里の事情
トキトとシオリが案内された家は、集落の中では一番真新しい小さな家だった。
その家は、なんと、ソウゴとアイカのために造られた新居なのだそうだ。
二人は近いうちに結婚する予定があるらしく、そのためにつくられた家だという事だった。
とはいえ二人とも里にいる事はほとんどないため今まで一緒にこの家に泊まった事はないらしい。
今日初めて使うのだそうだ。
そうは言っても、もちろん二人が今日結婚すると言う訳ではない。
寝る時は男女別、つまりこの家にある二つの居室を使い、トキトとシオリも含めて男女別々に一部屋づつ使おうという考えだ。
ちょっと手狭な感じは否めないがソウゴ達からすればそれでも精一杯のもてなしになるらしい。
他にも家はあるのだが、家はそれぞれ持ち主が決まっているのでたとえ留守でも勝手に使う訳にはいかないのだそうだ。
もともと風の里は客人を招くようには造られていない。
対外的な事についてはユルにある領館で行う事にしているからだ。
交渉事はここで行う事にしているし、少人数なら泊まってもらう事もできるようになっている。
よほどのことがない限り、外部の人間を里へ案内する事などない。
というか、実は一族以外で里に入ったのは二人が初めてという事になるのだそうだ。
その為、招待したソウゴの提案で、ソウゴの家に泊まる事を許可してもらったのだ。
「へえー、この家自分達で造ったのか。すごいな」
感心するトキトに対し、ソウゴは少し恥ずかしそうにしている。
「狭くて申し訳ないが、勘弁してくれ」
ソウゴ自身ここに泊まるのは初めての事なのでいろいろと勝手がわからない事もあるらしい。
「せっかくこんなに立派な家を造ったのにここで寝るのは今日が初めてなのか? というか、そんな家に俺達が泊まっていいものなのか?」
トキトの質問にソウゴとアイカ、それにシオリまでもがビクッと体を震わせた。
少しの間の後、ソウゴが答えた。
「俺がここに泊まった事がなかったのは外に出ていたからで、ここに居る時は当然ここを使うつもりでいた。今まではその機会がなかっただけだ。それにここでは各家に家族分の寝床しか用意していないから、ここが気に入らないというのなら野宿をしてもらわなくてはならなくなるんだ。だが、もちろんそんな事はさせられない。だからここに泊まってもらうしかない。狭い所ですまないが我慢してやってくれ」
ソウゴが一息入れたところでアイカが続けた。
「それに私達は許嫁だが、まだ結婚したわけではない。だから二人きりでここに泊るのはどうかと思う。そういう意味でも二人が一緒の方がいいんだ」
トキトはアイカの顔を窺ったがアイカの顔には特に変化がないように見えた。
無表情と言う訳ではないが、感情の変化までは読み取れない。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ。なるべくなら外で寝たくはないからね」
トキトはそう言って今度はシオリの方を見てみたが、シオリは何も言わずにずっと目を伏せたままだった。
その後、夕食は皆が持ち寄って来てくれたものを食べ、夜は早めに床に就く事にした。
疲れていた事もあるが、なぜか四人での会話がはずまなかった為でもある。
長老の家から借りてきた布団に横になる。
床は畳ではなく板張りなのだが何処か和の雰囲気を醸し出している。
エルファールのソウゴの家は小屋を少し大きくしたようなものでしかなかった為か、こんな雰囲気は醸し出していなかったので、この世界に来て以降、和を感じたのは初めての事と言って良い。
「起きているか?」
不意にソウゴが話しかけてきた。
「ああ、まだ起きているけど…」
トキトはそろそろ眠りに落ちそうなところではあったが、そもそもよほどのことがない限り話しかけられれば目が覚めるような体質になってしまっていたので、ソウゴの問いかけにはすぐに反応する事ができた。
「何か話があるのか?」
