魔獣猟師の妹
結局、「シロ」と名付けた子供の白天狼は、しばらく三人で面倒を見る事にした。
特に暴れる事もなく人懐っこくじゃれついてくるシロの姿に、ディンブルも簡単に籠絡されてしまったのだ。
シロのおかげで明るい雰囲気になったのは良かったのだが、エルファールへの行程はだいぶ遅れてしまっている。
しかも進む先にはベルーの群れが横たわっているため最短距離を行く事もできない。
やむを得ず再び群れを回り込もうと移動するのだが、困った事にそうするとベルーの群れもなぜかトキト達と同じ方向へと動く為、なかなか岩場を抜けて広葉樹の森まで到達する事ができない。
「もう三日もここで足止めをくらっている。これ以上は待てない」
ディンブルがそんな風に言ってくるが、ディンブルに言われるまでもなく、トキトもリーナも正直困り果てていた。
最初は放っておけばそのうち居なくなるだろうくらいにしか考えていなかったのだが、待っても群れは解散しないし、何度方向を変えて動いても同じ方向へとついてくるのではどうしようもない。
「もう強行突破するしかないんじゃないか?」
ディンブルが何度目かの提案をしてくる。
時間的にあせったディンブルは前日から何回かこの提案をしているのだ。
トキトはそれには答えず、誰にともなく呟いた。
「しかし、奴らまるでこちらの動きを見ているかのような動き方をするよな」
「おい、聞いているのか? 時間がないって言っているんだ!」
イラついて噛みついてくるディンブルに向かって、トキトがシロを放り投げる。
「ほい」
緩やかな弧を描いて飛んでくるシロを、ディンブルは落とさないようにとやさしく受け止めた。
シロはディンブルの腕の中に納まると、つぶらな瞳でディンブルを見つめ首を傾げている。
ディンブルは収まらざるを得なかった。
「時間がないのは理解している。けど、無闇に突っ込んでも死ぬだけだ」
トキトはまだ何か言いたそうにしているディンブルに言った。
「早く死にたいんだと言うなら止めないけどな」
そう言われてしまっては、ディンブルとしても黙るしかない。
「それにしてもおかしいですよね、あの群れ。私たちの行く方向にばかりついてきて…。まるで行くのを阻んでいるみたい。森の時だって…」
「そういえば、何であんなところにダイムが居たんだ? あの森にダイムが居るなんて聞いたことがないぞ」
リーナが持ち出した話題にディンブルが反応した。
シロを腕に思案している様は何やら滑稽に見える。
「そう、そうだ、何かおかしいと思っていたんだ。あの森にはダイムなんていないはずだし、仮にいたとしてもたった一頭であの大群に向かっていくはずがない」
「どういう事だ? あいつも群れで行動するタイプなのか?」
魔獣の事をよく知らないトキトは素直に聞いた。
「いや、ダイムは通常五、六頭の群れで行動するんだが、単独行動を全くしないわけではないんだ。だけどベルーの群れにあの距離まで単独で近づいているのはおかしい」
「たまたま迷い込んだんじゃあないのか?」
「ダイムは本来臆病な魔獣だ。だからめったに人前に姿を現さない。遠くから人の気配を察知して逃げてしまうからだ。それがあの大群に気付かず、しかも自ら近づいていくなんて…」
自ら近づくという事は狩りをしようとしているという事だ。
けれど単独であの大群に挑んでも狩りが成立するとは考えられない。
逆に自ら狩られに行くようなものだ。
「じゃあ、誰かがあいつをあそこまで連れてきて離したという事か? 何のために?」
「それは……分からない」
仮にあの魔獣が何者かによって送り込まれたのだとしても、その理由が分からない。
考えてしまうのは、誰かがリーナの事をベルーを使って亡き者にしようと画策したという事なのだが、それにしては追手の影が見えない。
彼らは隠れる必要などないはずなのだ。
「あの…」
リーナが何か言いたそうにしている。
「どうかした?」
トキトが尋ねると、リーナはしばらく迷った後、控えめにしゃべり始めた。
「確か魔物猟師の中には捕った魔物を利用して大物を狙う人達もいるって聞いたことがあるような気がするんですけど…」
と、その時、シロがディンブルの腕からするりと抜けると一旦地面へと降り立ち、すぐにトキトに向かって跳びついて、そのままその腕の中へと納まった。
「ん?」
抱いた感じがいつもとは違うと感じたトキトが改めて見てみると、シロの体が小刻みに震えているのがわかる。
気が付くと、辺り一帯に嫌な空気が広がっている。
「なーるほどー。こーゆーことか―」
突然、すぐ近くから女の声がした。
振り返るが人影は見当たらない。
「そっちじゃないよ。こっちこっち」
見上げるとすぐ近くの岩の上に弓を持った女が立っていた。
ここまで近づかれていたのにも関わらず、トキトは全く気が付かなかった。
女は動きやすそうな布製のシャツに大きな革の胸当てをし、革の短いスカートの下にやや長めのズボンを履いていた。
そして、背中に矢のたっぷり入った筒を背負い、右手には大型の弓を持っている。
