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第9章

 白い朝霞が漂う廊下を、生徒の声が賑やかしい色に染める。時刻としては朝のホームルームが始まる、五分ほど前だ。余裕を持って登校してくる生徒が友達と世間話に興じていたり、遅刻か間に合うかの瀬戸際に身を置く生徒は慌てて教室に向かっているのだろう。この時間、静寂と共に夜間を過ごしてきた校舎全体が、一気に活気づく。


 そしてこの学校の生徒である新堂も、フラフラとした安定しない足取りで教室に向かっていた。


 足取りがおぼつかないのは、ただ単に眠いからだ。別に疲れてはいない。陽が沈んでから日の出まで休みなくパトロールに出ていたのだが、結局突然変異した『夜魔』は一体だけしか発見できなかった。


 ま、それもいつものことだと、自分の努力が報われれないことに対しては、新堂も諦めはついている。捜索時間が長くなれば、または行動範囲を広げれば、『夜魔』と遭遇する可能性が増えるというわけではない。それは完全に運だ。『夜魔』だって、何も自らを滅せる力を持つ新堂を、進んで襲おうとは思わないだろうし。


 今にもくっつきそうになる瞼を気力でこじ開け、やっとこさ自分のクラスに辿り着く。

 負傷した兵士が凱旋したように、新堂は扉にもたれかかって教室の中を見回した。


 と――何故か一角に溜まっている女子の数人と目が合った。新堂の姿を確認した彼女たちは何故か慌てふためいた後、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、集団のまま黒板の側へと、そそくさと移動していった。


 そして彼女たちが囲んでいた場所……席を、新堂は目を細めて眺める。

 その席に座っていたのは、矢野美代子だった。

 彼女は黒板元へと退避した友人たちを不思議そうに見つめ、さらに彼女たちの視線の先にいる新堂を発見すると、ニコリと微笑んだ。


「新堂君、おはよう」

「…………」


 無言のまま舌打ちをし、新堂は目を逸らした。

 ただ短いなりにも用はあるので、仕方なく美代子の席へと歩む。


「何やってたんだ、お前」

「いやぁ、実はちょっとした噂になっていまして……」

「噂?」


 へへへとはにかむ美代子に、新堂は訝しげに首を傾ける。さっきまで他の女子たちと話していた内容だとは何となく想像がついたが、それだけだった。女子高生がする噂など、新堂にとっては縁遠い話だ。


 ただ反射的に黒板の方を一瞥してしまう。なんか向こうは、新堂と視線が合ってキャーキャー言ってるし……。


 美代子の方に視線を戻すと、彼女は照れながら告白した。


「昨日さ、私、新堂君の机を豪快に持ち上げたじゃない?」

「あぁー、それで強力な女だと思われて困ってるのか?」

「ううん。それで何でか知らないけど、浮気した新堂君に、私が制裁を与えてるって図になっているらしいの」

「何で俺にまで火の子が飛んでんだよ!?」


 勢いで突っ込んでしまったが、即座にすべてがおかしいことに気がついた。


「前提から全部間違ってるじゃねえか! 俺とお前って、いつから付き合ったことになってるんだよ!」

「ははー、女の子の妄想力って怖いね」

「ホントだよ! 『夜魔』にだってここまで恐怖したことはねぇよ!」


 憤ってからの脱力。隣の机に手をついた新堂は、ふかーい溜め息を漏らした。


「ったく、どこどう捉えたら、んな妄想が出てくるんだ。公然で俺とお前が話したのは、昨日が初めてじゃねえか」

「うーん。でも新堂君って、意外と女子から人気あるからねぇ。しかも今までずっと一人でいたのに、いきなり特定の子と仲良く話してたら、勘違いされても仕方ないんじゃないかな」

「あぁ? 誰が誰に人気があるって?」

「お、そこに食いつくんだ。てっきり『どう見ても仲良さそうじゃなかっただろうが』とか、『お前のせいだろうが』とか言われるかと思ってたのに。さすがの新堂君でも、女の子からの目は気になるのかなぁ?」

