奴隷の娘
「意外とおしゃべりな店主だったね」
トキトとリーナは店を出て、通りを城に向かって歩いていた。
近づいてみると、この街の城は結構大きな城で、城の周りにも城壁が設けられている。
街の外周のものよりは高さが低いものではあるが、上部が反り返っている事に加え、物見台も数多く設けられていて、侵入者があれば、上から狙い撃てるような造りになっている。
「そうですね」
リーナは、気の無い返事を返しながら、買ったばかりのかわいらしいリボンのかかった小箱を見つめている。
その様子を見たトキトは、急に不安になって来た。
「あそこにあれ以上いてもしょうがなさそうだったから勝手にそれ買っちゃったけど、良かったかな。もしかして、もっといいのがあった?」
あの場の勢いで強引に決めてしまったが、もしかしたら、リーナは他に欲しいものがあったのかもしれない、と今さらながらに思ったのだ。
が、そういう事ではないようだった。
「ううん。これがいい。大事にするわ」
リーナはそう言って嬉しそうに微笑んで見せてくれている。
そんなに嬉しそうな表情を見せてくれるのなら、もっと真剣に選べばよかったかな、とトキトは少し後悔したが、結果、リーナが喜んでいるのでよかったと思う事にした。
更に歩くと、今まで建物の陰から見え隠れしていたファロンデルム城のその全貌がはっきりと見えてきた。
城への入口の手前にはちょっとした広場があり、普段は公園として市民の憩いの場となっているのか、たくさんの人々がそこでくつろいでいる。
広場の向こうには立派な城門が見えているが、今は固く閉ざされていて開く気配はない。
「城へは入れないか。まあ当然だよな」
普段から開けっ放しの城などよほど平和な場所でなければないだろう。
「ファロンデルム城には反対側にも入口がありますけど、やはり閉まっていると思います」
リーナが知っている情報を教えてくれる。
そっちの入口にも行ってみたい所ではあるのだが、城壁沿いにずっと歩いていると物見台の兵に怪しまれるかもしれない。
それにエルファールの王城ならともかくこの城に無理に入る必要もないだろう。
「エルファールの城もこんな感じなのか?」
「そうですね。基本的な構造は同じですが、規模ははるかに大きいです」
目の前の城でも十分堅固で中に入る隙など無いように思えるのに、これ以上の警備の城に潜り込もうとしているのだと思うとトキトはため息しか出なかった。
「前途多難だな」
思わずつぶやいてしまったトキトに、リーナが「すみません」と小さく言う。
トキトは慌てて前言を撤回した。
少し気まずい状態となってしまった二人は、その後しばらく無言のまま歩いていた。
とはいえ、情報収集が目的なのだから、ずっとこうして歩いていても仕方がない。
情報を得るためには人の多い場所に行くべきだ。
そう思ったトキトが広場の先に見えている賑やかな通りに向かって行くと、広場の中央付近で、二人の目の前に突然、人が現れた、ように感じた。
トキトは城を、リーナはプレゼントを見ながら歩いていたので、横から走って来た人影に気が付かなかったのだ。
当然、避けるのも間に合わない。
二人はその人ともろにぶつかる事となってしまった。
二人は大きくはね飛ばされ、トキトなどは身体中びしょ濡れになった。
相手が持っていた水桶の水をかぶってしまったのだ。
見ると少し先に女の子が一人倒れている。
年はシオリよりも少し若いだろうか、幼さが残る顔はしかし少しこけて見える。
長い髪は後ろでまとめているのだが、ほどけた髪が幾筋も顔にかかっている。
ぼろぼろの服の上には、あちこちが破けたエプロンをつけていて、靴は履いておらず裸足のままだ。
そして、何よりも目を引くのは手と足に付けられた鉄製のリングだ。
小さな穴がついている以外は何の加工もされていないむき出しの鉄のリングを両手両足の4か所に付けている。
アクセサリーにしては無骨すぎる代物で、洒落っ気は全くない。
「痛たたた」
トキトは腰を擦りながら立ち上がった。
腹から下は水が掛りびしょびしょになってしまったが、怪我などはしていない。
リーナの方を見るとすでに立ち上がり周りを見回している。
彼女も特に怪我などしていないようだし、水も掛けられないですんだようだ。
トキトはリーナの無事を確認すると、まだ倒れたままでいるその娘に近づき手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
