3話 ホワイトスネイク
血溜まりと底の見えない谷底から背を向けてどれくらい経ったのだろうか。
歩きながらぶつぶつと回復魔法を唱え続けたおかげで腕の骨はくっつき、身体中の擦り傷も癒えてきた。
そして2つ分かった事もある。
1つ目はこのまま彷徨えば死ぬだろうと言う事だ。
漂う魔力は地上よりも遥かに濃い。
5分もすれば魔力は全回復するし、軽い魔法ならば永続して使い続ける事もできるだろう。
けれど疲労はどうしようもない。
立て続けの戦闘で消耗した上に、飲まず食わずで歩き続けた。
旅の目的地も、計画も、食料も水分も無い。
2つ目はこの魔界でも生態系があると言う事だ。
残念ながら心安らぐ木や花畑ではないが、足首ぐらいの草が生え始めた。最も、陽光のない地下世界では緑色の葉などなく、空と同じ灰色の草なのだけれども。
さっき、赤い鱗をしたワイバーン2匹が別の魔物を喰っていた。その魔物は身体は大きく、万全の状態であっても勝てるか分からないが、大きな角が付いていた。
大きな角は獲物を捉えるには向いていない。
つまり草食魔物とでも言うべき存在がいるのだろう。
ならば人間が生きていける環境もあるのかも知れない
歩き続けるモチベーションは湧いた。
現状をおさらいした所で、今3つ目の発見が出来た。
木が見えた。
オアシスの様なものだろうか、色気のない乾燥地帯の中で、数10本の木が見える。
やっぱり灰色の、不自然な自然ではあるが、あの黒いスライムが居ないだけで楽園にしか感じない。
近づいてみると、泉があった。
見た所魔物もおらず、逆に怖いくらい順調だ。
軽率でしかないが、左右を軽く見ただけで走り出し、水にかぶり付いた。
口が潤っただけで、何事にも勝る幸福と生の実感を感じる。
実際は薄暗く、結構ぬるいのだが、今は聖域のありがたい聖水にしか感じない!
この地を讃える詩を日記に書き記し、そこに転がっている小石に清き水の美味しさを力説するつもりだったが、それはできなかった。
すごい眠いのだ。
分かっている。危険な魔界ではとても危険で、とても烏滸がましく、そして愚かな行為であることは。
しかし、ああ、すごい、ねむいのだ。
なんとか身体を起こし、よたよたと数歩だけ歩くと岩陰があった。
一応外からは見えないだろうし、簡易的な結界を張ったので何とかなるだろう。
というか、そんなことを考える暇もなく、岩肌に背中を預けると意識はなくなった。
目をあけて、頭が起き始め、最初に思ったことは
やっぱり神も、聖域も、守護霊も、存在はしないのだろうということだった。
蛇がいる。
それもめったに見ない、ありがたい白蛇が。
大きさはそんなにでもない。田舎では何度か見たことがあるような普通の蛇だ。
しかし数は多い。村人全員の財布に蛇の皮を入れられるぐらいにはいて、完全に包囲されている。
結界のギリギリまで近づいているが、こちらの存在を認識はしていない
視力や体温で獲物を捉えるのではないのだろう。
魔力で世界を認識しているのかもしれない。
舌をチロチロと出しながら、こちらに向いているので、違和感を持っているといったところだろうか。
オアシスへの高揚感もなくなり始め、白蛇への恐怖が湧いたころ
もう1つの違和感を認識した。
鼻血だ。
ぼたぼたと音が出るほどの大粒の血が地面を濡らしている。
張った結界は、内部の魔力を外に出さず、こもらせるというものだ。
平時では魔物との接敵をへらし、魔力を回復させる便利な代物だが、魔界で使ったのは悪手だった。
濃すぎるのだ。
人体はあまりにも濃い魔力に耐えられない。
だから血液ごと魔力を排出しようとする。