「…………」


 コイツ……一度どついてやりたい。感覚が鈍いはずの義手に、力一杯の握力が籠った。


「新堂君がクラスの女子に、だよぉ。素敵な恋愛を夢見る女の子はですね、クールで寡黙な男の子に憧れちゃうのです。加えて新堂君は優しい一面もあるし、意外と抜けてるところもあるから、母性本能をくすぐるのかもしれないよ」

「……別に抜けてなんかいねえよ」


 まさか己の『闇』を衰退させないために、進んで孤独を選んでいた結果が、そんな効果を生んでいるとは夢にも思わなかった。さらに美代子を突けば、自分の知らない周囲からの評価が出てきそうである。そんなものは知りたくもないため、早々に用件を済ませようと、新堂は鞄の中に手を突っ込んだ。


「ほらよ。先生がコレをお前に渡せだって」

「コレなに?」

「手紙だと。なんでも昨日の話の補足が書いてあるらしい」

「ふーん」


 まじまじと見つめながら、美代子は封筒を受け取った。

 その光景を見ていたのか、黒板側の女子たちが黄色い声で『え、なになに謝罪の手紙?』とか『もしかして、ラブレター!?』などと勝手に解釈しているが、面倒なのでこめかみに青筋を浮かべるだけで、新堂は無視を決め込んだ。


「今開けてもいいのかな?」

「勝手にしろよ。俺はただ渡すように言われただけだからな」


 突き放し、新堂は早々に自分の席につく。ホームルームが始まる予鈴を聞きながら、さて今日は何時限目まで居眠りを決め込もうかと思案し、机に伏せる。

 と――、


「ふおおおぉぉぉーー!!」


 女の奇声が耳を劈き、新堂は即座に飛び起きた。

 寝惚け眼で、声がした方を見つめる。クラス中の誰もが、彼女を凝視していた。

 今やクラスの中心となっている美代子は――手にしている手紙を掲げながら、何故か新堂の元まで全力で駆けてきた。興奮しているように、その顔をほんのりと淡く紅潮させながら。

 突然の奇行に、新堂は椅子に座ったままのけ反る。


「な、なんだよ……」

「み、見てよコレ!」


 美代子が手にしていた紙切れを新堂に渡した。準教授が彼女に向けて渡した手紙であることは理解できたが、そんな興奮に至る内容が書かれていたのだろうか。

 言われるまま手紙をひったくり、新堂は紙面へと視線を滑らせた。


「一度『夜魔』と遭遇した者は、今後再び『夜魔』と出会う可能性が増えてくる。無意識に周囲を警戒してしまい、『闇』の恐怖に敏感になってしまうからだ。矢野君も夜を出歩く時は気をつけたまえ。ま、気をつけたところで『夜魔』と遭遇する時は遭遇するし、しない時はしない。最善の解決方法は夜に出歩かないことだが、女子高生である矢野君にそう忠告するのは、いささか野暮というものだろう。だから光太郎君に守ってもらいなさい。私が光太郎君を君の騎士と任命する。護衛でも雑用にでもなんなりと使ってやってくれ。……追伸、もし光太郎君が欲望を剥き出しにして、君に襲いかかろうとでもしたのなら、刺していいから。…………って、なんじゃこりゃあああぁぁぁ!」


 叫びながらも、新堂は後半部分を何度も何度も読み返す。しかし当然読み返したからといって文章が変わるわけもなく、また内容の解釈の仕方はどう見たって一通りしかない。


「があぁぁ!」


 怒り任せに、新堂は手紙を破り、丸めて床に叩きつけた。


「破いたってダメだからね! 今日から新堂君は、私の騎士に任命します!」


 水を得た魚のように生き生きとする美代子。そして黒板の側で『結婚! ねぇ、結婚するの!?』と大いに勘違いをしている女子たち。外界のすべてを遮るように机の上で頭を抱えた新堂は、たった一つの決意を胸に念じていた。


 あの女、絶対刺す。帰ったら速攻で刺す! 土下座で謝っても許さねぇからな……。

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