06 箱根はまだ遠い⑤
バスの車内が騒がしくなっていくが、相変わらず静かなのはここだけだろう。
勝手に氷の女神と言われている人見静と性別『薫きゅん』と言われている花咲薫の座る場所だ。
池袋からここまでずっと静とお話しをしていた。
していたと言っても静が一方的にだが。
別に男の娘である薫に対して、どうしてこんなに『かわいい』のかとか、どこに『男』を置いてきたのか。
そういった下世話な話題ではない。
では、なんなのかというと……。
「……ここの動物園ですが、こんな変わった子がいまして……」
そう。静の持ってきたタブレットで、東京から気軽に行ける動物園、水族館の生き物の写真を延々と解説混じりで話しているのだ。
普通の人物ならば、途中でげんなりするだろう。
たとえ、好きなものであっても、長時間相手するのは疲れるだろう。
だが、花咲薫という人物は、その見た目も相まって、静同様に可愛い物好きなのである。
故に、ずっと目をキラキラと輝かせて聞いていたのだ。
なんなら、質問までするほどの猛者だった。
だが、一番の猛者は通路向かいの席に座る朝霞愛花だろう。
二人の様子をメガネを曇らせながらタブレットに描き殴っていた。
タブレットが悲鳴をあげるほどに。
そんな様子を斜め前の席から明石・エルヴィン・湊と関隼人が引きつった顔で見ていた。
寧々からもらったお菓子を手に持ったままなのは、口の中がぱっさぱさになっていて、喉を通らないからだ。
そんな時、静が言った。
「そういえば、箱根には日本で一番標高が高いところにある水族館があるんです」
「わぁ! じゃあ今日行くんですかね」
「ええ。是非とも行きたいですね。そこにはアザラシさんがいて、フィーディングタイムがあるそうです。時間はギリギリですが、まぁ大丈夫でしょう」
「わぁ。楽しみです」
それを聞いて、前の席に座る大神先生が椅子の上から言った。
「期待しているところ悪いんだが、今回はルートに入ってないんだ」
「は?」
不機嫌な声を隠そうともしない静。
薫は期待していただけに、少しがっくりとしていた。
そんな薫の背中をさすりながら、静は言った。
「どうして計画段階でわたくしを呼ばなかったのです?」
「そりゃあ、お前……生徒だろ?」
静を含めた五人はこの英愛学園の理事でもあるのだが、さすがにそこまでは入り込めない。
もちろん大神先生も知っているが、それとこれは別である。
「今回のルート決めをしたのは誰ですか? 学年主任の春日井教諭ですか? それともおじいちゃん先生の雲類鷲教諭。いや、地理担当の大伴教諭の可能性も」
「その先生のためにも黙秘しておく」
「くぅ……。アザラシさん……」
「あぅ……」
がっくりとうなだれる静と薫。
そんな様子を見て、気まずそうに思ったのか、話に出た学年主任の春日井誠治が静の前に来た。
「わたしの配慮が足りなかった。次回は是非とも考慮しよう」
まさか、頭を下げるとは思わず、誰もがそれを見て、驚いていた。
「いえ、わたくしも少し大人げなかったです。申し訳ありません」
「いや、案には出ていたんだが、時間調整が出来なくてね」
「そうでしたか」
学年主任にまで頭を下げさせるとは、氷の女神の異名は伊達ではなかった。
そんな空気を打破しようと、優華が静にマイクを渡した。
「変な空気になっているから、アンタ歌ってなんとかしなさいよ」
「ふむ」
マイクを握ったまま、薫を見る。
「では、薫きゅん。歌ってくださいな」
「え?」
勝手に選曲し、マイクを握らせた。
「薫きゅんに一番合いそうな曲を選びました」
「えっ!?」
そしてそのまま、素直に薫は『Everything』を歌った。
それは、童謡のような歌い方で、さっきまでの雰囲気が嘘のようにほんわかとした。
バスの中も心なしかあったかい空気になった。
「では、次はわたくしですね」
そう言って静が歌った『ハナミズキ』は、再び車内を微妙な雰囲気にした。
そう。上手すぎたのだ。
数分ほど静かになり、バスの走行音しか聞こえなかった。
誰もが拍手を忘れるほどに。
しばらくして、まばらに拍手が聞こえると、大神先生が悔しそうに口を開いた。
そして、「お前……ガチすぎるだろう」と呻いた。
「ふっ。少し本気を出したまでです」
「美月ぃ、空気変えてくれー」
静からマイクをひょいと取り上げる。
「え、わたしですかぁ?」
「ああ。やってくれるな?」
「は、はい。が、頑張ります」
大神先生の人選は間違いだったのかもしれない。
副担任である小鳥遊美月が選んだのは『天城越え』。
それも、凛、静と続いて、バスの窓を割らんばかりの声量だった。
なんならバスが傾いた気もした。
「お前もかぁ……」
大神先生はヘナヘナと疲れたように椅子に沈み込んだ。
「まぁ、今日行くのは箱根なんだけどね」
「天城越えはしないもんね」
近くにいた湊と隼人が突っ込んだが、小鳥遊先生はどこか誇らしげだった。
「変な空気になってますね。なんでですか?」
小鳥遊先生が分かってない感じで言う。
「じゃあ、わたしが空気を変えようか?」
「春日井先生! 何を歌うんです?」
「みんな大好きTOKYO通信だよ」
「えっ!?」
まさか、あの歳でそういった曲を歌うとは思わなかった大神先生。
完璧な巻き舌と噛まない早口に舌を巻いた。
だが、もっと驚いたのは、もう一本のマイクを渡されたままの小鳥遊先生だ。
「小鳥遊先生ってなんでも歌えるんだね」「人は見かけによらないっていうけどさぁ」「一回みんなでカラオケに誘ってみようか」「賛成」「でもなんか、他の先生も来そうだよね」「そしたら公認ってことでいいじゃん」「なるほど」
バスの中はさらに異様な雰囲気に包まれたのだった。
もう、目的地目前だというのに、みんなで手を左右に振り出した。
春日井先生が歌い終わると同時に、本日最初の目的地に到着した。
後にバスの運転手とバスガイドは言った。
下手なテレビの音楽祭よりも圧倒的にレベルが高かったと。




