3話 ホワイトスネイク
どれくらい経ったのだろうか。
歩きながら回復魔法を唱え続けた。
おかげで腕の骨はくっつき、身体中の擦り傷も癒えてきた。
足も問題なく動いてくれる。
分かったのは二つ。
一つ目はこのまま彷徨えば死ぬだろうと言う事だ。
漂う魔力は地上よりも遥かに濃い。
数分もすれば魔力は全回復する。
軽い回復ならば永続して使い続けられる。
けれど、疲労はどうしようもない。
飲まず食わずで歩き続けた。
未だ血の味は口内を満たしている。
脱出する手も、計画も、食料も水分も無い。
自分の死因ならそこらにありそうだけど。
二つ目はこの魔界でも生態系があると言う事だ。
木や花畑ではないが、足首ぐらいの草が生え始めていた。
陽光の射さない地下世界らしい、闇と同化しそうな灰色の草だ。
さっき、赤い鱗をしたワイバーン二匹が別の魔物を喰っていた。
そして、その魔物の額には大きな角が付いていた。
大きな角は獲物を捉えるには向いていない。
つまり草食魔物とでも言うべき存在がいるのだろう。
……今は、水だけでも、一杯だけでいいから欲しくてたまらない。
爽やかな水を思い出して、口に溜まった血を吐き捨てる。
今三つ目の発見が出来たからだ。
遠くに木が見えた。
色気のない乾燥地帯の中で、数十本は見えてきた。
やっぱり灰色の、不自然な自然ではあるが、希望をくれただけで楽園だ。
折れかけた心が、疲れた身体が許す限りの全速力で駆け抜けた。
泉は確かにあった。
木からの距離数メートルの茂みで一分間。
未だ魔物の気配は感じない。
最後左右を軽く見た。
もう我慢は出来ない。
どうせ死ぬならばと、楽園に飛び出した。
水にかぶり付く。
それだけで、何事にも勝る幸福と生の実感を感じる。
実際は薄暗く、理由は分からないがぬるいというより、もはや生暖かい。
それがなんだ!
ありがたい!ありがたい!ありがたい!
聖教団の聖水よりも、学校で流行ったジュースよりもずっとずっと美味しい。
もし生きて帰ったら、僕はぬるい水しか飲まなくなるかもしれない。
日記があったら、この聖域を讃えただろう。
でも、瞬間に緩んでしまった。
すごい眠いのだ。
分かっている。
危険な魔界ではとても危険で、愚かな行為であることは。
こんな場所はサッサと離れるべきだ。
でも、すごい、ねむたい。
なんとか身体を起こし、よたよたと数歩だけ歩くと岩陰があった。
木の外から見えない場所だというのは身に染みて知っている。
簡易的な結界を何とか張る。
岩肌に背中を預けると意識はなくなった。
目をあけて、頭が起き始めたら頭に浮かんだ。
やっぱり祖先は見てくれていない。
蛇がいる。
めったに見ない、金運があがるらしい白蛇が。
大きさはそんなにでもない。
村では何度か見たことがあるような普通の蛇だ。
しかし数は多い。
村人全員が恩恵にあやかれるほどの数。完全に包囲されている。
結界のギリギリまで近づいているが、こちらの存在を認識はしていない。
視力や体温で獲物を捉えるのではないのだろう。
魔力で世界を認識しているのかもしれない。
僕が張った結界は魔力の排出をとどめている。
舌をチロチロと出しながら、こちらに向いている。
違和感を持っているといったところだろうか。
気づいているわけだはないと思う。
高揚感もなくなり始め、恐怖が心に湧いた時。
もう1つの違和感を認識した。
鼻血だ。
ぼたぼたと音が出るほどの大粒の血が地面を濡らしている。
飲んだ水よりも少し熱い。
張った結界は魔力をこもらせる。
魔力を感知する厄介な魔物や小動物、それと校長先生の探知を凌ぐ為に使っていた。
だが、この場では悪手そのものだった。
濃すぎるのだ。
