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プロローグ 因果の劇場、開演のブザー

深い、深い、闇の中だった。 


体感覚は消え失せ、自分が生きているのか死んでいるのかすら分からない。 


覚えているのは、冷たい雨の夜。信じていた相棒に全財産を持ち逃げされ、冷たいアスファルトの上で、文字通り路頭に迷って行き倒れた、あの惨めな最期の瞬間だけだ。


(ああ、俺の人生は何だったんだろうな……) 


他人のために働き、他人のために施し、他人のために頭を下げ続けた。 


善良に生きれば、いつか報われると信じていた。


結果はこれだ。搾取され、使い捨てられただけの、無価値な一生。



「――おや、無価値などと。とんでもない」


 パチン、と暗闇に軽快な指パッチン(フィンガースナップ)の音が響いた。



次の瞬間、俺の視界に『それ』が現れた。 


漆黒の闇の中に、ぽっかりと浮かび上がるスポットライト。 そこに立っていたのは、一人の男だった。



頭には、異様に背の高い黒のシルクハット。

身にまとっているのは、夜の闇に溶け込むような、白と黒のストライプ柄の燕尾服。


顔は深い影に覆われてよく見えないが、口元だけが三日月のように不気味に、そして紳士的に吊り上がっている。



「誰だ……? ここは、あの世か?」 


声帯がないはずなのに、俺の言葉は形になった。


「いかにも。ここは生と死の狭間、因果が交差する劇場でございます。私は、貴方様のような『偉大なる魂』を次の舞台へとお送りする、ただの案内人にすぎません」



男はシルクハットのハットに手をかけ、大袈裟な動作で一礼した。 


ストライプの燕尾服が、まるで生き物のようにゆらりと揺れる。


「偉大な魂だって? 皮肉ならよしてくれ。俺はただの騙されやすい馬鹿だ。善人ぶって、最後に全部奪われて野垂れ死んだ、ただの負け犬さ」


「おやおや、自己評価が低い。世界は貴方様を裏切りましたが、宇宙の計算システムは嘘をつきません」




案内人が、空間をスッと指でなぞった。


すると、何もない空間に、無数の光り輝くホログラムの文字が、滝のように溢れ出した。


 それは、俺が前世で行ってきた「善行」の、あまりにも詳細な記録だった。


「孤児院への寄付。部下の身代わり。そして、トラックに轢かれそうになった見知らぬ子供を救った、その尊き最期。……貴方様が他者に与えた『プラスの因果』は、この宇宙の限界値を突破しております。いわば、天文学的な額の貯金(徳)を持ったまま、一度も引き出さずに破産した大富豪。それが前世の貴方様だ」



案内人は、手にしたステッキを軽く床に突いた。


コツン、と音が響いた瞬間、周囲の闇が「星の海」へと変貌した。


数千、数億の星々が瞬き、巨大な宇宙戦艦が光の尾を引いて飛び交う、壮大な星間国家の光景だ。


「神々は、不条理を嫌います。……そこで、未回収の『善意の対価』をすべて持って、次の人生を始めていただきます」


「次の、人生……?」



「ええ。舞台は、科学と魔術が交差する星間帝国の最果て。理不尽に使い捨てられようとしている、若き辺境伯『バルタザール』の肉体。――さあ、未回収の因果を逆転リバースさせましょう」 


案内人がニヤリと笑う。


彼が再び指を鳴らすと、俺の魂の中に、濁流のような「力」が流れ込んできた。


『――システム起動。固有スキル【因果応報カルマ・リバース】を開放。善行ポイント、カンスト値を検出』




「その能力は、貴方様が受けた悪意を、そのまま破滅の力へと変換する奇跡。前世で優しすぎた貴方様。今世ではどうぞ、その有り余る『貯金』を使って、ご自身の為だけに我が儘に生きてくださいませ」


 俺の意識が、徐々に新しい肉体へと引っ張られていく。 


遠ざかる意識の中で、シルクハットの案内人は、ストライプの燕尾服をなびかせながら、満足そうに両手を広げた。


「それでは、優しき辺境伯様。――因果逆転のスペースファンタジー、これより開演でございます!」 


男の不敵な笑い声を最後に、俺の視界は、爆発するような光に包まれた。

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