い尽くす白い煙が発生する。
突発的な出来事だけに反応が遅れる。
その僅かな遅れが妖怪達に逃げる隙を与えてしまう。
とはいえ、やられっぱなしになる勇者ではない。
目は役に立たない。ならば耳と感覚だ。かすかな気配と物音を頼りに、奪った日本刀を人間離れした筋力で投げる。
「ちっ!」
上位妖怪の野太い声。
感触からしてヒットしたらしい。
煙に紛れて仲間を回収しているようだが、それが災いして気配の察知は容易かった。
だがここまでだ。煙が晴れない限り無闇に攻撃はできない。
罠の可能性もあるからだ。
場所が外のおかげで、幸い煙は数十秒で晴れる。
わかりきっていることだが、妖怪達の姿はなかった。
倒れ込んでいた経立も野槌も上位妖怪もだ。
姿は見えないが、空気を伝うように、どこかから上位妖怪の声が和也の耳に届く。
「まさかあの濃い煙の中で反撃を喰らうとは思わなかった。お前との戦いがますます楽しみだ。ではこれで去らせてもらう。そうだ、この際楓に伝えてくれ――」
暗闇を月と街灯が照らす空間で、静寂を切り裂く声は言う。
「――俺が、牛鬼がお前を待っているとな」