第六話 薔薇小隊での日々
男の朝は早い。
夜明けと同時に起きると、井戸で水を汲んで顔を洗う。そして水面に映る自分の顔を見て身だしなみを確かめる。
「マゲユイっ!」
男が呪文を唱えると崩れていた髪型がぱっと整う。これは以前、神に与えられた古代魔法だ。
その足で外にある厠へ向かう。日もゆっくりと昇り始め、朝露が道に光る。小鳥はさえずり蝶は舞う。
「なんとも心地の良い朝じゃ。早起きは三文の徳じゃな」
地獄の風景とは思えないこの景色に、少し前世の影を感じる。主君がいなくなった後、藩の他の者たちはどうしていたのであろうか。ただでさえ食っていくのが難しかったのに、再び仕官したやつなどおるのであろうか。そんなことを考えながら厠へ入って帯を緩める。
しゃがみこみ、ふぅーっと息をついた。すると誰かが厠の戸を叩いた。
「ここは入っておる。そこで待つか別のところを当たってくだされ」
少しの沈黙の後、馴染みの声が聞こえた。
「…この声…やはりタツベーだな。おはよう」
隊長の声に出していたものが止まる。
「た、隊長殿でござるか!厠の中から失礼つかまつる」
「いやいいんだ。遠くで歩く姿を見て来てしまった。こっちこそすまんな」
「いえ。隊長殿が謝られることではござりませぬ」
これでは出るものも出ない。男は帯を締めなおして厠を出た。そこには稽古着の隊長がいた。
「何か御用でござるか」
「いや、特に用はないんだ。こんな時間にタツベーを見るのが珍しくてな」
そうである。男は普段からこの時間に起きているわけではない。ただ目が覚めたから外を歩いていただけであった。
「隊長殿は普段からこの時間に起きておられるのでござるか?」
「ああ。朝稽古だ」
「そうでござりましたか。ではお気張りくだされ。拙者はもうひと眠りしてまいります故」
そう言って宿舎に戻ろうとした時、隊長が男の腕をつかんだ。
「何を言ってるんだ。そうしてまた寝坊するんだろう。ほら、一緒に行くぞ」
(まずい時間に起きてしもうた。これでは大損じゃ)
隊長に続いて走り出した。隊長のペースは速い。ほっほっと呼吸を整えて、敷地を2周、3周と走っていく。
「隊長殿っ。あとどのくらいでござりますか」
「あと5周だ。頑張れ」
「まことでござるかぁっ」
男はあごを上げ、腰が落ちた姿勢で走り終えた。隊長に遅れること3分ほどである。息を切らす男に、隊長は笑った。
「ほらタツベー、次は素振りだ。真剣を持ってこい」
「へ、へぇ。承知いたした」
男は太刀を持って再び戻った。部屋に戻った時、そのまま寝ようか迷ったことは言うまでもない。
「ほら、もっと腰を入れろ」
「はっ」
2人並んで剣と太刀を振る。隊長の剣は空を斬る音がしているのに対して、男は太刀を振っているというより太刀に振り回されている。
「自分が納得いく振りを続けるのが肝心だぞ」
振っているうちに、宿舎から出てくる人の数も増えてきた。日も普段見るくらいの高さまで昇った。
「よし。そこらへんにして訓練場に行こうか」
やっと解放された。終わった時はそう思ったが、そこからいつもの練習を始めるかと思うと血の気が引いた。いっそこのまま倒れてしまいたいと思う男であった。
(しかし、隊長殿はこんなことをしてから昼間の練習をしているのか。全く疲れを感じさせない姿はさすがじゃな)
その日から隊長は夜明け前に男の部屋を訪ねるようになり、毎度朝稽古に付き合わされた。はじめのうちはしんどかったが、数日数週間と続けるうちに男も慣れ、腕も上がっていった。
「タツベー、お前ずいぶん剣が良くなったな」
「かたじけない。どれも隊長殿が剣術の手ほどきをしてくださったおかげじゃ」
ズサールとの打ち合いの後、外で水を飲んでいた時にズサールが話しかけてきた。
「隊長の朝稽古に付き合わされてるらしいな。俺も入りたての頃はついていってたが、隊長の足が速すぎて途中で投げ出したんだったか」
