乙女ゲームのヒロインに転生したので悪役令嬢を幸せにします!
「ダリア、ご機嫌よう」
「リリーローズ様。ご機嫌よう」
王宮のとあるサロンにて。私はリリーローズ様へと頭を下げる。
「それでは早速始めましょう。」
「はい、宜しくお願い致します!」
私の女神様は今日もお美しい。弾むように答えれば、ドンッと分厚い本と書類が次から次へとサロンへ運び込まれた。
「今日は諸外国との外交の歴史と現職の各国大使についてお話し致しますわ。」
ニッコリと笑うリリーローズ様は本当に天使のようなのだけれど。私の笑顔は幾分か引き攣った。この女神様、こと教育に関してはスパルタ女王様なのだ。
「まずはこの本を暗記して頂けるかしら。」
その細腕のどこにそんな力があるのか、ズッシリとした本を私に差し出すリリーローズ様。
推しから逃げ出したいと思う日が来るなんて。引き攣った笑顔のまま本を受け取ろうとして、その重さに腕が抜けるかと思った。
王都が悪魔契約者により闇魔術の被害を受けたあの日から、数ヶ月。
私達は平和な日々を過ごしていた。
崩壊した街は聖女である私の再生魔術によって元に戻り、負傷者は出たものの、大きな被害は残らなかった。
リリーローズ様は帝国への輿入れが決まってはいるけれど、ライの配慮で学院卒業まではルキアで過ごすこととなり、その間に私の王太子妃教育の講師を引き受けてくださることになった。
憧れのリリーローズ様の授業に小躍りしたのも束の間、あまりのスパルタぶりに冷や汗を流したのは初日のこと。
以来私にとってこの時間は、推しに会える幸せとスパルタぶりに恐怖する、とても複雑な時間だった。
「今日のところはここまでに致しましょうか。」
3時間みっちりと扱かれて、漸く及第点を頂き一息つく。スパルタの後のリリーローズ様は、普段の優しい雰囲気でティータイムを用意してくれる。
学院の授業より聖女の特別訓練より余程厳しい特訓を受けた後のこの時間は正に至福の時。推しとお話ししながら過ごせるんですもの。
それにしても。こんなに大変な教育を幼い時から受けてきたリリーローズ様はやっぱり凄い。私はアレク様を愛しているし、何より教えてくれているのがリリーローズ様だから耐えられているけれど。
好きでもない奴と結婚する為にここまで頑張ってこられたリリーローズ様に心から尊敬し直してしまう。
私の王太子妃教育用に用意されたサロンでお茶をしていると、入口付近が騒がしくなる。何かしらと目を向けると、小さなお客さまがいらっしゃった。
「りりぃさま、だりあさま!」
「あら、ミハイル様。ご機嫌よう」
眩しい金髪に、煌めく碧眼。まだ舌足らずで辿々しい喋り方の小さな男の子。
「レディのお茶会をお邪魔してしまい申し訳ない。」
追いかけて来たのか、後から現れたのは王弟のサンジェルマン侯爵。
「ちちうえ!」
侯爵に向かって無邪気に手を伸ばす純粋そうなこの男の子は、王族特有の碧眼を陽光に煌めかせて微笑んだ。
その顔は、あの事件で悪魔と共に消滅したとされているテオバルド元王太子に瓜二つ。
あの日。テオバルドは、私の浄化魔術によりその殆どが消し飛んだ。しかし、辛うじて在った良心部分を掻き集めて何とか消滅だけは免れた。が、残った部分が少な過ぎたためか。純白の魔力に浄化された後のその姿は、言葉も話せない乳幼児まで逆行してしまっていた。
王家の中で話し合いが持たれた結果、テオバルドは死んだ事と公表され、王室籍から除外されることとなった。そして王族特有の特徴を持つものの、記憶を失くし純粋無垢な子供となったテオバルドを預かる事になったのが、王弟のサンジェルマン侯爵だった。
こうしてサンジェルマン侯爵の私生児として育て直される事となったのがテオバルドことミハイル。最近言葉を覚え始めたばかりのその瞳はキラキラと輝いて、テオバルドだった頃の傲慢さは何処にも無かった。
お願いだから今度はあんなクズ男には育たずに、このまま真っ直ぐ善良に育ってほしい。
ミハイルは王位継承権は限りなく低いものの、王族の血を引く子として王宮でも様々な教育を受けている。私やリリーローズ様も教育の一環として挨拶の練習台になったりしているので、私達を見つけて嬉しくなり、駆け付けて来たようだ。
こうして時々王宮に来るのは王族教育の為と、もう一つ。
「あにうえ!」
ミハイルが駆け出した方に目を向けると、私の未来の旦那様が居た。
こちらに向かってきたアレク様は、私達の姿を認めると目元を緩める。そして、駆け寄って来たミハイルを軽々と抱き上げた。
「ミハイル。息災か?」
「はい!」
あの日、テオバルドを助けて欲しいと私に懇願したアレク様は、償いのようにミハイルに優しく接している。その目は後悔と慈愛に満ちていて、こうしてミハイルと過ごす時間をわざわざ作る程だった。
そしてミハイルも、今や兄のようにアレク様を慕っている。ミハイルがアレク様を兄上と呼ぶたびに胸が騒つくけれど。アレク様がそうしたいと言うのなら、私は全力で彼の意志を尊重するだけ。
