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香は、言葉を失ったまま純一を見つめていた。

胸の奥に、不意にあたたかいものが流れ込んでくるのを感じていた。

それは、ずっと心のどこかに仕舞いこんでいた、小さな願い。

声に出さず、期待しすぎないように自分に言い聞かせてきた気持ちだった。


「……今、なんて言ったの?」


彼女は震える声で問いかける。

心が追いつかないまま、それでも確かめたかった。


純一は、まっすぐな眼差しで香を見つめた。

静かに、でもはっきりと頷いて、もう一度繰り返した。


「香……俺たち、一緒に暮らさないか?」


その言葉の余韻が、ゆっくりと香の中に降り積もっていく。

まるで冷えた心に春が訪れたように、優しい温度が全身を包み込んでいく。


「……ずるいなぁ、純一は」


香はようやく絞り出すように言った。

「私が……ずっと言ってほしかったことを……こんなふうに言うなんて。

心の準備なんて、全然できてなかったのに……」


その唇がかすかに震えていた。

彼女の瞳には、いつのまにか涙が溜まっていた。

こぼれるのを堪えるように見上げたその目には、驚きと喜び、そして救われたような安堵が混じっていた。


「……ちゃんと届いちゃったじゃない」


そう呟いて笑った香の声は、震えていたけれど、あたたかかった。

涙をこらえながら、それでもどうしても溢れ出てしまう想いに、彼女は少し戸惑いながらも、嬉しさを隠しきれなかった。


純一はそんな彼女の姿を見て、静かに微笑んだ。

香の頬を伝いそうなその涙に、彼もまた胸を打たれる。


「……香、ありがとう」


その言葉には、ただ、真心だけだった。


香は、そっと目元を指で押さえ、涙がこぼれないようにしながら言った。


「……私で、いいの?」


「他に誰がいるんだよ」

純一は、軽く微笑みながらも、真剣に言い切った。

「俺には……香しかいない。

ずっと一緒にいてくれて、支えてくれて……その当たり前が、どれだけ大事かって、気づいたんだ。

これからは、その気持ちをちゃんと、形にしていきたい」


香はゆっくりと深く息を吸い、そしてこくんと小さく頷いた。

その顔には、少し照れくさそうな、でもどこまでも優しい微笑みが浮かんでいた。


「香、俺もあいつらの影響受けてるんだなぁ…」

 

「そうかもね…… じゃあ……」


一度だけ目を閉じ、気持ちを落ち着けてから、彼女は言った。


「明日から、ふたりで……忙しくしようか?」


その一言に、純一は微笑みながら


「……ああ、頼むよ。香。

もう、何があっても絶対に離さないからな」


「こっちこそ、後悔しても知らないよ」


そう言って笑い合うふたりの姿は、どこか照れくさく、でも確かに未来を見据えていた。


テーブルの上には、冷めかけたコーヒーの香りがまだほんのりと漂っている。

それさえも、今この瞬間をやさしく包んでいた。


──ふたりの間に流れる空気は、もう昨日のものじゃない。

謙とまいの願いが静かに背中を押してくれたおかげで、

香と純一もまた、一歩、新しい未来へと踏み出していた。


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