↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小田氏治の異世界転生、転移  作者: M


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/15

手這坂当日

手這坂当日。史実の三敗因——坂を下りる、城を空にできない、初見の鉄砲で崩れる——を、転生側が逆手に取る。岡見は全部は出さない。一部だけ出す。

手這坂異聞――踏まぬ坂、空の城、先にある火

永禄十二年十一月二十三日の未明、筑波の東は白い息を吐いていた。

手這坂は、名のとおり手が先に着く勾配だ。下れば射線が死ぬ。上がれば空になる。史実の小田氏治は、三千をこの腹に流し、岡見治資を先鋒にし、真壁の三十挺に総崩れした。城へ戻れず、土浦へ落ち、翌日に本拠を失う。

転生した氏治は、坂の上に立たなかった。立ったのは地図だった。炭で引いた線の先に、坂がある。線のこちら側に、空の小田城がある。線の肩に、三十挺の防雨式が散っている。

「坂は相手の場だ。踏むな」

岡見治資が色をなした。一門の誇りが、釘を抜けと叫ぶ。片野を取れ、柿岡を焼け、越えて北郡を返せ、と。朱羅は南蛮兜の面頬を上げず、火縄だけを赤くしていた。

「全部は出すな。出すなら、坂の腹ではなく、坂へ至る道の肩だけだ。先鋒は五十騎まで。鉄砲は持たせるな。持たせれば、相手の三十と並んで的になる」

五十。三千の先を、五十に削る。治資の目が怒った。だが氏治の声には、山王堂の夜と同じ切れがあった。人が残れば城は戻る。一門が坂で死ねば、戻る手が無くなる。

治資は五十を選んだ。義綱は残した。残す方が、家が残る。朱羅はそれを「一部だけ出す」と短く呼んだ。出す者には、白の布を持たせた。白は引け。赤は撃つな、道を汚せ、ではない。今日の赤は使わない。今日の主戦場は、坂の上ではない。空の城と、道の肩だ。

小田城は、夜明け前に空だった。

旗は残した。壁は崩れたまま。検分の古い禁は、もう誰も見に来ないが、思想は残っている。見えるものを厚くせず、中身を先に奪う。米、硝石の封、名簿、軽機関銃の箱。箱は井戸の闇へ戻した。雹を坂で降らせれば、坂の名が未来の名になる。今日使う火は、常陸の土から出した三十挺だけだ。

配置は前夜のまま。

土段の陰に六。城下へ伸びる指用。

藤沢に八。退く道。

土浦に六。菅谷。

尾根の窪に六。片野へ通る肩。

丘の谷に四。種を守る。

同時に開ける火は八つまで。三十は、欠けても面が残る数だ。

太田資正は片野で、すでに鉄砲を数えていた。真壁が三十を揃えたという噂は、こちらが先に蒔いた種の裏返しただ。史実では、その三十が常陸初の実戦になる。今夜の常陸では、初見は小田の側ではない。初見で崩れる側を、先に替えてある。

岡見の五十は、霧の薄れる頃に坂へ至る道の肩へ出た。

坂そのものには足をかけない。かければ、対岸の尾根から筒が見下ろす。治資はそれを嫌ったが、嫌うより先に、道端の杭が欠けた。朱羅の窪の六挺が、五十の前ではなく、五十の横の空を撃った。合図だ。相手にも聞こえる。聞こえた先で、真壁の火蓋が切れる。

三十の音が、坂の腹を転がった。史実なら、その音で三千がすくむ。今日すくんだのは、五十の馬だけだ。すくんで、白の布が上がる。治資は歯を食いしばり、坂を見ずに退いた。一騎が落ちた。筒に当たったのではない。霧の足場だ。人は残った。一門の名も残った。

真壁と太田は、坂の上で待った。待たされる側が、待たされる理由を探す。敵の本隊が見えない。見えるのは煙の位置だけだ。煙は、撃った場所に残らない。面の鉄砲の古い癖だ。資正は老将だ。岩槻を追われた男は、空を掴む感触を知っている。

「小田は、坂に来ぬ」

短く言ったかどうかは、後世の書には残らない。残るのは、坂の上が空振りしたという事実だけだ。

同じ時刻、梶原政景の手が小田城下へ回った。史実なら、本隊が坂で死んでいる間に城を取る。今日、門は開いていた。中は静かな旗だけだ。火を放っても、米は無い。人は無い。井戸の蓋は、土にまみれて見えない。政景は城を取った。取ったものは、修復を禁じられた空殻だった。

土段の陰の六挺が、門前の杭を二本欠いた。入城の列が一度止まる。止まるだけでよい。追わない。城は渡す。渡した城に、種も人も置いていない。

昼、手這坂の上で法螺が鳴った。誘いだ。下りて来い、という音だ。氏治は藤沢の櫓で、その音を聞いた。無線は切ったまま。電池は丘より高い。使うなら、坂ではなく、次の空城の夜だ。

朱羅が戻ってきた。南蛮胴に霧が光っている。火縄は半分ほど短い。六挺で四発。不発一。残弾は封の色で足りている。

「五十は戻った。治資は怒っている。だが生きている。義綱は土浦にいる」

「城は」

「旗だけが燃えている。井戸は気づかれていない」

氏治は頷いた。史実の敗因は三つだった。坂を下りたこと。城に中身を残したこと。鉄砲を初見にしたこと。今日は三つとも踏んでいない。坂は相手の場のまま。城は空。鉄砲は、相手より先に面になっている。

勝ったわけではない。片野も柿岡も、釘のまま残った。小田城の石は、また佐竹の名を帯びる。だが人が残った。硝石の丘が残った。三十挺の半分が、まだ閉じて残った。不死鳥の羽は、焼ける城ではなく、残った手数の側にある。

夜、岡見治資が藤沢に入った。刀の柄が震えていた。誇りが、空振りした坂を許さない。

「殿は、戦わぬのか」

「戦った。場を選んで戦った。選ばれなかった場で死ぬのが、かつての私だ」

朱羅が火皿を拭った。煤が黒い。常陸の土から出した塩の色だ。

「真壁の三十は、坂の上で弾を費やした。こちらの三十は、道の肩で四発だ。次に城を取り返すとき、弾の差が残る」

治資は黙った。一門の死に場所を、今日は渡さなかった。渡さなかったことが、後々、家中の割れ目にもなる。割れ目は、信太を粛清する史実の冬より早く来るかもしれない。だが今夜は、人が残ったことを先に数える。

遠く、空の小田城で火が低い。修復せざる壁は、燃えても形を変えない。形を変えるのは、城の外に散った面だ。

井戸の底で、現代の箱が闇に沈んでいる。雹は、まだ降らない。降らせる夜は、坂の名を未来に売らぬときに限る。

常陸の十一月は深い。踏まぬ坂の上で、真壁の火縄が消えていく。消えたあとにも、釘は残る。釘と、空の城と、生きている一門と、三十の閉じた火蓋。それが、手這坂の当日に残した種だった。

不死鳥は、翼を畳んだまま、土浦と藤沢のあいだを歩いていた。

次は、空になった小田城をどう奪い返すか(史実ではこのあと戻らない、という定説をどういなすか)、あるいは信太の亀裂と岡見の誇りを家中編で処理するか、どちらにも折れます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。