01.魔法使いの弟子
日ごとに春らしくなってきた。そんなある日の、昼下がり。
魔法使いの家の庭から、ポスッという何とも間抜けな音が聞こえた。
「だーかーらー……そこはそうじゃないって、前にも言っているだろ。これで何度目だ。お前、俺の話を聞いてるのか?」
短い赤毛の男性が「頭が痛い」とでも言うように、こめかみを指で押さえた。
長身で見た目三十代前半くらいの彼の視線の先には、勝ち気そうな黒い瞳の少女が拗ねた表情で立っている。
黒の前髪だけでなく、背中のおさげが少し乱れているのは、さっきから彼女の近くで何度も風が起こっているからだ。
「だぁってぇ。聞いてたからって、それができるとは限らないじゃない」
好きこそものの……なんて言葉があるが、どんなに好きでも本当に上手になるかは本人の実力次第ではないのか。
「そういうのを、屁理屈って言うんだ。覚えとけ」
「……」
「キャルン、返事は?」
「は~い」
誰が聞いても不承不承な口調に、彼の青い瞳が冷たくなる。
「不満か? ああ、そうか。いやなら、いつでもやめて、村へ帰っていいんだぞ。俺は全然構わない。魔法使いになってくれ、なんて、俺が頼んだ訳じゃないんだからな。それに、カウムの街は大きいんだ。別に、俺じゃなくてもいいだろう。魔法を教えてくれる奇特な奴は、他にいくらでもいる……かどうかは知ったことじゃないが」
「ちょっ……師匠! そんな極端に走らなくたっていいじゃない」
師匠フェルーニの言葉に、自他共に認める不肖の弟子キャルンは焦る。
「俺はやる気のない奴に教えてやれる程、暇な時間がある訳じゃないんでな」
「あるっ。ものすごくある。やる気は十分にあるわよ!」
一瞬弱気になりかけた表情は、相手の言葉でまた強気を取り戻す。
「だったら、減らず口叩いてないで、俺の言ったことを思い返しながらしっかり鍛錬しろ。どこまでできるか、そのうち抜き打ちテストしてやるからな」
「そのうち、なんて全然あてにならないくせに……」
フェルーニの言葉を聞いて、キャルンがぼそっとつぶやく。
「何か言ったか」
「ううんっ、何も言ってないっ」
わざとらしい笑顔で首を振る。
「あんまりひどい状態だったら、そろそろ本当に村へ送り返すからな」
「えーっ、いやよ、そんなの」
「少しは真剣に練習しようって気になるだろうが」
「あたしは別に、遊びでやってる訳じゃ……」
キャルンがぶつぶつ言っていると、家の方から時計の鐘がかすかに聞こえた。二時になったようだ。
「っと……そろそろ出ないとな。じゃ、キャルン。さっき注意したところ、ちゃんと復習しておけよ」
「はーい。行ってらっしゃい」
魔法使い達の会合に出席するため、庭を横切って出て行く師匠を見送るキャルン。その姿が完全に消えると、小さくため息をついた。
「なーによ。ちょっと失敗したらすぐ村へ帰すって、そればっかり。帰されてたまるもんですかっての。一人前にしてもらうまでは、絶対に居座っちゃうんだから」
そのうち、なんて言っていたが、へたしたら外出先から戻って来たと同時に、抜き打ちテストをやりかねない。
日時をちゃんと指定されない場合、すぐにその「テスト」の時間が来る、というのがこれまでのパターンだ。
最短記録で「やるからな」と言われた一時間後。さすがに、この時は焦った。
テストを受けるには、それなりの準備が必要でしょ、と訴えたが、あっさり却下された。
告知されれば抜き打ちにはあまりならない気もするが、絶対忘れずにされるから油断はできない。
たまには「あ、そう言えば……」となってくれればいいのに、と密かに考えているが、今までキャルンの希望が叶った日はなかった。どうして、そんなにしっかり覚えていられるのだろう。
「テストが何よ。今度こそ、間違えずにちゃんとできてみせるんだからっ」
キャルンは一人、仁王立ちで強く拳を握りしめた。
☆☆☆
十六歳になったばかりのキャルンは、ワイトという小さな村の出身だ。
