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四神戦隊レイジュウジャー  作者: 沢木佑麗/雲月
第二章 カーマイン王国編
14/103

『とんでもないローマの休日』

「あれのどこが『犬バス』なのよ?! ぬるぬるしてるし、何度も落ちそうになるし、結局全身ずぶ濡れじゃない! 泳いだのと同じよ!」

 とファンロンの会議室兼艦長室兼談話室で息巻いているのは鳳朱音である。

 先ほどまで、彼らはカーマイン王国領沖にある、『西のマーフォーク族』の住むごつごつとした岩場ばかりの孤島に掘られた地下洞窟にいた。

 ギサロが話していた通り、彼らのことはすでにここに住むマーフォーク族に伝わっていたらしく、歓待を受けた。

 族長のヴァラド・エル・ナハウは、白井大牙の足首にはまる装飾品を見、青光りする強面を感心したように笑ませ、言ったものだ。

《あの暴れん坊をそこまで感服させたか、若者よ。ギサロはあの一族の中でも一番手を焼く破天荒な奴でなあ。一時は人間の女と一族を捨てようとまでしたのだ。こうと決めたら梃子でも動かん頑固ものだが、結局此度のようなことが起こり、奴も族長として一族を背負う運命を負うことになった。もう少し長引くようなら我らも加勢に向かうつもりでいたが、おぬしらのおかげで東だけでなく、すべてのマーフォーク族を救ってくれた。海はどこまでも続いておるでな》

 そして頼みもしないのに続々と馳走が運ばれ(生魚ばかりだったが)、何を蒸留させて作ったかわからない酒を振る舞われ、最後に配下の者が恭しく運んできたものを、彼らの前に差し出した。

《ギサロから、おぬしたちが魔力の宿ったものを求めているということは聞いておる。それで、これを我らからの礼として受け取ってくれ》

 それは楕円形をした鏡のようなものだった。だがその鏡面は湖面のようにさやさやと波だっていた。

《これは真実を見抜き、暴く力を持つ聖なる鏡だ。この力が役に立つかはわからんが、大いなる水の力が宿っていることは確かだ。さあ、持って行け》

 というわけで、彼らはその他にバックパックに入りきらないほどの真珠やらサンゴやらをもらい受けてから、ヴァラド自らが御する巨大なシャチのような生き物の背中に乗せられ、カーマインの海岸まで送ってもらったのである。

 そして、朱音が不平を爆発させることになったわけだ。

 腹立ちまぎれにココアをがぶ飲みしている彼女に、亀梨玄人が苦笑交じりに言った。

「郷に入れば郷に従えと言うじゃろが。族長本人が送ってくれたんじゃ、光栄に思わんと」

 朱音はまだいらいらが解消されないらしく、ココアを飲み干すと、ダン、とそれを楕円形のミーティングテーブルに割れんばかりに置き、

「何回水を被ったと思う? もう、鼻の中に水が入ってツンツンするし、目は染みるし、あの族長さん、暴走運転もいいところよ!」

「結構面白かったけどなー? なんかアトラクション乗ってるみたいな? 超高速バナナボートって感じ?」

「あんた、犬バスみたいって言ってたじゃない、タイガ! ぬるぬるともふもふは別ものよ!」

 そこへ、キリルが肩にジルコンをとまらせてやってきた。そしてその場のなんとも言えない空気を読み、苦笑しながら言った。

「歓談中だったようだね。どうだったのかな、その魚人族との会見は?」

「滞りなくすみました」

 と青山龍児がテーブルの上に広げてあるきらきらとした財宝の類と、一際異彩を放つ鏡を示し、

「マーフォーク族の繋がりは強いですね。モーヴの人々が彼らと争いながらも殺すことを避けてきたわけがよくわかりました。行きがかり上、手助けをすることになっただけの僕たちにまでこれほどの厚い礼を払ってくれたのですから、本当に情に深い種族なのだと思いました。ところでボス、先にお渡しした重水の詰まった水晶の方はどうでしたか?」

 キリルが応える前に、ジルコンが横入りをするように言った。

「どうもこうも、クソ頭ワリイな、てめえら。重水にはよ、デューテリウムやトリチウムが含まれてやがるんだぜ。え? これはまさにどんぴしゃりな五行エレメントなわけよ。でもよ、「水」ばっかり集めてきやがってもなあ? ちゃんとバランスよく集めねえと、ちーーーーーーっともワープコアは動かねえぜ。まっ、第一に量があれっぽっちじゃな、話になんね。まーーーーーーーーーーったく足んねえよ」