「折角なので、皆さんの分もお茶を用意しましょうか。」
侍女に目配せして、私は追加のお茶を手配した。
サンジェルマン侯爵からミハイルの教育や近頃の様子について聞き、和気あいあいと過ごして、侯爵とミハイルは王宮を後にした。
「ダリア、アレクセイ殿下。お迎えがいらっしゃったので、私も失礼させて頂きますわ。」
残った私とアレク様に、リリーローズ様も席を立って退出の礼をする。入口を見ると、確かに。過保護な皇帝陛下がお迎えに来ていた。傍にはピンキーまでいる。
帝国で即位したばかりの忙しい新皇帝ライアネル陛下ことライは、未来の皇后であるリリーローズ様が相当大切なようで。忙しい政務の合間を縫ってはお忍びでルキアを訪れていた。
と言うのも、リリーローズ様が心配で堪らないライの為にアレク様が移動魔術を伝授したのだ。…最高峰の高度魔術を教える方も教える方だけど、教わって実践する方も大概よね。と言うかますます2人の仲が深まって面白くない。
見送る私達に微笑み、ライと共に王宮を後にするリリーローズ様。公爵令嬢と護衛騎士だった頃は離れていた距離が、今はぴったりと隣に並び寄り添っている。その姿は幸せそうで。ライを見上げるリリーローズ様の表情は、テオバルドの婚約者だった時には見た事が無いほど穏やかだった。
「私はリリーローズ様を幸せにできたのでしょうか」
思わず溢れた呟きに、アレク様がこちらを向いた。答えなんかがあるとは思っていなかったけれど。彼は優しく私に手を伸ばす。
「…ダリア。時間があれば、少し歩かないか?」
「はい、喜んで。」
アレク様が連れて来てくださったのは、王太子宮にある水晶庭園。
ゲームの中でもロマンチックだと人気だったスポット。
「平和だな。」
「そうですね。」
水晶でできたベンチに座り、花々で彩られた庭園を眺める。とても穏やかな時間だった。
「王太子妃教育はどうだ?辛くはないか?」
「正直に言うと辛いですけれど、リリーローズ様にお時間を割いて頂いているんですもの。絶対に成し遂げてみせますわ。」
「そなたはいつもリリーローズ嬢の話だな。流石に妬いてしまいそうだ。」
苦笑混じりのアレク様の声は、もちろん本気ではない。
「当然ですわ。私はリリーローズ様を幸せにする為にここに居るんですもの!」
胸を張って宣言すると、彼は諦めたように笑いながら私を見た。
「それは結構なのだが、そなたも私の隣で幸せになってくれているだろうか。」
彼の瞳が細まり近づいてきて、目を閉じる。唇に触れる温もりが甘やかで…幸福を感じずにはいられなかった。
「…勿論です」
唇が離れ、吐息で答えると、彼は私の頬を愛おしげに撫でた。
「ならば、そなたはリリーローズ嬢を幸せにできているな。」
「え?」
それは先程の私の呟きに対する答えだった。だけど、どう言う事だろうか?私の疑問が目から伝わったのか、アレク様は教えてくれた。
「実は、公爵とリリーローズ嬢と婚約破棄に対する補償の話をした時なんだが。補償金の他に望むものがないか、陛下に問われたリリーローズ嬢は私に一つ要求をして来たのだ。」
「いったい何をですか?」
そんな話は初耳で、驚いて問えば。アレク様は可笑しそうに目を細めた。
「そなたを、幸せにして欲しいと。」
「…っ!」
声も出せない私に、彼は話し続ける。
「リリーローズ嬢は、そなたに出会う前は孤独だったそうだ。それを孤独とすら思えない程に。
だがそなたに出会い、友となり、大切な人が増え、自身の中に蓋をしていた想いに気付き、より一層世界が輝いたと言っていた。
自分はもう充分に幸福だと。だからあとは、自分を幸福にしてくれたそなたに幸福になってもらいたいと。」
まったくもう。リリーローズ様はどこまでもリリーローズ様で、私の女神様だわ。流れ落ちた私の涙を拭い、アレク様はその腕で私を抱き締めてくれる。
「そなたがリリーローズ嬢の人生を変えたのだ。より豊かで幸福なものに。それは間違いない。そして、そなたがこうして私と共に幸福になってくれる事が、リリーローズ嬢の更なる幸福なのだ。」
前世の記憶を思い出した時。まさかこんな事になるなんて思いもしなかった。転生したと気付いた瞬間、リリーローズ様を救いたいとは思ったけれど。
その先に、こんな幸せがあるだなんて。こんなに大切な人ができるだなんて。予想もしていなかった。
「ダリア。この先もずっと、私と幸せになってくれ。」
「勿論ですわ、アレク様。」
もう一度交わした口付けは、庭園に咲き乱れる百合や薔薇の香りと共に、生涯私の記憶に灼き付いた。
こうして私は最推しの悪役令嬢を幸せにしたのだった。
乙女ゲームのヒロインに転生したので、悪役令嬢を幸せにします!完
これにて完結です。
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第二部構想中ですが、掲載は未定です