ソウゴの事だ、何もないのなら寝ている自分に話しかけてくることはない。
トキトは布団の上で身を起こした。
ソウゴも既に身を起こし正座をしている。
「トキトの目から見て俺達の里はどう見える?」
「ん?」
ソウゴの質問の意図がくみ取れなかったトキトは思わず聞き返していた。
「小さな里だろう?」
「ああ、でも落ち着いていていい場所じゃないか」
実際、同郷の者達が作った村だからだろうか、妙に落ち着いていられるのも確かだ。
この世界に来て以降どこかしらずっと気を張っていたのでそれは嬉しい事だといえる。
「俺たち風の民は長老達の過去の活躍のおかげで周辺の国々から一目置かれているし、今はある程度政治的にも認められている」
「何の話だ?」
「まあ、聞いてくれ」
ソウゴはそう言って足を崩し胡坐の状態に落ち着いた。
トキトも同じように胡坐をかいてソウゴと向かい合った。
「だが、それももう昔のことになりかけている。長老達はもう年だ。その血統のおかげで我々若者も一応その辺の一般市民よりは何らかの面で秀でた部分は持っているのだが、伝え聞く昔の長老達のような力は誰も持ってはいない」
そこまで言った所でソウゴは大きく一つ息を吐いた。
「今は各国とも長老達と縁のあった者との結びつきが残っているからこんな少人数の里であっても各国ともある程度認めてくれている。だが、それも長老たちが居なくなればどうなるかわからない。……。いや、実はもうわかっているんだ」
ソウゴはそう言うと、何かを考え込むように、目を閉じて天を仰いだ。
トキトは黙ってソウゴが続けるのを待った。
「各地に散った仲間たちの話を総合すると、あちこちで風の民を取り込もうと準備している節がある。長老達の全盛期ほどではないが俺達はそれぞれある程度は強いからな、各陣営とも自分の味方に取り込もうという腹の様だ」
「なんだ、それなら別にソウゴ達が気に入った陣営と組めばいいだけの話じゃないか。その感じじゃあ引く手数多って感じなんだろう?」
ソウゴがもったいぶって話すからもっと大変な事かと思ったが、そんな事なら売り手市場のはずなのだ。
独立にこだわるのだとしても、条件を引き出しやすいように思える。
「いや、言い方が悪かったようだ。俺達を隷従させ、奴隷兵士として自国の為に戦わせようと画策している国がある様なのだ。それも一つの国だけではない。複数の国でそのような動きのある事は確認済みだ」
ガタッ、と隣の部屋から何かがぶつかるような音がした。この部屋と隣の部屋との間には襖が一枚あるだけなので聞く気になれば隣からでもこちらの話は聞こえるはずだ。
「奴隷…って、おいおい、穏やかな話じゃないな」
トキトはレーシェルと会った時の事を思い出した。
レーシェルは一度奴隷となるとそこから抜け出す事は難しいと言っていた。
「ああ、その通りだ」
ソウゴの表情は至って真剣そのものだ。
「でも、それがわかっているなら何とか対策は立てられないのか?」
「俺達のできる事は少ない。が、それでもまだ方策がないわけではない。たとえば、どこかの陣営に自ら属する事でそれなりの地位を保証してもらうとか、長老達の威光がまだ通じる内であれば周囲に根回しをしたうえで独立を宣言する事も出来ないわけではないだろう」
「なら、そうすれば………、そうか、爺さん達は戻る気満々だからそんな事はする気がないという事か」
だから長老達に戻るのを諦めさせて欲しいという事になるのか。
「長老達は閃界人としての特別な力を持っている。そう、肉体的に衰えてきている今でも我々以上の力はあるだろう。だが、その程度ではだめなのだ。今全員で戦ったとしてもある程度数を揃えられたら敵わない。そのための準備を整えている国も実際すでに存在する」
「勝ち目はないっていう事か?」
「ああ、戦ったら十中八九負ける事になるだろう。それに俺達は基本的にバラバラに生活しているからな、個別に仕組まれたらさらにどうしようもない」