すると、娘は怯えた表情となり、倒れた体勢のまま後ずさりながらトキトとは目を合わさず遠くを見るような目で言った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
えっ、俺ってそんな怖い顔してたっけ、とトキトが少し落ち込みそうになっていると、トキトのすぐ後ろに鞭を持った強面の男が飛んできて、その娘のすぐ脇の地面を鞭で叩いた。
「何やってんだ! お前は水汲みもまともにできないのか!」
男は、さらに一発、鞭で地面を叩いた。
今度は少し腕をかすったのか、娘は腕を押さえている。
「使えない奴め。女だから鞭打ちできないと思っていい気になるなよ。お前程度の女なら他にいくらでもいるんだからな。旦那様に鞭打ちの罰を与えるよう進言するから覚悟しておけ」
男は鬼の形相だ。
トキトもリーナも怒っていないのにそこまで言う必要があるのだろうか。
それに、男がこの娘の保護者なのだとしたら、この娘の失敗を怒るよりも先に、トキトとリーナに謝る事の方が先なのではないだろうか。
そう思ったトキトだったが、男の剣幕は凄まじく、なかなか口を挿めない。
娘は何度も「ごめんなさい」を繰り返している。
それからしばらく男は娘を罵っていたが、少しすると思い出したようにトキトを振り返って言った。
「申し訳ありません。洗濯代はこの者の給金から払わせていただきます」
娘は手を前に差し伸べ、何か言いたそうに口を開きかけたが、何も言わずに手を降ろし、うな垂れるように俯いた。
「いや、それには及びません。こちらにも非はありますし、こんなもの乾けばなんていう事もありませんから」
実際怪我は何処にもしていないので、問題ない。
ところが男は引き下がらなかった。
「そう言う訳にはいきません。それでは後で私がご旦那様にお咎めをもらう事になってしまいます」
そう言うとポケットから銅貨を三枚取り出し無理やりトキトの手に掴ませようとし、トキトが受け取らないでいると、トキトの足元に放り投げた。
そして、うな垂れる娘を無理やり立たせて落とした桶を押し付け、娘を引きずるようにして連れて行く。
よく見ると男の手足にも娘と同じようなリングが嵌められている。
男が立ち去ると、トキトは銅貨を拾いリーナを振り返った。
「なんだったんだ、あれ」
思わず漏らしたトキトの声に、リーナは少し顔を上げたものの、すぐに自分の手元に視線を落とした。
見ると、さっき買ったプレゼントの箱が崩れていて、店主が付けてくれたカードも擦れてぼろぼろになっている。
「リー…ンは大丈夫だった?」
うかつに本名を呼びそうになったトキトは慌てて周りを見回し、近くに誰もいないのを確認してほっと胸をなでおろし、気を付けなければと気を引き締め直した。
「私は大丈夫です。でも、これ…」
リーナは肩を落としている。
ただの観光土産にそこまでの思い入れを持たなくてもいいだろうと思わないでもないのだが、リーナは気のせいか目に涙を浮かべているようにさえ見える。
「それ…、隠してくれていたんだろう。ありがとう。見つかってたらあの娘、もっとお金を取られてただろうからね」
「ええ、それがあの人たちのやり口なんです。なんだかんだ難癖をつけてお金を取ってただで長い間働かせているんです。そんなことに利用されるのは嫌なのでこれは咄嗟に隠したの。でも、せっかくトキトさんからもらったプレゼントだったのに……。ちょっと悲しい…」
「その程度のものでいいのならまた買ってあげるよ。お姫様の持っているようなやつは無理かもしれないけどね」
レンドローブのところに行けば、いくらでもお金はありそうだったし、そもそも高価そうな宝飾品もたくさんあった。
だが、今はそんな物を取りに行っている場合ではないし、そんなおしゃれをしている場合でもない。
しかし、もう一度買ってもらえると聞いたリーナの反応は劇的だった。
「本当ですか。本当にまた買ってくれるのですか」
さっきとは打って変わって満面の笑みになっている。
もともと綺麗なリーナだが、笑顔は一際美しい。
そんな彼女の満面の笑みを見て、否定する事などできるわけがなかった。
「あんまり高いものは駄目だよ。これから何にお金が必要かわからないんだから」
「値段なんか安いもので構いません。さあ、行きましょう」
トキトはリーナがこんな事でこんなに喜んでくれるのかと少し意外に思いながら、リーナに手を引かれて先程の装飾品の店まで引きずられていった。
そうやってリーナに引きずられながらも、トキトは先ほどの娘があの後どうなったのか、気になって仕方がなかった。