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“K”iller  作者: YOHANE
8/13

刺客の刃



部屋に入るまでアイラはずっと涙を目に溜めていた。

いつもの笑顔はないが、それでもひとまず涙が止まってくれて内心ほっとした。

子供にぐずられるのはどうも落ち着かなかった。


タクシーの中では彰との話については一切触れず、Kはただ黙っていた。アイラも訊ねようとはせずにKにくっついていた。

小さな手でKの服の裾を握って放そうとはしない。

Kは脇目でそれを確認するが、何の反応もせずに窓の外へと視線を逸らした。

気まずそうにするタクシー運転手は道を急いでただ前だけを向いていた。


マンションの少し手前で降ろしてもらった後もアイラはKの裾をつかんだままだった。

手をつないで歩くよりも幾分歩きにくい。

とぼとぼと歩くアイラに合わせて進むのは、すごく長く感じられた。



朝の残りのご飯と、目玉焼きを焼いた。会話無くして食べるソレは美味しくない。食器がぶつかる音だけが響く。

目の前に座るアイラはちびちびとご飯を口に運んでいて、食が進んでいる様子はない。

Kも自分の分を機械的に咀嚼(そしゃく)した。

「ごめんなさい…」

食事が終わったころアイラが口を開きようやく重い沈黙が途切れた。

食器を片づけようとして上がっていた腰を再び下ろし、Kはいきなり何の事だと当惑してアイラを見返す。


「アイラはなにか悪いことしちゃったんでしょ?だからケイは私を嫌いになっちゃったんでしょ?お父さまもお母さまも本当は…アイラを嫌いになったからケイに連れてくように頼んだんでしょ?」

幼いが、自分の考えを持てる年齢だ。アイラはアイラなりに考えてその答えに行き着いた。

自分なりに推測して出した答えは間違っているが、正解よりは優しい。

本当にそれが現実なら良かったのに。


「誰もお前を嫌いになんてなっていない。俺とお前は一緒にいる事はできない、ただそれだけだ」


嫌いなわけじゃない。

けれど一緒にいることは不可能なのが現実だ。

過去が変わらないのと同じで、その事実も変わることはない。


「なんで!?あそこのおじさんヤダ!私のこと絶対嫌いだもん!」


彰の話題が急に出てきたことを怪訝に感じたが、アイラは確信をもって言っているようで眉間にしわを寄せて不快をあらわにしている。

見ている限りは人の好い笑顔を浮かべていたのに、アイラは嫌われていると感じたらしい。K自身も好印象は持たなかったが、自分よりは数倍マシな人物だろうと判断した。

アイラを嫌っていようが、一度引き取れば世間体もあり存外な扱いはされないだろう。

少なくとも命の危険はない。


「すぐに慣れる」


突き放すような言葉の意味をアイラがどう解釈したかは分からない。

けれど見開かれた瞳を直視することができず、逃げるようにその場を離れた。


アイラはそれきり口をきこうとはせず、午後はずっとキリンとネコだけを抱きながら外を眺めていた。

置き去りにされたシロクマはどこか寂しそうに部屋の片隅あった。

時折すすり泣いているのかと感じる事があったが、確かめる勇気も慰める術も分からずに知らないふりをして興味もない本に視線を落とすしかなかった。



*・*・*・*



異変が起きたのは空が赤く染まり始めた頃。


「…」

Kは不審な物音を聞いた。玄関付近から聞こえたそれは、布擦れの音と金属が擦れる音。


――鍵穴に何かが差し込まれたか?


Kはアイラの位置を確認する。

泣き疲れたのか窓際で寝ていて、当然のことながらこの状況に気づいていない。

高層にあるこの部屋なら、窓からの危険は少ないだろう。

ただ、玄関から一直線上にあるので、そこから姿が丸見えになってしまう。けれどそれに対処する術を頭の中でシュミレーションし、規則正しく肩が揺れていることを確認すると、Kは物音を立てず玄関に近づいた。


