21 これからの2人 (3)
香は、言葉を失ったまま純一を見つめていた。
胸の奥に、不意にあたたかいものが流れ込んでくるのを感じていた。
それは、ずっと心のどこかに仕舞いこんでいた、小さな願い。
声に出さず、期待しすぎないように自分に言い聞かせてきた気持ちだった。
「……今、なんて言ったの?」
彼女は震える声で問いかける。
心が追いつかないまま、それでも確かめたかった。
純一は、まっすぐな眼差しで香を見つめた。
静かに、でもはっきりと頷いて、もう一度繰り返した。
「香……俺たち、一緒に暮らさないか?」
その言葉の余韻が、ゆっくりと香の中に降り積もっていく。
まるで冷えた心に春が訪れたように、優しい温度が全身を包み込んでいく。
「……ずるいなぁ、純一は」
香はようやく絞り出すように言った。
「私が……ずっと言ってほしかったことを……こんなふうに言うなんて。
心の準備なんて、全然できてなかったのに……」
その唇がかすかに震えていた。
彼女の瞳には、いつのまにか涙が溜まっていた。
こぼれるのを堪えるように見上げたその目には、驚きと喜び、そして救われたような安堵が混じっていた。
「……ちゃんと届いちゃったじゃない」
そう呟いて笑った香の声は、震えていたけれど、あたたかかった。
涙をこらえながら、それでもどうしても溢れ出てしまう想いに、彼女は少し戸惑いながらも、嬉しさを隠しきれなかった。
純一はそんな彼女の姿を見て、静かに微笑んだ。
香の頬を伝いそうなその涙に、彼もまた胸を打たれる。
「……香、ありがとう」
その言葉には、ただ、真心だけだった。
香は、そっと目元を指で押さえ、涙がこぼれないようにしながら言った。
「……私で、いいの?」
「他に誰がいるんだよ」
純一は、軽く微笑みながらも、真剣に言い切った。
「俺には……香しかいない。
ずっと一緒にいてくれて、支えてくれて……その当たり前が、どれだけ大事かって、気づいたんだ。
これからは、その気持ちをちゃんと、形にしていきたい」
香はゆっくりと深く息を吸い、そしてこくんと小さく頷いた。
その顔には、少し照れくさそうな、でもどこまでも優しい微笑みが浮かんでいた。
「香、俺もあいつらの影響受けてるんだなぁ…」
「そうかもね…… じゃあ……」
一度だけ目を閉じ、気持ちを落ち着けてから、彼女は言った。
「明日から、ふたりで……忙しくしようか?」
その一言に、純一は微笑みながら
「……ああ、頼むよ。香。
もう、何があっても絶対に離さないからな」
「こっちこそ、後悔しても知らないよ」
そう言って笑い合うふたりの姿は、どこか照れくさく、でも確かに未来を見据えていた。
テーブルの上には、冷めかけたコーヒーの香りがまだほんのりと漂っている。
それさえも、今この瞬間をやさしく包んでいた。
──ふたりの間に流れる空気は、もう昨日のものじゃない。
謙とまいの願いが静かに背中を押してくれたおかげで、
香と純一もまた、一歩、新しい未来へと踏み出していた。