人体はあまりにも濃い魔力に耐えられない。
だから血液ごと魔力を排出しようとする。
直ぐに出血は止まるのだが、この結界内では勢いを増す。
白蛇が魔力で判別しているのなら、この結界のおかげで見つからなかった。
白蛇の縄張りだから、他の魔物にも襲われなかったとも考えられる。
………どうしろって言うんだ。
結界を解けば、包囲網に捕らえられる。
解かなければ高濃度の魔力に侵され、死肉をついばまれるだけだろう。
白蛇が近づいていると結界を破る選択肢はないように思う。
だが更に熱く手の甲を濡らす血が、あの血だまりをを想起させ、焦らせる。
息を大きく吸い込み、杖を握りしめた。
これはお揃いで与えられた杖だ。
恐怖は、脱水症状の様に頭の動きを鈍らせる。
覚悟を決める。
岩に片足をつけ、思いっきり蹴り、走り出した。
結界は解除するのではなく、破壊して破片をまき散らしておいた。
蛇共は、僕と結界。
二種の魔力反応に混乱している。
包囲網を直線で突っ切ることができた。
蛇は黒いスライムとは違って知性があるらしい。
結界の破片と血だまりには興味を示さず、大半の蛇が獲物の追跡を開始した。
さっきまで輝いていた泉が、僕を飲み込もうとした魔物にすら感じる。
蛇の素早さはかなりのもので、先頭の数匹はもう十センチほどに迫る。
焦りながらもなんとか一息吸うことができた。
右足を軸に半回転し、杖の先から精一杯の風魔法を放つ。
木々はたわみ、岩石もいくつか吹っ飛ばす。
後方の蛇は風の煩わしさと獲物の価値を天秤にかけ、追跡をやめたようだ。
最前列の数匹は怯み、少し後ろにいた蛇が突っ切ってくる。
こんな威力は初めてだ。
魔力を過剰にため込んだ分、魔法の出力は全力以上。
蛇のサイズからすればやりすぎな威力であった。
だが、精一杯の魔法で稼げたのは、ほんの数メートル。
恐れが大きく膨らんだ。逃げるしかない。
そう思い、強く地面を蹴り続ける。
そう意識しないといけないほどに、足の動きは鈍くなっている。
疲労は直ぐには消えてかない。吸った息も吐き切った。
最前列の一匹が嚙みついてきた。
焦りながら一瞥する。
鱗だ。
白蛇の鱗は竜に近かった。
分厚く、魔力をため込んだ鱗。
この鎧の前では矮小な魔法なぞ意味はなさないだろう。
絶叫をあげる余裕もなく、うなることしか出来なかったが、それでも走った。
数匹の先頭集団はじりじりと寄ってくる。
噛みついた一匹はまだ離れない。
恐怖が牙の先から流れ込む。
怯んでやや遅れた蛇共も追いかけてくる。
歯食いしばって必死に考える。
足についた蛇が一段と牙を食い込ませる。
か細い閃きが巡る。
蛇が数匹飛び掛かり無数の痛みが体を貫いた瞬間、ようやく覚悟を決めた。
走りを止めて、精一杯足を踏ん張る。
そして身体の隅々の魔力を集め、閃光として放った。
目を開けると、蛇は地面をのたうち回っていた。
暗さに慣れた目は、急激な閃光に耐えられない。
獲物と結界片を見分けるほどの精密なセンサーも急な刺激に耐えられない。
鎧に覆われていようと、感覚器官をつぶされればどうしようもない。
数分もすれば回復するだろうし、泉に残った蛇どもはまだ元気だろう。
今回もギリギリ。
とりあえず生き延びた。
そう思った瞬間、めまいが走った。
そのまま倒れ込み、全身が痺れていく。
離れていた蛇の一匹が近づいてきた。
何もできない。
頸動脈は噛み千切られ、骨を砕かんとするほどの力で絡みつく。
甘かった。
この魔界でこのサイズの蛇が獲物をしとめる方法は集団で噛みつくことではない。
毒が身体を回り始めた今、そう理解した。
薄れゆく意識の中で思考も回らなくなったころ、背後に閃光が見えた気がした。