あれほどの大きな弓を持ったまま岩の上に登った事にも驚くが、それよりも驚きなのは彼女の髪の色だ。
彼女の髪は、今までに見た事がないエメラルドグリーンの髪だったのだ。
その短い髪を無造作にはね上げ、豊かな胸を誇る様に胸を張って立っている。
瞳の色もグリーンだ。
風の民を除けば、トキトが今まで会った人達の髪と瞳の色は赤系の色ばかりだった。
その為この世界ではそれが普通なのだと思い込んでいたのだ。
「なんだよ。あたしの顔がそんなに珍しいっていうのかい?」
トキトはその女にそう言われて、初めて自分が彼女の顔をまじまじと見つめていたことに気が付いた。
「いや、きれいな髪だなーと思って…」
慌てて弁解しようとするのだが、女はトキトの返事など聞こうとせず、そのまま岩から飛び降りて、トキトの前へと着地した。
人の背丈の二倍はあろうかという高さから無造作に飛び降りた事に、トキトが意表を突かれて動けずにいると、女は当たり前のようにシロに向かって手を伸ばしてくる。
寸での所で我に返ったトキトは、慌てて一歩後ろへと大きく跳び、その手から逃れた。
「それ、あたしらの獲物。返して」
女が当たり前のようにそう言うので、一瞬「そうなのか」と思ってしまいそうになるが、シロはもう三日間もトキト達と一緒にいるのだから、理屈が合わない。
「あんた、いきなり現れて何言ってるんだ? シロは俺達の仲間だ。渡すわけがない」
トキトがそう言いながら、シロの体を後ろに隠すと、シロはトキトの手からするりと抜け、今度はリーナの腕の中へと跳び移った。
そのシロをリーナが大事そうに抱きしめる。
「驚いた。そいつは親以外には懐かないはずなんだがな」
女は信じられないという表情で、リーナの腕にしがみついているシロの事を見つめている。
「あんたらはそれがなんなのか知っているのか?」
「知っているよ。白天狼の子供だろう」
女の視界の外から入ってきたディンブルが割り込んでくる。
「誰だあんた? エルファールの民が風の民とつるんで何やってやがる」
一瞬、何の事を言っているかわからなかったトキトだったが、すぐに状況を把握する。
女の目から見れば、リーナの髪は相変わらず黒く染めたままなのでディンブルだけが異なって映ったのだ。
「お前こそ何者だ。ここはエルファールだ。ファロファロのハンターがなぜこんな所にいる? お前らの入っていい場所ではないだろう」
すると、女は面倒くさそうに一つ舌打ちした。
「チッ、しょうがねーな。兄貴の野郎がとろとろしていやがったせいだ。まあ、いい。……。あたしはファロファロの魔物ハンター、ウィルマ。魔狼系が専門だ。まあ、金になるのなら何でも狩るけどな」
「ハンターだか何だか知らないがファロファロの者ならファロファロで狩りをしてくれ。ここはエルファールだ」
今はリーナと一緒に逃亡生活をしているとは言ってもディンブルも一応前領主の息子だ。
自国内で他国のハンターが狩りをしている事は許せない。
「白天狼は行動半径が広くってな。ようやく追い詰めたら国境を越えていたっていう話らしい。獲物を獲ったら直ぐに出て行くから心配するな」
「…らしい?」
「ああ、こいつは兄貴のヤマなんだ。一人で追っていったくせになかなか戻って来ねえからひょっとしてどっかでくたばってるんじゃないかと思ってわざわざこのあたしが来てやったっていう訳さ」
ウィルマはそういうとまた自慢げに胸を反らした。
悔しいが、スタイルの良い彼女がそうすると様になる。
「トキトさん」
思わず目を惹きつけられてしまっていたトキトは、後ろからの冷たい声で我に返った。
「そっ、そいつの獲物がシロだって言うのか?」
トキトは半身になってリーナに抱かれる子白天狼の姿を見た。
「いや、本命はそいつの親さ。そいつは親をおびき寄せる罠に使うのさ」
リーナはビクンと体を震わせ、シロを隠すように抱え込んだ。
「ところが兄貴の奴がそいつを捕まえ損ねて逃がしちまった。おかげで獲物を罠の場所までおびき寄せられなくなって、奴を仕掛けの範囲から出さないようにするのがやっとっていう事になっちまったらしいのさ。だから、あたしがそいつを連れて行けばお終い。すぐに獲物を捕まえてファロファロに引き上げてやるよ。それでいいだろう」
ずいぶんと勝手な言い分だ。
トキトがそう思い反論しようとするよりも早く、ディンブルが怒りの声をあげている。
「ふざけるな!ここはエルファールだと言っているだろう。ファロファロの民が勝手に狩りをすることは許されない。今すぐ出て行け!」
「面倒くせーこと言ってくれるなー。あの白天狼は兄貴がファロファロで見つけたやつだ。巣だってファロファロにあるんだ。だからあいつはうちらのものだ。エルファールのものじゃない」
ウィルマはそう言うと、素早く三人から距離を取り、弓を構えた。
対してディンブルも剣を抜く。
望まぬ展開だがやむを得ない。
トキトはリーナの隣でいつでも剣を抜けるようにと準備した。