「……と言うわけだ」

 嘆息と共にキリルは、「エヘン」と威張りくさって嘴を閉じたオウム型ドロイドの後を継いだ。

「今日持ち帰ってきてもらったその魔力のこもった…それは鏡なのかな?…は、しばらくエネルギー化するのを保留しておこうと思う。ひとまずのエネルギーは十分なのでね」

 ここで彼はいまだぷりぷりしている朱音をちらりと見やってから、続けた。

「エネルギー問題や、白虎王と青龍王の破損個所の修復などもあるにはあるが、そればかりを念頭に置いていては、結果的に集中を欠くことになるのではないかと思うのだ。特に今回は気を張る戦いの連続だったようだし、どうだね、しばし、休息を取るというのは」

 四人が司令官からのこの意外な提案に顔を見合わせたので、キリルは親しみのある微笑を浮かべて頷きかけた。

「ここは王国だということだし、都はこれまでの場所とは格段に規模が大きいのではないかな。それだけ見るところも、楽しめるところもあると思うのだ。君たちはレイジュウジャーだが、それ以前に一人の若者だ。それぞれに興味を持つところがあり、満足を得たいと思っていることだろう。健全な精神にこそ強き力が宿るものだ。適度な息抜きはむしろ有益だと思っている」

 すると常識的な龍児が遠慮がちに言った。

「ですが、ボスを差し置いて自分たちだけ、その、余暇のようなものを過ごすのは…」

 キリルはそんな龍児の生真面目さを微笑ましく思いながらも、苦笑で返すと、

「私のことは構うな。私だって年中プログラムと向き合っているわけではない。適当にジルコンのことをからかったりして楽しんでいるよ」

「キリルのサボり野郎が! おいらに全部押し付けて、てめーは昼寝ばっかりしくさりやがってよ」

 ジルコンが文句を垂れるのにも馬耳東風な様子で、キリルはにこやかさの中に少しだけ現実味を含ませて言った。

「大きな都市だろうから、情報量も多いことだろう。次に我々が向かうべきところについてのヒントも得られるかもしれん。ま、とにかく楽しんでおいで」

 ここまで言われてしまっては、真面目一本鎗の龍児も折れるほかなく、四人はカーマイン王国の王都でしばしの休暇を楽しむことになったのである。


*****


 レイジュウジャーとしてのチームワークはぴったり噛み合う四人だったが、普段着に戻ると、それはあっけないほどばらばらになる。

 とにかく、性格が四人とも全く異なっていたし、趣味や好むものの傾向もそれぞれあさっての方向を向いていた。つまり、接点がないのである。

 その結果、王都に着き、モーヴの衛士隊長の認印の入った通行証を見せると、四人は自然と別々の方向へと足を向けていた。もちろん、いざとなれば手首の『霊獣チェンジャー』で連絡を取り合えたし、この王都の上空1万メートルにはファンロンも待機していたので、別行動をとっていてもなんら不安はなかった。

 確かにそこは王都というだけの景観をしていた。石畳は白く、整っていて、隅にごみ屑などが溜まっていたりなどしていない。通りの両側に連なる建物は統一感のある石造りで、オレンジ色の屋根が延々と続いている。街の中央には箱型の列柱で囲まれた中に、市場が立ち、屋台の店がひしめき合っている。これまでの街であまり見かけなかった凝った意匠の装飾品や花を売る店なども目立った。

 そのすぐ隣には、この街で二番目に大きな建造物である教会が、荘厳なファサードを誇っている。巨大なドームと高い鐘楼がとても印象的である。

 二番目、と言うわけは、この街をさらに高みから見下ろす建物があるからだ。言うまでもなく、それはカーマイン王国のモンテクレール王家の居城のことである。

 大牙はそんなすばらしい街の様子や、おとぎ話に出てくるようなたくさんの尖塔のある城などに全く興味を覚えなかった。さらに、この街の人々がこれまで訪れた場所の人々よりもずっと華美で装飾的な服装をしていることなどにも無頓着だった。

 ただ彼を誘惑してならなかったのは、どこからか漂ってくる食べ物のにおいだった。それも、立派な店構えの食堂からのではなく、道端の屋台で売っているような類のものである。

 彼は自らの胃袋センサーに頼るようにして通りをあっちにふらふら、こっちにふらふらと歩くうちに、完全に表通りから外れていた。

 王都とは言え、街人の全てがフリルのついたチュニックを着、金ぴかのベルトを締めているわけではない。そこはまさに庶民が暮らす地区だった。

 大牙の脳裏に、グレイウォールのディミトリの宿のことが浮かんだ。あそこまで荒んではいないが、地に足を付けて暮らす人々のにおいがしみついているところは似通っていた。

 早速、一軒の肉串を売る屋台を見つけ、大牙は嬉々として三本買った。もちろんなんの肉かはわからないが、甘辛いタレがついていて、彼は「んーっ、うめえ」と独り言ちながら、次の「獲物」を求めて彷徨い歩き出した。