「そうなのか。ズサール殿ほどの腕であれば必要ないと思うのじゃが」
男の言葉にズサールは軽く笑った。
「俺なんてまだまだだ。いつか隊長くらい強くなるためにはもっと鍛錬を積む必要がある。だから隊長に隠れて朝稽古は続けてるぜ」
「どうして隠れるのじゃ。一緒にやればよいのに」
「あれを毎日やってたら昼になる前に死んじまうよ。お前はよくついていけるよな」
「わしかて全てが隊長殿と同じではない。ついていける限り、横でやらしていただいてるだけじゃ」
ズサールも水を汲んで頭から浴びた。
「なあタツベー。お前、アーマーって持ってるのか」
「ああ。具足のことか。まだわしのはござらん」
「なら今日このあと街へ見に行かないか?ナステレの剣を新調するために街に出るから、そのついでに」
「わしも具足が欲しいと思っていたところじゃ。行きましょうぞ」
そうして3人は稽古終わりに街へ出た。街は相変わらずの賑わいで、あちこちで物の取引が行われている。
(まるで江戸の町じゃな)
帯刀する3人の騎士へ道が開けられる。鎧兜を装着しているわけではないが、その体つきの良さは群衆の中でも目立つ。
「ナステレ殿はその剣を新調すると聞いたが、どんなものにするのじゃ?」
「これは騎士団に入る前に買った剣なんです。愛着もありますけど、この前のケルベロスみたいな魔物と戦うにはちょっと心もとないですからね。オーダーメイドで自分に合った剣を頼んでおいたんです」
「あれだけ弱かったナステレが自分の剣を買うとはな。時がたつのも早い」
「もーそんなに馬鹿にしないでくださいよぉ。先輩を呼んだのは馬鹿にするためじゃなくて、剣のよしあしを見てもらうためなんですよ」
「わかってる。しっかり見てやるから安心しろ」
「ほんと、頼りにしてますからね。僕にはわからないんですから」
ナステレに睨まれ、ズサールは苦笑いする。
「ズサール殿の剣も特別に打ってもらったものなのか?」
ズサールは意匠を凝らした剣を持っている。いつ見ても豪華だ。
「そうだぞ。これは18本目のやつだ。部屋には40本くらいあるんじゃないか」
「先輩は信じられないくらい剣を持ってるんですよ。しょっちゅう剣を買ってきますし」
「されば剣を見る目があるというのも怪しくなりますな。弘法筆を選ばずという言葉もあるしのう」
「見る目があるからこそ、用途に合わせた剣を選んでるんだよ。お前ら2人にはまだわからんだろうなぁ」
「じゃあ今日は何用なんですか?」
ズサールは鞘をなでた。
「今日は俺を彩る”飾り”だ。ほら、街の女の子の視線を見てみろ。チビのお前やボロ布のタツベーじゃなくて、みんな俺を見てる」
女子とちらちらと目が合うのがわかり、タツベーは開き直った。
「わからずともよい。わしにはこの太刀がある。他のものなどいらん」
男はカチャと太刀を握った。家宝として大事にされてきた太刀も、地獄に来て酷使されるとは思わなかっただろう。太刀は男の手になじみ、これ以外は考えられない。
「あ、ここです」
通り沿いにある石造りの建物に、剣の印が刻まれた木の板がかけられている。中に入ると壁には剣や鉄の盾がかけられ、槍がたてかけられ、甲冑が数領鎮座している。男はこの空間に心躍った。
「ここはなんじゃ!あちこちに武具があるではないか!」
「ここが武器屋だ。お前のアーマーもここで見ていこう」
ナステレが店主と話している間、男は店内を歩いて見て回った。数ある武具の中で、弓に目が留まった。
「この弓、小さいな」
「それは標準的な大きさだな。それ以上大きいものならこれだ」
ズサールが持ってきたものでさえ、男が前世で見たものよりは一回りほど小さかった。これなら憧れていた源氏のように馬上で弓を射ることもできるかもしれないと思った。
「アーマーはここにあるので全部だそうだ。店主に許可をもらってるから試着してみてもいいぞ」
「ほう。これが…」
