靄の滝
半日ほど馬を走らせると、景色は大きく変化した。
道は湖から離れて山道になり、周りは森になって見通しもあまりきかなくなってくる。
けれど、トキトはこのような森はもうあちこちで経験している。
馬で森を行くのは初めてだが、けもの道に毛が生えた程度のものではあってもここにはちゃんと道があるのだ。
右も左も分からず道もない森に迷い込んだ時とは比べようもない。
やはり道があるのはありがたい。
たとえ細く頼りない道でも、道があるとないとでは大違いだ。
しばらくして、シオリが最初にせせらぎの音に気を留めた。
「ねえトキト、どこかから水の音が聞こえない?」
トキトも馬を止めると、微かに水の流れる音が聞こえてくるのがわかった。
「本当だ。滝が近いのかもしれないな」
「この道には脇道なんてないはずだから、このまま真っ直ぐ行くしかないと思う。だから、とにかく行ってみよう」
横道が存在しないのなら、アイカの言うとおり、どのみちこのまま進むより仕方がない。
アイカを先頭に更に道なりに進んでいくと、音は次第に大きくなり、ゴォー、という轟音へと変わってきた。
もう滝が近い事は間違いない。
次第に大きくなる滝の音を聞きながらさらに進んでいくと、少し開けた場所に出た。
このあたりだけ樹が生えておらず草地か何かになっているようなのだが、靄がかかっていて遠くを見渡す事はできない。
「滝はもう近いと思うのだがな」
アイカはそう言うが、滝の姿も恐らくは靄のせいで見えてこない。
「でも、何も見えないわ」
「向こうに人がいるみたいだ。ちょっと行ってくるよ」
少し離れた場所に何人かが集まっている場所を見つけたトキトは、馬を降りその馬をシオリに預けて、集まっていた人の塊に声を掛けた。
「この辺りに有名な滝があると聞いてきたのですが…」
トキトの声はこの場所にしては小さくて水の音にかき消されてしまう程度のものだったのだが、グループの一番外側にいた若い男がそれを聞き止め答えてくれた。
「ああ、それならここだよ。今は風向きが悪くて靄がかかっているが、少し待てば風向きが変わるはず。そうすれば見えるようになるよ」
男は背中に大量の荷物を背負っているのだが、地べたに置いてある他のたくさんの荷物もまた彼の荷物のようだった。
どうやらこの大量の荷物を持ってここまで歩いて来たらしい。
今来た道沿いに宿は見あたらなかったので、彼等は昨日泊まったポートワーズの宿の主が言っていた滝の少し先にあるという宿に泊まっていたのかもしれない。
なんとなく気になったトキトは聞いてみる事にした。
「あなたがたは何処から来たのですか?」
すると男は、滝の音で声が聞きとりにくかったのか、トキトに一歩近づいてから答えてくれた。
「ああ、俺達はファロファロとの国境近くの村から避難してきたんだ」
トキトは、その避難と言うあまり良くない響きの言葉が引っ掛かった。
半ば反射的に理由を聞いてしまっている。
「何かあったんですか?」
「いや、別に俺達に直接何かが起こったわけじゃあない。というか、むしろ何かが起こる前に避難してきたっていう所だな」
「何か…とは?」
「はっきりしたことはわからないんだが、川向うの村が奴隷狩りにあったっていう噂があってさ、相談の結果、皆でポートワーズまで避難しようという事になったのさ。奴隷にされるよりはましだからな」
奴隷狩りとは、これはまた物騒な言葉が出たものだ。
トキトはぐっと身を引き締めた。
「川向うっていうと、ファロファロの領内でしたっけ?」
確かこの辺りはエルファールとファロファロの国境が近かったとトキトは記憶している。
エルファールの勢力範囲はこの滝のある川までのはずだ。
「いや、ファロファロの勢力範囲外の村だよ。ファロファロからだとちょうど山が邪魔になって行けない場所なんだ。だから、どの国にも属していなかったはずだよ。あの辺りにはそういう村がいくつかあるんだが、どうやらそういう村が襲われているらしくって…。俺達の村とは直接つながりはないのだけれど、川向うの村が襲われたと聞いて怖くなる者も多くてね。俺達の村はエルファールの領内じゃああるんだが、王家とはつながりが薄いのも事実だし、ファロファロとの戦いでもなけりゃあエルファールの軍も村まで来てくれる事なんてないから、自分達を守るには逃げるしかないっていう事になったのさ」
ちょうど男がそこまで言い終わった時、突然風向きが変わり、辺りを覆っていた靄が一気に晴れた。
と同時に水の音が一段と激しくなる。
やはり風向きが影響していたのかもしれない。
「すごい!こんな大きな滝見たことない!」
シオリの声が聞こえてくる。
男のいたグループの中からも感嘆の声が上がっている。
その声から女性や子供もいるらしい事がわかる。
トキトは男にとりあえず礼を言うとシオリ達のいる所に戻る事にした。
戻りながら次第にその姿が露わになって来た滝の方を見る。
滝は、こちら側よりも一段高い対岸の崖の上の、なんと見える範囲全体から流れ落ちていた。
こちら側は対岸より百メートル程低くなっているので、この場所から見るとまるで水に襲われているような迫力がある。