「おっ、あれ、ケバブじゃね?」

 と呟いた大牙の目線の先に、肉の塊にナイフをあてて削ぎ取っている人の姿があった。

 自然と歩く速度が上がる。香辛料のきいた肉の焼ける匂いが風にのって漂ってくる距離になると、大牙はほとんど小走りになってその店の前に立っていた。

 そこは小さな食堂で、奥には簡素ながらテーブルと椅子が並んでいた。薄暗くなんの飾り気もない店内だったが、意外に繁盛しているらしく、店内で山盛りの料理を前にしてがっついている男の客たちが何人かいた。

 大牙は、店先で長い串に積み重ねるように突き刺した肉の塊を炭火でゆったりと回しながら外側を焙っている様子を垂涎の表情でひとしきり眺めてから、何のためらいもなく店員に言った。

《ケバブサンド二つくれよ。辛いソースがあればたっぷりでさ》

《6ディナルだよ》

 地球での呼び名で通じたことに驚きながらも、手際よくピタのような、中央が空洞になっているパンに野菜の千切りと肉を詰め込み、真っ赤なソースをかけ回すのを大牙は満足げに見ていた。彼が金を渡すと、店員はそのケバブサンドを大きな葉で包装紙のようにくるんで彼に手渡した。意外に大きい。

 大牙はその匂いと大きさににんまりとなりながら、店先で盛大にがぶりとやろうとして、不意に自分が誰かに見られていることに気付いた。

 そちらの方を見ると、控えめなデザインと色味はしていたが、決してこの街区にはそぐわない上等な布地と仕立てのドレスを身に着け、くるくるとカールした金髪の少女が通りの向こう側からじっとこちらを伺っていた。

 見るからに貧しそうな感じでもないし、食べたければさっさと買って食べればいいのに、と思いながら大牙は再びがぶりとしようと大口を開けた。

 と、また強い視線が感じられ、大牙は横目でその奇妙な少女の方を見た。するとその少女の表情に、生唾を飲むような、そんなもの欲しさが表れている。

 人一倍食べることに貪欲な分だけ、誰かの食べたいという欲求に対しても敏感な大牙は、なんのてらいもなくその少女のもとへ大股に近づくと、もう一つのケバブサンドを無造作に差し出して言った。

《食いたいんだろ? やるから食えよ》

 いきなり見ず知らずの、それも見慣れない外見をした相手から食べ物を差し出されて、すぐに受け取るわけはなかった。それも彼女はどこかの御令嬢然とした少女なのだ。

 娘はそれまでの物欲しげな顔つきを無理にひっこめるように唇をきゅっと結ぶと、ついっと顔を背けて言った。

《あたくし、少し眺めていただけですわ。別に食べたいなどと思ってなんかいなくてよ》

《ふーん。だったら別にいいんだけど》

 大牙はあっさり言うと、ぱくり、とケバブサンドを頬張った。みるみる彼の表情が破顔し、次々と咀嚼し始める。

 シャキシャキ、もぐもぐ、もしゃもしゃ、とやる中、金髪の少女は最初は頑固に口を引き結んでそっぽを向いていたのだが、大牙が《うめー》だの《辛っ》とか感嘆符を交えて食べ進むうちに、だんだんと視線が彼に戻り、そしてついにはごくり、と唾を飲んでいた。

 一つ目の最後の一口を口の中に放り込んだ大牙は、手についたソースを舐めながら言った。

《なんだよ、やっぱし食べたいんじゃねえのか? だったらあっちで買ってくりゃいいだろ?》

 金髪の娘は一瞬高飛車にとんがった物腰になりかけたが、好奇心と食欲には勝てなかったのか、それでいて完全降伏するのも許すまじと言いたげに可愛らしいこじんまりとした唇をぎゅ、と引き結んで言った。