覗き穴を確認せずとも、扉一枚向こうに人がいる事は確かで、それがただの客でない事も確かだ。

あまり複雑でないこのマンション鍵構造は、その手のプロならば間もなく開けてしまうだろう。

こんな脆い護りの壁が無くとも自分の身は守れると自負しているが、今はアイラがいる。もう少し警戒しておくべきだったと後悔した。

だが、事前に対策していたとしてそれも時間稼ぎにしかならないだろう。


静かで人目を寄せつけないやり方をすることから、相手は同業者。

どこの誰かは気になるところだ。今まで身を潜め、尾行にも終始気をつけていたKの居場所を知る人物。

いや、情報提供者は他にいるだろう。


カチャン、と鍵が回った。

予想以上に時間をかけていたが、やはり素人にしては早すぎる。手慣れた空き巣は留守を確認してから鍵を開けるから、その線は消え、やはり同業者だと確信した。


ドアノブがゆっくりと回された。

決して焦らず、慎重にドアが開かれてゆく。じれったいくらいのスピードは余計に緊張感を煽る。


Kはもう一度アイラの位置を確認し、そして自分もドアを開ける位置からは死角になる場所に身を潜めた。

やがて外からの光が差し込み、人一人通れるくらいの隙間が開いた。しかし中の様子を窺っているのか、なかなか踏み込んでは来ない。

やたら慎重なのは、まだ経験が浅い証。

Kくらいに経験を積めば中に何人いるかぐらいは外からでも把握できる。


あと一歩…。

あと一歩を踏み込んで来れば、殺せる。


早すぎれば逃げられたり深手を負わせられない可能性がある。けれど遅すぎればアイラへ危険が及ぶ。



気に掛けなければいけない人が側にいるというだけで、いつもとは調子が狂いそうになる。緊張感も高まってくる。


Kはナイフを握りなおし、その時に備えた。


緊迫し、焦れったい状況は初めてでは無い。これ以上の修羅場をいくつも超えてきた。

命の危険を感じたことも少なくない。



そのなかで培った勘が訴えかけてくる。


――何かを見落としている、と。


それが重大な何かなような気がして、胸が落ち着かない。

それはいま対峙しようとしている訪問者のことだが、決してそのことだけではない。


何だ?

何を見落としている…??



何を――…



Kが答えを出す前に、招かれざる客は一歩を踏みこんだ。Kは疑問を押しのけ、迷いなくナイフの切っ先を首元めがけて突きつけた。

急に現れたKの存在は予想外だったらしく、客は目を見開き首筋にナイフを押し当てられたまま壁に押し付けられた。

悲鳴は驚きの声にまじって小さく漏れたにとどまった。



全ては一瞬の出来事で、玄関の扉はまだゆっくりと閉じていくところ。そしてドアの閉まる重い音が響く。


「動くな」


Kの低い声が男の鼓膜を震わせる。それに連動するように背筋もぞっと震えた。


男の首に突き付けられたナイフの切っ先は薄皮一枚を破り血をにじませている。ナイフに力を込めると、ツーっと赤い筋ができた。脅しでないことを理解し、男は視線を首に落とすと驚きと畏怖の籠った瞳でKを見る。


男にとって突然飛び出してきたKの存在は全くの予想外であって、あの一瞬で押さえられたと言うのに体の自由は完全に奪われてしまっている。

動くなと言われても、実際そう簡単には行動を起こせそうにはない。

拳銃を持つ手はKの片手で関節を固定されて動かせないまま顔の横にある。指は動くが、引き金を引いても誰を怪我させることもできない。

せいぜい人が集まって騒ぎになる程度。いや、引き金を引く前に殺されるだろう。


拳銃ですぐに撃ち殺されなかっただけマシだと思うべきなのだろうか?