カウムの街から東へ、馬で半日進んだ所にある。これと言って何か目立った特産物がある訳でもなく、どこででも見掛けるような田舎の小さな村である。
穏やかな環境の中、小さな弟や妹の面倒をみながら、キャルンは家族と普通に暮らしていた。
そんな彼女が魔法使いの所で修行をしているのには、もちろん理由がある。
村のすぐそばにはイーアンの森があり、隣村へ抜ける道が造られているのだが、いつからかその近辺に魔物が現われるようになったのだ。
それが、およそ二年前のこと。
最初は「少しばかり大きめの獣と見間違えたのだろう」とみんな思っていた。
その時点では、誰もしっかりと「魔物」の姿を見ていなかったからだ。
隣村へ向かう途中、何か大きな影を見た。まさかそれが魔物とは思わず、熊か少し大きな鹿だろうくらいに思ったのだ。
しかし、その道を通って村へ来た行商人が襲われて傷を負った。熊でも鹿でもなく、黒い毛に覆われた醜い猿のような姿だった、というはっきりした証言も出た。
その言葉で、魔物は本当にいたのだ、と村人達は思い知らされる。
行商人は命からがら逃げたので何とか軽傷で済み、命は助かったが、捕まっていたら間違いなく喰われていただろう。
そうなっていれば、血の味を知った魔物が森から出て来るかも知れないし、いつ村人達も襲われるか、わかったものではない。
森を挟んだ隣村でも、この話を聞いて不安にさいなまれる。自分達の村も、イーアンの森の近くにあるのだから、他人事ではない。
それぞれの村長達や村人がこれからのことを相談しているところへ、カウムの街から数名の魔法使い達がやって来た。
襲われた行商人を通じて、魔法使いへ依頼が入り、調査に来たのだ。
小さな村でも、行商人にとっては得意先。道が使えなくなったら、商売に差し支えてしまう。
それに、行商人から魔法使いに依頼することで問題が解決すれば、村人達から感謝され、売り上げが多少なりとも上がるはず、という商売人根性が出ていた。
転んでも、死にかけても、それを売り上げに生かそうというのが商売人である。
それはともかく。
結果として、魔物は魔法使い達の手で退治された。
彼らにすれば、魔物のレベルは低かったらしい。大した労力を必要とすることもなく、作業は終了。
しかし、魔物のレベルが低いと言っても、それは魔法使いにとってであり、一般人である村人にとっては普通の獣より恐ろしく危険な存在だ。
武器になるものと言えば、農作業で使う鎌などだが、それでどこまで魔物と対抗できるかは怪しい。
そのままにしておけば村人の不安通り、村が襲われていただろう……ということだった。
魔法使いが村長達にことの経緯を説明しているのを、遠巻きに見ている村人達。その中で、同じように聞いていたキャルンは目を輝かせていた。
すごーい。あたしも魔物を退治して、人の役に立ちたい。
本当なら「魔物が本当にいるらしい」とわかった時点で自分がイーアンの森へおもむき、魔物をこてんぱんにのしてやりたかったキャルン。
だが、魔法なんて何も知らず、剣の使い手でもない(そもそも剣を持っていない)自分が行ったところで、魔物に出遭えば、ケガをする。最悪だと、喰われてしまうのがオチだ。
キャルンにだって、それくらいのことを考えるだけの分別はあった。
そこへ颯爽と現われた魔法使い達。いとも簡単(かどうかは、実際に見ていないので定かではないが)に魔物を退治してしまった。
魔法使いはキャルンにとってあこがれであり、すぐに目標へとって変わる。
もう大丈夫だから、と村長や村の大人達へ魔法使いの説明が続く中、キャルンは一番下っ端らしい若い魔法使いを掴まえて尋ねた。
彼らの中で、一番腕がいい魔法使いは誰か、と。
迷うことなく「フェルーニだ」と彼は答えた。
村長達に経緯を説明している、長身で赤毛の魔法使いだ。やって来た魔法使い達のリーダー格らしい。
カウムの街でも腕はトップクラスだと聞き、キャルンは即決した。
あたし、あの人の弟子になるっ!