《そ、それはもちろん、買えますわよ、ええ、もちろんできますとも》

 と言ったものの、一向に彼女の小さな靴を履いた足は前に進まない。

《お前、食べたことねえの?》

 と大牙が呆れたように尋ねると、娘は片意地を張るように応えた。

《当たり前でしょ。あたくしの屋敷でこんな下賤なものなど、出てこなくてよ》

《じゃ、なんでこんなところにいるんだよ、それも食いたそうな顔してさ》

《それは……》

 何をそこまで逡巡するのか理解できない大牙は、おもむろにその娘の手首を取ると、店先に戻り、彼女の意向など構わずにもう一つ注文した。

《もう一つ頼むよ。今度はあんまり刺激的じゃないソースで。このガキが食べるっていうからさ》

《まあ! あたくしが、ガ…ガ…》

 少女が、大牙の口の悪さに仰天してるうちに、新しいケバブサンドができあがり、店員がそれを彼女に差し出しながら言った。

《ソースはヨーグルトにしておいたよ、お嬢ちゃん。せっかくのドレスを汚さねえように気を付けて食いな》

 葉にくるまれたそれを手にした娘はぴたりと口を閉ざした。そして店員と大牙を見比べてから、大げさなほどに決意を固めた表情になると、「えい」とばかりにかぶりついた。

 もぐもぐと口を動かしていくうちに、みるみる少女の白い頬が桜色に染まり、湖水のように青い瞳が宝石のようにきらきらと輝いた。そんな彼女の様子を見ながら、二つ目のサンドに食らいついていた大牙が言った。

《な? 美味いだろ?》

 この時ばかりは、この娘も年相応の素直さを隠し切れず、何度も頷いてみせた。

《うん、美味しい! こんなに美味しいものを初めて食べたわ!》

《大げさだなあ…こんなもん、この辺りをうろつきゃ、いくらでもあるぜ》

《本当ですの?!》

 思わず大牙の腕を掴み締めて身を乗り出した少女だったが、急にしょんぼりとなって続けた。

《あ…でも…あたくし…実はお金、持っていないんですの…普段は従者に任せきりで、自分で何かを買って食べるなどということは、したことがないのです…》

 大牙は目を丸くしてこの少女の告白を聞いていたが、実に彼らしく応えた。

《妙な奴だなあ。まあいいや、お前、まだ何か食いたいんだろ? 一緒に来るか? 買ってやるからよ》

 パッと少女の表情が晴れ渡る。それを返事と見た大牙は歩き出しながら、傍らでケバブサンドを小振りな口で必死に食べる娘をそれとなく眺めた。

 年の頃は13、4歳くらい。身長は彼と同じくらいか少し高いが、足元を見ると、長く歩くのにはあまり向かなそうな踵が高く、何かの紋章のようなものが刻まれた金のバックルがついた靴を履いていた。金髪は目にも鮮やかで、多分毎朝召使が手入れをするのだろう、美しく縦にカールして肩に垂れている。顔立ちはまるでビスクドールのように愛らしい。肌はまさに磁器のようで、やや色味の濃い金色の睫はびっくりするほど長い。そしてその青い瞳はビー玉のように透き通っていた。ただ、その美しくもあどけない顔に不釣り合いだったのは、その手にはみ出さんばかりに肉が挟まったパンを、ソースが垂れるに任せてむしゃむしゃと食べ歩きしていることだった。

《おい、ソースが服についちまうぜ》

 大牙が、さすがに見かねて言った。少女の手はすでにソースでべったりで、詰め込まれた肉や野菜をこぼさずにうまく食べることができず、先ほどから具もパンの端からぽろぽろと地面にこぼしていたのだ。

 すると少女は繊細なレースのついたドレープスリーブのドレスを見下ろしてから、肩をすくめた。

《汚れたってどうということはなくてよ。替えなんていくらでもありますもの》

 と、けろっと言った娘は、崩壊寸前のケバブサンドに挑みだした。

 案の定、ぼろっと端から具とソースがこぼれ、白いレースと深緑色のドレスの生地を汚した。

《あーあ、言わんこっちゃねえ。それに、その顔、ひでーぜ》

 大牙は洋服のあちこちのポケットを探り、くちゃくちゃになっていたハンカチのようなものを彼女に差し出した。

《ほら、これで口、拭けよ。あ、まず、その一口、食っちまいな》

 少女は素直に頷き、立ち止まると、はむはむと一生懸命にそれを食べた。そしてすべて食べ終わると、まるで豪華な料理を堪能したかのようなため息をついて大牙が差し出すハンカチを受け取り、ソースと食べかすでべとべとになっている口元をとても上品に拭った。

《ああ、美味しかったですわ!》

 と、ハンカチを返した少女だったが、まだその白い頬に食べかすがくっついていたので、大牙は何の躊躇いもなくそれをハンカチで拭ってやった。その拍子に少しだけ二人の距離が詰まり、少女がややびっくりしたように青い眼を見開いたので、大牙は素っ気なく言った。