銀に輝く具足に男の顔が映る。初めて見た時も思ったが南蛮の具足に似ているな。これだけの覆いがあれば刃が通ることもなかろう。
「これを試してみたいのじゃが」
「おう、任せろ。俺が着るの手伝ってやる」
鎧は一つ一つが重く、着用するたびに足が地にめり込むのを感じた。そして最後、頭に兜をかぶって面を覆うと、中に熱気が閉じ込められた。
「どうだ」
「あ、暑い…。それにこれほど重いとは」
男は試しに腕を上げてみる。上がるには上がるが、それを維持するのは難しい。水平にしようとすると腕が震える。
「ははっ。タツベー、腕が震えてるぞ」
「わしかて震わしたくて震わしているわけではないわ」
「でも初めてはそんなもんだ。使っているうちに慣れる」
今やっと、隊長の本当のすごさがわかった。この重さでありながら宙を跳び、敵を討つなど男にはできそうにない。
「やはり隊長殿はすごいんじゃな」
「当り前だ。今さら気づいたのか」
「ズサール殿もじゃ。この鎧を着て戦うなど、わしには無理じゃ」
「なら今回はやめとくか?」
「そうさせていただく。軽い具足が見つかればそれにする」
ガシャリと南蛮具足を置き額の汗を拭く。
(これだけ鉄に覆われておれば命の心配も和らぐのだろうじゃがな)
男はアーマーを着ることを諦め、もうしばらくこの布に世話になることにした。
「お二人とも!用意ができたそうです!」
ナステレの方を見に行くと、店主が鞘に入った剣を持ってきていた。
「では抜きますよ」
すっと刀身が姿を現す。周りをそっくり映す輝きは目を引くものがあった。
「先輩、持ってみてください」
「いや、いい」
「ええっ、なんでですか。持たなくちゃわからないじゃないですか」
「これだけ美しかったら持たなくてもわかる。良い剣だ」
それはなんとなく男にもわかった。この剣は反りがなく、まっすぐ天を突いている。刃はどこからついているのかわからなくなるほど鋭い。
ナステレは満面の笑みで店を出た。
「良かったな。これほど良い剣なら大抵のことは心配いらん」
「ありがとうございます!これもお二人のおかげです!」
「わしなどは何もしておらん。感謝されるような筋合いはない」
「そんなことないですよ!今日は僕がおごりますから、ご飯食べに行きましょう!」
「まことかっ!」
「いいんだな?ナステレ。俺は遠慮なく食うぞ?」
「男に二言はありません!いくらでも食べちゃってください!」
いつもの飯屋に入って3人はたらふく食べた。が、ナステレの持ち合わせが足りず、泣きながら頼むナステレにズサールと男が金を貸したのだった。
ある日、隊長は薔薇小隊を集めた。
「今度の戦いにこの小隊も参戦するように命じられた。次の相手は魔物じゃない。人だ」
「ということはまたミセロアが攻めてきたのか」
「いや、今度はアルタスが攻めてきたらしい」
男以外の3人が驚きの声を漏らす。男には何を言っているのかわからなかった。
「拙者、どの名も聞いたことござらんが、何が起こっているのでござるか?」
「ミセロアは北にある国で、キルタス王国とは昔から仲が悪いんです。だからミセロアが攻めてくるのはいつものことなのですが…」
「東にあるアルタスは昔からの同盟国でね。そこが裏切るのは想定外だったの」
なるほど。仲間から刃を向けられたわけか。
「ならば次は東へ出陣ということでござるな」
「そうだ。馬はもう用意できてるからすぐに支度を整えて出発するぞ」
小隊は具足を備えて集まった。男は太刀一筋を腰にさしての出陣である。
「アルタスへすでに向かっている遠征軍に合流する。道中は魔王軍に近い地域もあるから、気を引き締めろ」
詰所の門が開き、馬にまたがる5人の武者が出陣した。薔薇卿を見れるということで、通りには大勢の市民が集まり歓声を上げていた。
(必ず勝って帰ってこねばな)
勝ってこの笑顔を絶やしてはならない。男は未熟者ながらそう思うのであった。