確かに数的不利は否めそうもない。
個別に襲われれば大軍には敵わないだろう。
「だったらその前にどこか友好的な国に庇護を求めてみたらどうかな」
「それもリスクが高い。その国が我々を奴隷化しない保証もないからな」
それが本当なら、どこも安全ではないという事になる。
「だったらエルファールはどうだ? ベルリアス王ならそんな事はしないんじゃないか?」
トキトは唯一知っている三大国の一つである、エルファール王国へ行く事を提案してみた。
あそこならリーナ王女もいるし大丈夫だと思ったのだ。
「いや、悪いがエルファールも危険な国の一つだ。姫様の件で苦労したお前たちならわかると思うが、あの国は掟に縛られた国なんだ。理不尽を感じても決まったことは機械的に実行する。王が関わっているかどうかはわからないが我々の事を捕えようと考えている勢力の存在も確認しているし、もし我らが受け入れられたとしても、その勢力が俺たちの知らない掟を引き合いに出してきた時には、俺達はなすすべもない」
リーナのいる国なら大丈夫かと思っての提案だったのだが、まあ良く考えればリーナに政治的な事に口を出す力はない。
そんな事をしたらリーナ自身殺されかねない状態だからた。
「それに、どこの国に庇護を求めるにしろ一番問題なのは長老達の同意を得る事だ。彼らは間違いなくそんな事に同意しない。あくまでも元の世界へ帰る事が前提なのだからな。恐らくもっと深い山の中を逃げ惑うような生活をする事でも提案してくるだろう。だが、それでは我々は世間から完全にかけ離れた存在になってしまう。普通の人々から見れば、どこどこの山奥に謎の一族が住んでいる、等という伝説の存在にさえなりかねない」
「結局、そこなのか」
「我々は長老達の決定に反する事はできない」
「だからって俺が説得しても無理だと思うけど…。まあ、ソウゴにはリーナの事とか色々と助けてもらったし協力するのはやぶさかではないんだが…」
その先をしゃべる事が出来ずしばらく黙っていると、バンッ、と襖が勢い良く開いた。
「トキト、何を迷っているの? このままじゃここの人達みんな奴隷にされちゃうかもしれないんでしょ。そんな事わかっていて黙って見ているわけ? ダメよ、そんな事…」
突然怒鳴りこんできたのはシオリだ。
すぐ後ろにアイカもいる。
突然シオリが入って来た事にも驚いたが、トキトはそれ以上に入って来た二人の格好に驚いた。
二人は浴衣の様な寝間着を着ていたのだ。
自分たちは木綿のシャツを寝間着代わりに着ているだけだったので意表を突かれてしまった。
シオリの浴衣姿に目を奪われ、トキトはしばし言葉を失っていた。
ふと横を見るとソウゴの視線はトキトと違う方向を向いている。
その視を辿って行くと、その先にはアイカの姿があった。
アイカはそのスタイルの良さも相まって浴衣姿がよく似合っている。
ソウゴが目を奪われるのもわからないではない。
何の話をしていたかすっかり忘れ、トキトもアイカの姿に見惚れていると、いつの間にかシオリがトキトのすぐ目の前まで近づいて来ていた。
トキトがその事に気がついた時にはもう遅かった。
左の頬に激痛が走る。
「何処を見ているのよっ!」
シオリがトキトの頬を思いっきり抓ったのだ。
「痛い痛い痛い。ちょ、ちょっと、何すんだよ」
突然襖を開けて現れたのはシオリの方だ。
別にトキトが覗いた訳ではない。
けれど、もうそんな事を言っても通用しそうもないようだった。
「悪かった。悪かったからもう放してくれ」
トキトはとにかく謝る事にした。
何はともあれ放してもらわなければ何もできない。
そんな二人の姿を見たアイカが慌てて駆け寄りシオリの事を引きはがすと、そのまま隣の部屋へと引きずるように連れて戻り、そのままさっと襖を閉めた。
「明日、長老達に掛け合いに行くからね」
襖の向こうからシオリの怒鳴り声が聞こえてきた。