《お前の食べ方が下手くそなんだよ。こういうのを食べ歩きするのには、コツがあるんだ》

 と彼も最後の一口を口の中に放り込んだ。当然、彼の口の周りは綺麗で、手も汚れていなかった。

 少女は妙なところに感心し、純粋に表情を輝かせた。

《あたくし、練習がしたいですわ!》 

 とここで、彼女は言葉を詰まらせ、

《あの、何と呼べばよろしいかしら?》

 大牙はすでにさらなる標的を求めるために歩き出していたのだが、そのあとをくっついてくる少女の問いに一瞬きょとんとしてから、あっけらかんと応えた。

《ああ、俺? 俺はタイガ。じゃ、お前は?》

《あたくしのことはマリーと呼んでよろしくてよ。次はどこに行くんですの?》

 大牙は呆れたように言った。

《知るかよ。俺は適当に歩いてるだけだし、今日ここに来たばかりなんだぜ。お前、この街の人間なんだろ? むしろ案内しろよ》

 するとマリーはカールした金髪を揺らして小さく首を振った。

《あたくし、なかなか自由に外出できませんの…それも、こういう場所になど、従者がいても許してもらえませんわ…だからよくわからないんですの》

《どんだけお嬢さんなんだよ、お前。じゃ、こっそり出てきちまってるのか?》

《ええ。だって、いつもいつもお部屋で過ごしたり、お庭を散歩するだけではつまらなくて…。音楽を奏でたり、御本を読んだり、刺繡をしたりなどにももう飽き飽きなんですの》

《確かにそんなんじゃ退屈しちまうなあ》

 と言った大牙たちの目の前に、ぽっかりと小さな広場がひらけた。中央に小振りの噴水があり、円形の広場の周囲には住居の他に商店も軒を連ねていた。そしてその一角に、控えめな教会の建物が建っていた。

 その教会はファサードの前に片蓋柱があり、そのアーケードのようになっている端の壁側に何やら人だかりができているのが、二人の目に留まった。

 近寄ってみると、壁にドラゴンの彫刻が施されており、そのカッと開かれた口の中に、人々が興じるような、それでいて少しの畏れをもった顔つきで頭を差し込むという、傍から見ると滑稽極まりない光景があったのである。

 大牙は、近くでその様子を面白がって見物している者に素朴に尋ねた。

《あれ、何やってんだよ?》

 すると、見物人は彼と、彼の連れには不釣り合いな娘をじろじろと見てから、応えた。

《あれは昔、泉の水が湧き出していたんだが、その水が涸れたあと、誰が言い出したんだか、邪な心を持つ者がこのドラゴンの口に頭を入れると、噛みつかれるとか、抜けなくなるだとか言われるようになってな。面白半分、本音半分で、心を試しにくる輩が絶えないってわけさ。お前さん方も試してみたらどうだい?》

《へー、おもしろそうじゃん》

 と、大牙は躊躇うことなく精緻な彫刻のドラゴンに近づいたが、それを引き止めるようにマリーが可憐な手で彼の手首を掴み、言った。

《もし、噛みつかれたらどうなさるんですの?! あたくし、怖いわ!》

 本当に怖がっているらしく、彼の手首を掴む手は冷たく、微かに震えているのが伝わってくる。

 大牙は逆にその手を握ると、ぐい、とドラゴンの前に彼女を連れてきて言った。

《俺は正義のヒーローなんだぜ、噛みつかれたりするもんか。それに、ドラゴンとは友達なんだ、俺》

 マリーが心底驚いたように青い瞳を見開く。

 その間に、大牙はにやにやとしながら頭をドラゴンの口に挿し入れていた。

《あっ、だめ、タイガ、早く戻して!》

 マリーが大牙の手を引っ張る。

 と、大牙は大仰にその手をじたばたとさせ、喚いた。

《うお? 抜けねえっ! うわああぁぁぁぁ!》

 マリーが悲壮な叫び声を上げ、周囲に助けを求めるようにおろおろと見回している。見物人も大牙の慌てぶりに騒然となったが、突然に大牙が頭を引き抜き、涙さえ浮かべていたマリーの眼前にその顔を突き出して見せ、べーっと舌を出したので、見物人たちからはわっとばかりに笑い声が巻き起こった。

 大牙は「にしし」と笑いながら、泣き顔から膨れ面になりかけているマリーに言った。

《本気にしたのかよ、こんなもん、迷信に決まってるじゃんか》

《マリーは、マリーは、本当に心配しましたのよ?! なのに、こんな悪ふざけをするなんて、ひどいわ!》

 膨れ面になりながらも、両目に溢れんばかりに涙をためている娘に対し、大牙は少しだけ悪かったと思い、首の後ろを撫でながら言った。

《泣くなよ、ただのジョークだよ、ジョーク》

《泣いてなんかいませんわ!》

 と、彼女はぷいっと背中を向けてしまった。

そんな二人を、見物人たちが好奇の目で成り行きを見守っている。さすがの大牙も、見世物になるのはたまらず、彼女の手を半ば強引に取ると、その場から歩き出しながら言った。