多少の魔力濃度では直ぐに出血はとまるのだが、この結界内では止まらないどころかさらに勢いを増す
白蛇が魔力で判別しているのなら、この結界のおかげで見つからなかったし、白蛇の縄張りだから他の魔物にも襲われなかったとも考えられる。
しかし………どうしろというのだろうか。
結界を解けば、強さのわりに目立つ雑魚が包囲網に捕らえられる。
結界を解かなければ高濃度の魔力に侵され、死肉をついばまれるだけだろう。
白蛇が結界と触れるほどの距離に近づいていると結界を破る選択肢はないように思う。
だが更に熱く手の甲を濡らす血が、あの血だまりをを想起させ、焦らせる。
息を大きく吸い込み、杖を握りしめた。
そして岩に片足をつけ、思いっきり蹴り、走り出した。
結界は解除するのではなく、破壊して破片をまき散らした。
蛇共はいきなり現れた魔力に反応できなかったのだろうか、包囲網を直線で突っ切ることができた。
蛇は黒いスライムとは違って知性があるらしい。
結界の破片と魔力のこもった血だまりには興味を示さず大半の蛇が獲物の追跡を開始した。
さっきまで輝いていた泉が、薄暗い墓地にすら感じる。
蛇の素早さはかなりのもので、先頭の数匹は10センチほどに迫る。
焦りながらもなんとか1息吸うことができた。
右足を軸に半回転し、杖の先から精一杯の風魔法を放つ。
木々はたわみ、岩石もいくつか吹っ飛び、後方の蛇は追跡をやめたようだ。
最前列の数匹は怯み、少し後ろにいた蛇が突っ切ってくる。
これもやはり異常事態だった。
魔力を過剰にため込んだ分、魔法の出力は全力以上。
蛇のサイズからすればやりすぎな威力であった。
だが、精一杯の魔法で稼げたのは、ほんの数メートル。
恐れが大きく膨らんだ。逃げるしかない。
そう思い、もう一度足を踏ん張ったが、クラウチングスタートもせず、吸った息も使い切っている。
走り始める前に、一匹足に嚙みついてきた。
焦りながら観察すると、異常事態の理由が分かった。
鱗だ。
白蛇の鱗はレッドドラゴンのものに近い、分厚く魔力をため込んだ鱗で、確かにこんな鎧の前では矮小な魔法なぞ意味はなさないだろう。
絶叫をあげる余裕もなく、うなることしか出来なかったが、それでも気合を振り絞って走った。
数匹の先頭集団はじりじりと寄ってくる。
怯んでやや遅れた蛇共も追いかけてくる。
歯食いしばって必死に考える。足についた蛇が一段と牙を食い込ませる。
か細い閃きが巡る。
蛇が数匹飛び掛かり牙の痛みが体を貫いた瞬間、ようやく覚悟を決めた。
走りを止めて、精一杯足を踏ん張る。
そして身体の隅々の魔力を集め、閃光として放った。
目を開けると、身体にくっついていた奴らもにじり寄っていた先頭集団も地面をのたうち回っていた。
魔力で判別しているという仮説は正しかったようだ。
獲物と仲間と結界片を見分けるほどの精密なセンサーは突然の閃光に耐えられない。
鎧に覆われていようと、感覚器官をつぶされればどうしようもない。
数分もすれば回復するだろうし、泉に残った蛇どもはまだ元気だろうが、とりあえず生き延びた。
そう思った瞬間、喉に痛みが走った。
確かに先頭集団はもがいている最中だった。
しかし最初に魔法で吹っ飛ばした1匹は距離が離れすぎていた。
頸動脈は噛み千切られ骨を砕かんとするほどの力で絡みつく。
見通しも甘かったようだ。
この魔界でこのサイズの蛇が獲物をしとめる方法は集団で噛みつくことではない。
毒が身体を回り始めた今、そう理解した。
薄れゆく意識の中で思考も回らなくなったころ、背後に閃光が見えた気がした。




