第二十二話「ゴンタの誓い」
ケイスケの背中が、草原の向こうに小さくなっていく。
ゴンタはそれをじっと見ていた。
隣にはゴンスケとゴンザブロウがいる。三人とも、誰も何も言わなかった。ただ、草原の向こうに消えていくケイスケの背中を、黙って見送っていた。
「……ヒカリ」
「ケイスケノ」
「マブシイケド、マブシクナイ」
立ち止まって一度こちらを見たかと思えば、やがてケイスケの頭上に光の玉が出現したことに、みんなで驚いた。
空に浮かぶ太陽のように明るく暖かで、でもずっと見つめていても眩しくない、不思議な光。
「ケイスケミタイダナ……」
これまでの度の中で何度も見てきた、ケイスケが出す光。それのもっともっと大きくなったものが、今見ているものだ。
光はやがて静かに消えていく。
目の奥に残るものもなく、ただ静かに。
ケイスケは振り向いて前に向かって歩き出した。それからはもう振り返らなかった。
やがてケイスケの姿が、草原の緑の中に溶けて見えなくなった。
それでも三人は動かなかった。
見えなくなっても、まだそこにいる気がした。だから、もう少しだけ見ていた。
風が吹いた。草原の草が波のように揺れている。
「……イッタナ」
ゴンスケが、ぽつりと言った。
「ウン」
ゴンタは短く答えた。
ゴンザブロウが胸の名札をそっと握った。何も言わなかったが、それだけでわかった。
三人は顔を見合わせた。そして、森へ踏み出した。
帰り道、ゴンスケがぽつりと言った。
「ケイスケ、カエッテクルカナ」
「カエッテクル」
ゴンタは迷わず答えた。
「ナンデワカル?」
「ワカル」
理由を言葉にするのは難しかった。でも、確信はあった。
「オマエタチモ、ヒカリ、ミタカラワカルハズ」
ゴンタの言った言葉に、何故かゴンスケもゴンザブロウも、理解した。
あの光こそがケイスケの答えだと。きっといつか帰ってくると。
それにケイスケは別れ際、「帰ってくる」と言った。子供たちに向かって言った言葉だったが、ゴンタにもちゃんと届いていた。ケイスケは嘘をつかない。言ったことは必ずやる。それは一緒に過ごした時間の中で、ゴンタが一番よく知っていることだった。
ゴンザブロウが名札を見つめながら、静かに言った。
「ケイスケ、ナマエ、クレタ」
「ウン」
「ゴンザブロウ、ズット、コノナマエ、タイセツニスル」
「オレモ」とゴンスケが言った。「ゴンスケ、イイナマエ」
ゴンタも自分の名前を、心の中で繰り返した。
ゴンタ。
最初に名前をもらったとき、それが何を意味するのかよくわからなかった。ケイスケが俺を指差して「ゴンタ」と言った。それだけのことだった。
でも、名前というのは不思議なものだ。
名前があると、自分が自分になる。群れの中の一匹ではなく、ゴンタという、他の誰でもない存在になる。ケイスケと話すとき、ゴンタと呼ばれるたびに、それを感じた。
ケイスケは、俺たちに名前をくれた。
他にも、色々なものをくれた。
それだけでも、十分すぎるくらいだった。
行とは違って、帰り道の足取りは早かった。
一度通った場所をそのまま戻るだけだった。
それでも村に帰るには、長い時間が必要だった。
途中、三人で協力して魔獣を狩ることもあった。
「マセキ、ケイスケニアゲル」
「ケイスケノ、コウブツダカラナ」
ゴンスケとゴンザブロウがそんな話をしている。
ゴンタはそれが違うことを知っていたが、あえて訂正をすることはなかった。
何故ならば、そのほうが面白いと思ったから。
「マセキ、ヤマモリニシテワタス。キットケイスケ、オドロク」
「ソレ、イイ」「サンセイ」
山盛りの魔石を前に、ケイスケはどんな顔をするだろうか。
それを考えるだけで、ゴンタの顔に笑みが浮かんだ。