《だから、悪かったよ。お前がそんなに怖がりだなんてわかんねえじゃんか》

《あたくしは、怖がりなどではありません! ただ、タイガが…》

 マリーは強がって言ったものの、尻切れとんぼになった。その先を促すように大牙が彼女の顔を見つめる。マリーは彼の直視を眩しげに瞬きして受け流すと、ごくごく小さな声で続けた。

《…タイガがいなくなってしまうと思ったら、あたくし、とても哀しくなってしまったの…》

 彼は困ったようにぼりぼりと頭を掻いたが、ふと目の前に一軒の店があることに気付き、考えが閃いた。

《ちょっとここで待ってろよ》

 と念押しをするように強く言うと、彼は間口の狭い商店の中に消えていった。

 残されたマリーは、それまで彼が握っていてくれた手をもみしだくようにして所在なく立ち尽くしていたが、まもなく大牙が戻ってきたのを見ると、大きく安堵したように肩で息をついた。

 彼は両手に持っている、地球で言うならばジェラートのような氷菓子の片方をマリーに差し出し、言った。

《味がうまいかまではわかんねえがよ、これ食って、そんな顔すんの、やめちまえ》

 かりかりに焼けた薄いワッフルを丸めてコーン型にした中に、ミルク色とピンク色をした固まったクリーム状の塊が無造作に盛り付けてあるのを、マリーは珍しそうに眺めてい

る。外気温はちょうど初夏に近い。みるみる表面が緩くなり、溶けだしてくるのを見咎めた大牙が、すでにかなり食べている自分のクリームを見せ、言った。

《早く食わねえと全部溶けるぜ? ほら、こうやってな、周りから攻めるんだ》

 と、彼は人目もはばからず舌をべろっと出してクリームの外周を舐めとった。こうすると、溶けだしていた部分がきれいに整い、コーンにだらだらとクリームが滴って手をべとべとにしないのだ。

 マリーも思い切って舌を突き出し、ぺろん、とクリームの周りを舐めた。もちろん、大牙ほどきれいに舐めとったわけではなかったが、その冷たさと甘さに、彼女の表情に明るさが戻った。

《山イチゴの味ですわ! 一度、森に連れて行ってもらったことがありますの。その時、猟場の番人が摘んでくれたのを食べたんですのよ! ああ、もう何年も昔のことですのよ…あの頃はまだお父様もお元気で…》

《ぼんやりすんな? 溶けてる溶けてる》

 大牙の注意に、マリーはハッと我に返った。せっかく外に抜け出せたのに、「中」のことを思い出して鬱々となるなんて、と彼女は気持ちを切り替え、今度は思い切ってクリームを舐めた。

《お、うまくなってきたじゃん。いいか、アイスクリームはな、そうやって食うのが一番かっけー食い方なんだぜ》

 決して上品な食べ方ではなかったが、マリーは難しいテーブルマナーを習得したかのような達成感を感じていた。

 二人は足の向くままにその広場から緩やかに下る階段を降り、一旦大通りに出た。

 裏通りとは格段に人通りが違う。自然とマリーの手が大牙の手を握っていた。別段それを嫌がらず、彼はクリームを器用に舐めながら、ごとごとと走る馬車や無秩序に行きかう人々の間をすり抜け、反対側の脇道に入った。

 しばらく無言で、それでいて満足感に満ちた空気をまとって歩いていた二人だったが、不意に、それは破られた。

大牙は耳の上端がピリリとし、咄嗟にマリーの手を強く引っ張り、通りの端の建物に押し付けるようにして何かから守るように両腕を壁に突っ張った。その拍子に大牙と娘が持っていたアイスクリームは無残に地面に落ちた。

 しかし彼女はそんなことより、大牙のいきなりの行動に驚き、同時にそれまでの彼の雰囲気とは違う何かに気圧され、間近で見る大牙の厳しく尖っている黒目を見返して尋ねた。

《こ、これはどういう…》

 大牙は、無意識に自分にしがみついているマリーをかばうように腕を回しながら、警戒心はそのままに、背後を顎で示しながら振り返った。

《そいつは俺の方が聞きてえよ。俺は今日着いたばかりで、こんなことをされる覚えはねえ》

 娘は大牙が示す場所に、三本ほどの短剣(スティレット)が突き立っているのを目撃した。そこはまさに自分たちが歩いていた場所だった。彼女は動転して現実を見失うような愚かな娘ではなかったが、それが逆に彼女をとてもおののかせた。もし大牙がいなければ、自分はあの刃に貫かれていたはずだった。そしてその理由も、まだ誰にも話したことはなかったが、漠然とわかっていた。だが、そのことを、この初対面の、そして全く無関係の者に打ち明ける必要も、すべきでもないこともわかっていた。