いや、いまはナイフで切り裂かれなかっただけと訂正すべきだ。


「裏はどこだ?」

「言う訳ないだろ?」

Kの抑揚のない声が男を詰問する。余裕のない状況だが、男は負けずと不敵に口元を上げた。

肩をすくめて強がって見せるが、Kはそんなことを気にも留めていない。

「…お前は何だ?」

「雇われの殺し屋だよ。俺の他にも雇われてるなんて聞いてないぞ」


舌うち交じりで男は吐き捨てる。


引っかかる言葉は、先ほどの疑問を再沸させた。


「――なんだと!?」

「先越されちまった。この場合報酬どうなんだ?」


動揺するKに気づかず、男は警戒心を解いて肩をすくめて見せた。

彼の視線にはアイラが横たわっている。男は獰猛な光を含ませて彼女を凝視する。


夕日に照らされ床ごと紅く染められている。


「……誰からの、依頼だ」

「あ?言う訳ないっつったろ?」

それでも、確認せずにはいられない。


「おい、まだあのガキ死んでねぇな」


男の瞳がさらに怪しく光る。

Kが止めを刺し損ねたと思ってか馬鹿にしたように笑った。


「俺が止め刺しといてやる」


くつくつと笑いながら身じろいだ。手に持っていた銃を持ち上げようとしたのだ。



「――?…ア、ガッ・・ハッ・・?」


拳銃は床で一度弾んで足元に落ちた。硬質な音が部屋の空気を震わせた。

その上に鮮血が降り注ぐ。


男は首を押さえ、目を血走らせながらKを凝視している。何かを問いたげに口を動かしているが、求められる問いを知りながらKは口を閉ざす。

苦しそうな息がヒューヒューと漏れ、血が気管に流れ込み激しく咳き込んでいる。


「…動くなと、言ったはずだ」


しかしそれよりも、アイラが狙われたという事実がKに行動を起こさせた。


銃口が向けられそうになった瞬間にナイフは横に引かれた。

裂けた肉からは血が溢れ出す。重要な血管は傷付けられていないのか、即死だけは免れている。けれどこのまま放置すれば出血多量で間もなく命を落とす。

男は慌てて首元を押さえた。しかし無情にも指の間から溢れ出す血は床に血溜まりを作っていく。

ぴちゃん、ぴちゃんと次第に血液は失われていく。


青ざめてきた表情の中で、眼だけが異常に血走っている。床に這いつくばりながらもKを見上げて睨みつけた。


――はやく、殺せ…!


視線でそう訴えかける。

しかしKはその訴えに気付きながらもあえて手を下そうとはしない。

もがき苦しむ姿を見て快感を感じる者も多いが、Kにそんな趣味は無く、何も感じることなく生気を失ってゆく姿を見下ろしていた。


情報はもう聞き出せないならばこの男にもう価値は無い。

苦しもうが関係なく、床を汚されることだけが不快だ。血臭が部屋に充満していく。


夕日の赤さが毒々しく演出されている。




いつの間にか苦しそうな息使いは静まり男は息絶えていた。それでも血はじわっと広がり続けている。


Kはアイラに近づく。人一人が死んだばかりのこの部屋には似つかわしくない安らかな寝顔。苦しみ血の気が失せた男の死顔のせいで、それが異物に感じてしまう。


その異質さが、Kとアイラの住む世界の不和を明確に示している。


眉をひそめながら手に付着した血を服の裾で拭うと、腕をそっとアイラの体に回し抱き上げた。アイラは薄らと目を開けたが、Kの姿を確認するとまた閉じた。


早くここから離れなければ。


居場所が割れているのなら、不利になるのはこちらで危険も高くなる。

刺客に出した者が戻って来なければ、すぐに失敗したと知れるだろう。それで諦める相手ならいいが…、そうでない可能性が高いと推測できる。


部屋を出る手前で、Kは部屋に散らばるぬいぐるみを目に止めた。

逡巡してから、ネコとシロクマだけを手に取った。キリンは持ちにくく、アイラを抱えながらでは持ち出せない。



非常階段を駆け下りて、タクシーを止めた。


「世田谷に向かってくれ」


車が発進すると、アイラは漸く目を覚ました。目を擦りながら、流れゆく景色に目を留めて、Kに視線を移した。


「…どこいくの?」

「昼間行ったところだ」

「ケイと、お別れなの…」

ポツリと呟いてアイラは不安げにKを見つめる。Kは苦い顔をしながら答える。

「いや、まだ分からない」

はっきりしない言葉に不安は煽られる。

しかしKはアイラの心情を察している余裕を持ってはいなかった。



ただ不穏な予感に揺れる気持ちを抑えるので精一杯だった。




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