村に戻ると、メイコが入り口で待っていた。
腕の中にミコを抱えて、静かな目でこちらを見ていた。
「カエッタ」
「ウン」
「ケイスケハ?」
「イッタ。ヒガシヘ」
メイコは小さく頷いた。悲しそうな顔はしていなかった。最初からそうなることをわかっていたような、そういう顔だった。
ゴンタはメイコの隣に並んで、ミコを覗き込んだ。ミコはゴンタを見て、小さな手を伸ばしてきた。ゴンタはその手を指で包んだ。
「メイコ」
「ナニ?」
「ヨツクリのホコラノコト、モウイチドキカセテクれ」
メイコは少し間を置いてから、村の中へと歩き始めた。
「ハナス。コイ」
焚火を囲んで、メイコは語った。ゴンタとゴンスケとゴンザブロウが、その周りに座った。子供たちは眠っている。
この焚火だって、ケイスケが教えてくれたものだ。
床に敷いている毛皮だって、ケイスケがいい方法を教えてくれた。子供たちはこの毛皮の上で寝転がるのが好きだった。
眠っているミコを優しく撫でて、メイコはゴンタに向き直る。
ヨツクリノホコラ。
それは村から少し離れた場所にある、古い石の部屋のことだ。
ゴブリンたちが代々、むやみに近づいてはならない場所として守り続けてきた場所。主がいつかそこで目覚めるまで、その場所を守ることが、この聖域の、この村の役目だとされてきた。
「メイコ、イツカラシッテタ?」
「ウマレタトキから、コエ、キコエテタ」
メイコは静かに言った。
「メスなら、ミンナキコエル」
声。ゴンタには聞こえたことのない声だ。でもメイコには、ずっと聞こえていたのだという。言葉ではなく、感覚として。温かくて、大きくて、遠くから届くような、そういう声が。
そしてある日、ホコラの扉が開いていた。
岩の蓋とでもいうべきか、とにかく本来そこにあるべきものがなく、ぽっかりと口を開いていたのだ。
恐る恐る中を見てみたが、中は伽藍洞。何かがいるような気配はなかった。
「アレには、ビックリシタ」
「メイコ、アワテテタモンナ」
「アンナコトガアレば、ダレデモアワテル」
むっとした顔をするメイコに、ゴンタは首をすくめる。
「ワタシタチのバンダッタノハ、ウンガヨカッタ」
「ソウダナ」
祠の確認は、東西南北の村で、交代で行っていた。ちょうどあのときは、自分達の番だったのだ。
「ミチ、キレイニシテオイタノガヨカッタカモな」
「ソウ。ケイスケもキレイ、スキだった」
「ホカノムラ、テキトウダッタ」
「ソレもソウ。ダカラ、ワタシタチのトキだったトオモウ」
「マチガイナイな」
「マチガイない」
それから、メイコ達は周囲を捜索した。
祠から出てきたであろう存在を探すために。
すぐに見つけることができたのは幸いだった。
「ケイスケガイタ」
「ウン」
「ソレが、アルジサマダトスグにワカッタ」
ゴンタは頷いた。
メイコがケイスケに最初から丁重に接していたのは、そういうことだったのだ。
最初は混乱して威嚇してしまったが、メイコに言われて落ち着いてからはゴンタ自身も、ケイスケに不思議な親しみを感じていた。うまく言えないが、この人間についていけばいいと、体が勝手にわかっていたような感覚があった。
「メイコ、オレタチニ、イッテタヨな。ゼッタイ、テイチョウに、トイウコト」
「ソウ。アルジサマは、タイセツにシナケレバナラナイ。ソレが、コノムラノツトメ」
ゴンスケが「ダカラ、ケイスケ、カミサマミタイナアツカイシタノカ」と言った。
「チガウ」とメイコは首を振った。「カミサマダカラジャナイ。タイセツナヒトダカラ」
ゴンタはその言葉を、しばらく胸の中で転がした。
大切な人。
そうだ。それだけのことだ。神様だからとか、主だからとか、そういうことじゃない。ケイスケは大切なやつだから、大切にした。それだけのことだった。