 しかし、実際に自分に刃が向けられたことの事実は、もうすぐ15になるとはいえ、彼女の脚をすくませた。

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、大牙は娘の身体に腕を回したまま、地面に突き立っている短剣を引き抜き、それを検分していたが、頭上から気配を感じ、彼は無意識の動きで短剣をベルトに挟んで、少女を背後にかばいながら身構えた。

 黒い影がスタン、と地面に降り立つ。それはすっくと細身のしなやかな身体を伸ばすと、第一声に言った。

《マリー姫様! お怪我は?!》

 大牙はその新たな登場人物をゆっくりと観察することはできなかった。またも耳の上がピリリとし、彼は娘をその黒い軽鎧に身を包んだ赤毛の女戦士に突き放すようにすると、自分は油断なく身構え、言った。

《上から二人、前に一人、背後に三人来るぜ。おい、あんた、そのちびっこいの、しっかり守ってな。ちんぴらどもは俺に任せろ》

 と言い終わるや否や、大牙は叫んだ。

《避けろ!》

 女戦士にも気配は感じられていたのだろう、大牙に何故かと問い返すこともなく少女を抱きかかえるようにして跳び退っていた。大牙もその場から片手をついて側転をしながら、ついでに地面に残っている短剣を一本抜き取り、まるで空から急降下して獲物に爪を突き立てようとする猛禽のようにその両手に細身のダガーを逆手に握って、彼らに攻撃してきた者の一人にナイフを投擲していた。それは襲撃者の手に突き刺さり、一瞬の隙を作った。

 大牙にとっては一瞬で十分だった。

 標的をはずし、地面に着地するしかなかった襲撃者の、怪我をした方に一足で迫った大牙は、強烈な肘打ちをこめかみに入れ、連続して胸に拳を叩きこんだ。これで敵は昏倒した。もう一人の方は女戦士がその長剣の柄で殴りつけていた。

 次の一呼吸の間に、背後から複数の足音が、それから前方に見えていた人影が何かを放り投げるのが見えた。

《煙幕弾よ!》

《ちっ、めんどくせえっ》

 大牙はタタタッと素早く前方に駆け込むと、素焼きの球のようなものが弧を描いて宙を飛んでいくのを、跳躍してはっしと見事にキャッチしていた。そしてそれを反対に背後の敵の方に投げつけた。ぼわんっ、と灰色の煙がその場に広がり、後方からの足音が止まり、混乱した気配が伝わる。

 その間に彼は慌ててボウガンにボルトをつがえている前方の敵に迫り、そのボウガンをぐい、と掴むと、捻り上げた。それにつられて相手の体勢が崩れ、武器を持つ手も緩む。そこを力任せにねじ上げて奪い取ると、ボウガンの台尻でしたたかに相手の顎を殴りつけ、さらにみぞおちにも打ち込んだ。敵の身体が数メートル後方に吹っ飛ぶ。

 大牙はその者が気絶したかどうかなども確認せずにボウガンを放り出すと、今度は後方からの襲撃者に対して走り込んだ。

 敵は剣とダガーをそれぞれに持っていたが、そんなものには目もくれず、大牙は突然に身体を屈めてスライディングをするように地面の上を滑ると、中央で剣を振りかざしていた男の足元をすくった。よろめいたところに、彼の銀色のツンツン頭の突きがその男の顎のあたりにぶつかる。

ごきっと音がし、大牙は「歯が何本かいったな」と思っていると、さすがに危機感を抱いたらしい敵が、必殺の一撃を彼に向けて突き出してきた。

「おっとっ」

 右と左から剣と短剣の刃が大牙を串刺しにするかのように繰り出される。だが彼はその攻撃をするっとくぐりぬけるようによけると、それぞれの攻撃のタイミングを見切っていたかのように手刀で相手の武器を持つ手に打撃を与えて動きを止め、剣を持っている方には見事なアッパーカットが顎に決まり、ステップを踏むような動きで振り返りざまにダガーを持っている方に肘の当身を側頭部に入れ、勢いのついたまま背後に回り込んで背中に両掌の強烈な一撃が加えられてこの者は大きくよろめき、すでに軽い脳震盪を起こしているらしい剣を持つ仲間の身体にどん、とぶつかって両者ともそのまま地面にのびた。