実際は水は間にある谷の底に落ちて行くのでこちら側は安全なのだが、思わず逃げたくなる程の迫力だ。
「トキト、私こんなすごい滝初めて見たわ。ナイアガラの滝とかと比べてもきっと遜色ないんじゃない」
シオリが近づいてきたトキトに興奮気味に話しかけてくる。
「ナイアガラの滝なんて見た事あるの?」
トキトはシオリから手綱を受け取り、自分の馬に跨った。
「ないけど。たぶんこんな感じなんだろうと思うわ」
シオリが少しむっとした表情をしている。
トキトもナイアガラの滝など見た事はないのだが、おそらくこの滝はそれ以上なのではないかと思える。
その落差も見事なものだが、それにも増して滝の幅が凄まじい。
正面の崖の見える範囲全てが滝なのだ。
「なんだ?お前達は滝を見た事が無かったのか?」
驚いている二人に比べてアイカは随分落ち着いて見える。
少なくともそんなに驚いているようには見えない。
「いや、普通の滝なら見た事はあるけど、こんなに大きな滝は初めてだ」
「そうか?まあここも大きな滝だと言えなくはないが、ベイオングやユルの先にはもっと大きな滝もあるぞ」
「これより大きな滝があるのか。この滝でも十分すごいのに…」
目の前の滝よりも大きな滝などトキトには想像もつかなかった。
この世界の自然の驚異にはただただ驚くばかりだ。
「別に大きければいいっていうモノじゃないんじゃない。この滝はこの滝で迫力があって充分素晴らしいと思うわ」
シオリが滝を見上げて言う。
確かに、次から次へと絶え間なく水が流れ落ちていく様は見事としか言いようがない。
「それもそうだな。せっかくここまで来たんだからこの風景をじっくり味わっていこう」
アイカもそう言って滝を見上げ、シオリと何やら話はじめた。
話に入りそびれたトキトは二人から離れると、ゆっくり崖の端まで行ってみた。
そこから下をのぞき見る。
しかし谷は一面水しぶきによる靄で真っ白になっていて下に流れているはずの川は確認する事が出来ない。
それどころか、ただそこにいるだけで水と一緒に谷へと吸い込まれていく錯覚に陥りそうになる。
この場所に長く留まっていると危ないと感じたトキトは慌てて引き返し、二人が話している場所まで戻っていった。
そんなトキトに相変わらず興奮気味なシオリが話しかけてくる。
「ねえ、ここ風向きによって虹がたくさん出るんじゃなかったけ」
「あっ、ああ、じゃあ、もう少し待ってみる?」
別に急ぐ旅をしているわけではないので、しばらくはここに留まっていてもいいだろう、トキトはそう考えたのだが、いつの間にかすぐ横まで来ていた男がそこに口を挿んできた。
「いや、今日はもう待っても虹は出ないと思うよ。それよりは明日の朝来た方が見られる可能性が高いと思う」
先程トキトが話しかけた男だ。
男はシオリとアイカの事を見ると少し驚いた表情を見せた。
どうやら女性がいるとは思っていなかったようで、急に視線を泳がせおろおろし始める。
「あっ、いやっ、今日はもう日が暮れてしまうから諦めた方がいいんじゃないかな。その先の宿にでも泊まってまた明日出直した方がいい…と思う」
「それもそうね」
シオリはあっさりそう言うと、男に、ありがとう、と一言声を掛け、アイカを促すようにして宿のあると言われた方向へと馬を進めて行ってしまった。
ありがとう、と言われた男は少しの間にやにやしていたが、トキトも馬を出そうとすると慌ててトキトの前に立ち、引き止めた。
「すまん。この先の状況を教えてほしいんだ。この先に、山賊や、その…奴隷狩りの奴らみたいな危険な奴が潜んでいる可能性はないかと思ってな」
男はシオリに話しかけられた時のにやけきっていた顔から一転し、これ以上真面目な顔はないと言う表情になっている。
トキトは男が随分と神経質になっている事を感じながら、来る途中で危険に思える事など何もなかったことを思い返して答えた。
「ああ、それならたぶん大丈夫だ。俺達はここに来るまでの間に怪しい人影なんか一人も見なかったからね。それに、もし何かあったとしてもここまでなら馬を使えばポートワーズからならたった一日で着く。変な奴が現れたと聞けば軍がすぐに助けに来てくれるはずだよ」
「軍の事はともかく、変な奴らはいなかったんだな。それがわかれば十分だ。ありがとう」
男はトキトに礼を言い、仲間のいる方へと戻って行った。
その後ろ姿に声を掛ける。
「もし心配なら、俺達と一緒にこの先の宿に泊まっていったらどうだ?」
すると男は振り返り、苦笑いした。
「いや、俺達にそんな余分な金はない。それよりも早く安全な場所まで行きたいんだ。ありがとな、二人のべっぴんさんにもよろしく言っといてくれ」
言い終わると男はもうこちらを振り返ることなく仲間の輪の中へと入っていった。
「トキト、何やってるの! 置いていくわよ!」
気が付くとずいぶん先からシオリが叫んでいる。
少し遅れてしまったので、あれでも恐らく心配してくれているのだろう。
トキトは馬を走らせ、二人の後を追いかけた。