「メイコ」
「ナニ?」
「ミコ、メノ、マイ。メスガサンニン、ウマレタコト。アレモ、ソウイウコトカ」
メイコは少し間を置いてから、静かに頷いた。
「……きっと、ツトメを、ハタシタから」
「ツトメ」
ゴンタはそれを聞いて、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。
功績への報酬。役目を果たしたことへの、答え。
ミコ、メノ、マイ。あの三人が生まれたことは、この村がちゃんとやってきたことの証なのだと、そういうことなのだ。
「ゴンザブロウ、シッテタカ?」
ゴンタが聞くと、ゴンザブロウは名札を握りながら、首を横に振った。
「シラナカッタ。デモ、ナントナク、ワカッテタ」
ゴンスケも「オレモ」と言った。
ゴンタも同じだった。言葉にできなくても、体が知っていた。
それから三人は、焚火の前でしばらく話し合った。
東の村のことは、もう諦めることにした。ゴンタたちがあの方向に向かったとき、別の群れに捕まって暴行を受けた。あちらには、仲間にはなれないゴブリンたちがいる。無理に関わることはない。
群れがあるかすら、今となってはわからないが。
「キタハ?」
「キタノムレ、ワルクナイ。イチドアッタコトアル」
ゴンスケが言った。ゴンタも頷いた。北の方角には、別の群れがいる。以前に少しだけ接触したことがあって、敵意はなかった。
「ニシモ」とゴンザブロウが言った。「ニシノムレ、オオキイ。ワルクナイキク」
「ヨブカ」
「ヨブ」
三人の声が重なった。
北と西から仲間を呼び込めれば、この村はもっと大きくなれる。メイコの子供たちが大人になるころには、もっと立派な村になっているかもしれない。
「ケイスケ、カエッテキタトキ、オドロクナ」
ゴンタがそう言うと、ゴンスケが「ゼッタイ、オドロク!」と笑った。ゴンザブロウも珍しく声を上げて笑った。
そうだ。帰ってきたケイスケに、大きくなった村を見せてやる。お前がいない間にこんなになったぞと、驚かせてやる。それがゴンタたちの、新しい目標だった。
「ゴンタ」
ゴンスケがにやにやしながら言った。
「ナニ?」
「ムスメ、オオキクナッタラ、ケイスケニ、タネ、モラエルナ」
ゴンタは少し考えてから、真剣な顔で頷いた。
「ソウダナ。ミコカ、メノカ、マイカ。ダレガイイカナ」
「ミコ、オトナシイカラ、ムリカモ」
「メノハ、チョットヤンチャスギルカモ」
「マイハ、コエ、オオキイカラナ……」
三人で真剣に話し合っていると、メイコが呆れた顔でこちらを見ていた。
「コドモタチは、コドモタチのイキカタがアル」
「ソウダケド」
「ムリヤリはダメ」
一言で終わらせられた。
ゴンタは「ソウカ……」と肩を落とした。ゴンスケとゴンザブロウも同じように肩を落とした。
でも、ゴンタは心の中でこっそり思っていた。
ミコたちが大きくなったら、その時にまた考えよう、と。
焚火が静かに燃えている。
夜空には三つの月。
ケイスケも今頃、同じ月を見ているだろうか。
「ゴンタ」
メイコが静かに言った。
「ナニ?」
「ケイスケ、マモッテくれて、ありがとう」
ゴンタは照れくさくなって、頭を掻いた。
「メイココソ。ズット、タイヘンダッタダロ」
「うん。でも、ヨカッた」
メイコはミコを抱き直して、焚火の炎を見つめた。その顔は穏やかだった。
ゴンタも炎を見た。
ケイスケ、元気でいろよ。
そして、早く帰ってこい。
その日がくるまで、俺たちはここでちゃんとやっていく。
焚火の炎が、夜風にゆらりと揺れた。
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