 大牙は地面に落ちて無残に溶けてしまったアイスクリームを見下ろし、口を尖らすと、地面に転がっている者を足で小突きながら不平をこぼした。

「せっかくのジェラート、台無しにしやがって、こんちきしょう」

 そこへ、武器をおさめ、少女をかばうようにして近づいてきた黒い軽鎧の女戦士が、感嘆と感謝のまじった口調で話しかけてきた。

《よくもこの多勢に無勢をその拳だけで切り抜けたものだ。しかし、この者たちは一体…》

 と、地面に昏倒している、見るからに風体の良くない姿をした者たちを見下ろし首を傾げた。

 大牙は「ふん」と不機嫌に顔をしかめ、

《それは俺が聞きてえよ。でもよ、確かなのはこいつらがただのちんぴらじゃねえってことだ。こいつらは戦い慣れてる。それにこの短剣…》

 と彼がベルトにたばさんでいた、自分たちを狙って投げられたナイフを見せようとした時、地面に倒れていた襲撃者の一人が奇妙な呻き声を上げ、四肢をぶるぶると震わせ始めたので、彼らは驚いてそちらを見た。

 それは大牙が最初に気絶させた人物だった。手の甲にまだ彼が投げつけた短剣が突き立ったままだ。その手が病的に震え、その他の手足もぎくしゃくと気味悪く振戦しているのである。

 すると、その男の唇の端からぶくぶくと涎が泡を吹いてこぼれた。

 ぴく、と女戦士の黒っぽい眉が寄り、片膝をついて奇妙な症状を示している襲撃者の傍らにしゃがみこむと、手に刺さっているナイフを抜いてその切っ先をじっと凝視した。そしてほんの少し指先を刃にのせ、舌先で舐めると、すぐにペッと吐き出して言った。

《これには「忍び寄る死」という毒が塗られている。貴様、何者だ? このような者たちに狙われるわけでもあるのか?》

 大牙は、にわかに警戒心を高めた女戦士に、大きなため息をついて言い返した。

《だーかーらー、それは俺の方が聞きてえっつーのよ》

 さらに文句を並べようとした大牙は、ガチャガチャとした金属音と共に、一個小隊ほどの人数の甲冑を着こんだ衛兵らしき者たちが裏通りにやってきたのを見、嫌な予感がした。

 その中の隊長らしき者が、少女と女戦士をすぐに認め、最敬礼をしてから、打って変わっての厳しい眼差しで大牙を見やり、言った。

《こちらで騒ぎがあったという通報を受け、参上した次第ですが…この異国の者が…?》

 「俺は関係ねえ」と言いかけた大牙の先を越して、女戦士が言った。

《仔細は本人から聞くがいい。だが「忍び寄る死」が使われたからには、重大な何かをかかえていると考えてもおかしくはない。ここに倒れている者たちもそうだが、この男も連行して事情を聞き出すべきだな。一歩間違えば姫君を巻き込む大事件になっていたのだから》

《承知いたしました、オクタヴィア様》

 大牙は頭上で勝手に事が進むことに腹を立てながら言った。

《おい、俺はそのちびっこを助けたんだぜ? それなのにその言いざまはなんだよ、お前》

 オクタヴィアと呼ばれた女戦士は、吃と大牙を睨み据えると、

《控えよ、貴様。この御方はカーマイン王国第一王女マリー・エレオノール様であるぞ。衛兵、早くこの無礼な者を連行して尋問せよ》

《はあ? 王女?》

 女戦士の背後でしがみつくようにしてこちらを伺っていた娘と目が合う。ぱちぱちとその長い睫に縁取られた青い瞳が瞬きをしたかと思うと、勇気を出すように息を吸ってから、マリーは言った。

《オクタヴィア、この人はあたくしを助けてくれたのよ。それに、これはこの人には関係のないことなの。ええ、全く関係ないことなのよ!》

 しかし女戦士は聞く耳を持たず、手を翻した。すると、衛兵の甲冑の手が大牙の両側からがっちりと掴み、半ば引きずるようにして彼をその場から連れて行ってしまったのである。

《くそっ、お前ら、勘違いしてやがるんだ! 狙われたのは俺じゃねえ! そのお姫様の方だ!》

 大牙の喚き声はすぐに街の中の雑踏に紛れ、裏通りには届かなくなってしまった。

 残りの衛兵たちが昏倒しているならず者たちを抱えたり背負ったりして片づけているのを尻目に、マリーの護衛兼侍女のオクタヴィアは気を昂らせている王女の手を引き、足早に王城の方へと戻りながら、言った。

《これに懲りて、外歩きはおやめになることですね、姫様。それに七日後には姫様の誕生披露の祝賀会が控えているのです。無茶なことはなさらないでください。ただでさえ御父上が今あのようなご容態なのですから…》

 マリーはむすっとした表情のまま、オクタヴィアに手を引かれて歩いていたが、その小さな頭の中ではどうやってあの銀髪の人物を衛兵の手から取り戻そうかと、めまぐるしく考えが渦巻いていたのだった。


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