第八話
もう勘弁してください
次第に劣勢に追い込まれていくウマナミンの姿を、大悟郎はスマートフォンのカメラ越しに眺め続けていた。
技術の進歩により、こんな小さな携帯電話機で報道中継なぞ出来る様になったという。便利な時代になったものだ。
そんな、とりとめのない下らぬ思考に浸らねば、大悟郎は今にも飛び出そうとする足を止められなかった。
熱線、パンチ、調合金ソード……合体ロボの様々な武装の前には、いかにウマナミンが近代警杖術を修めていたとしても、太刀打ち出来るものではない。
サイズ比が同じとなって、ようやく同じ土俵の上に立てた。だが、それだけなのだ。
いかに巨大となろうとも、改造されていようとも、あくまでウマナミンは生身である。重火器で武装した合体ロボ相手には、荷が勝ちすぎる。
一度体勢が崩れたが最後、ウマナミンの巨体は血みどろの……改造人間の血液である、乳白色に染まっていった。
「ヒヒーン!」
と悲鳴を上げて、ウマナミンの巨体がどうと地に仰向けに倒れた。
何とかして立ち上がらんとして、もがくウマナミン。
大悟郎は「あれ、声が、遅れて、聞こえるよ」と電波障害を装いカメラアプリを切った。
陰行の術である! 大悟郎の虚偽がばれることはない!
そのまま大悟郎は、スマートフォンの画面を操作する。
親指が、三つの軌跡を描いていく。
自動読み上げ機能により、スマートフォンが叫び声を上げる!
その番号を!
『わん(1)・わん(1)・まるぅぅッ(0)!!』
高らかに唱えられしは、変身コードなり!
嗚呼、だがなんということだろうか!
なんという皮肉!
なんという悪業!
その番号は、正義を表す番号なりや!
あえて言おう。
ここにあえて、声を大にして言おう!
【【【【よいこは決して、決してその番号を遊び半分で押してはいけないぞ!!!!!!!】】】
スマートフォンが輝きを放った瞬間である。
大悟郎の総身に、小さな板切れが纏わり付いていく。
スマートフォンに搭載されたGPSの座標を中心にして、強化外装が衛星軌道上より転送されているのだ。
部品毎に転送されて来る強化外装は、大悟郎の身体を骨組とし、その場で組み上がっていく。
蟲が食むようにして、大悟郎の総身が無数の機械板に侵食されていく……その在り方すらも。
それでよい。
それでよいのだ。
ここに立つは、大悟郎ではない。
ウマナミンの側によりしは、大悟郎であってはいけないのだ。
悪の四天王でなければ!
スマートフォンのアプリが終了アラームを鳴らす。
そこに立っていたのは!
犬頭を模りし兜!
最新鋭技術で建造されし日本鎧!
蒼い陣羽織!
腰に帯びた一刀!
剣撃、斬戟、犬劇の――――――!
人呼んで――――――『激イヌ』わんわん丸である!
正義のコードにより、悪の四天王、見参!
いぬのおまわりさんだと思った?
残念でした!
悪の秘密結社が幹部、四天王のわんわん丸だよ!
世に唾吐く『変身』こそが、大悟郎の悪の道……その証明である!
「ウマナミンよ」
大悟郎……否、わんわん丸は、ウマナミンの巨体にするりと近付くと、その巨大な耳に静かな声で語りかける。
「ひ、ひひーん! わんわん丸様……どうしてこちらに! いや、みっともない姿を晒してしまい、言い訳のしようもないヒヒン……!」
「よい、よいのだ、ウマナミンよ。お前の戦い振り、おれ達はしかとこの目に焼き付けた。誰もお前を責めるものはおりはせぬ。素晴らしい功績よ」
「わ、わ、わんわん丸様! 勿体無きお言葉ヒヒン!」
「だがな、ウマナミンよ。このままでは」
「わかっております、わんわん丸様……なんとしても、奴等を倒してみせますウマー!」
「駄目だ……駄目なのだ、ウマナミンよ。今のお前は、ぶれておる。ぶれぶれだ。だからお前は、このままでは」
わんわん丸は、寸瞬瞑目して答えた。
「解っているバヒン」
ウマナミンはわんわん丸にその後を次がせることはなかった。
「ウマナミンは、このまま、死ぬ」
ウマナミンは告げた。
静かな声だった。
瞳は遠く、透き通っていて、わんわん丸の見えぬ何かを見詰めていた。
「馬死にバヒン」
「UMAZINI……と」
解っているのか、と僅かに肩を落とすわんわん丸に、ウマナミンは笑って答えた。
「それでも、無駄死にではない……そうでしょう?」
「ああ……ああ! そうだとも、そうだともよ!」
わんわん丸は力強く頷く。
「お前のおかげだ、ウマナミン。お前のおかげで、巨大化促進薬は完成したのだ!」
「ふ、ふ、ふ……そうですか。切欠さえあれば、博士がやってくれると信じておりましたバヒン」
「おれはお前に、応えてやらなければならない。お前のその献身に、全霊を持って応えてやらなければならない! ウマナミンよ、お前を馬死になどさせぬ!」
わんわん丸の手の内で、刃がみしりと唸り声を上げた。
「おれが隙を作ってやる。ウマナミンよ。武人の本懐を遂げよ」
「おお……日陰者として生きてきたウマナミンに、そのような晴れ舞台を下さるとは……このウマナミン、歓喜の念に耐えませぬバヒン!」
ウマナミンが何とか立ち上がらんともがく姿を目に、わんわん丸は駆け出した。
手には一刀。
向かうは合体ロボ。
わんわん丸の身長は鎧を含め、おおよそ2m程。
対する合体ロボは、その全長、おおよそ45m。
戦おうなどと、正気の沙汰ではない!
だが、わんわん丸は正気であった!
わんわん丸は、大道成らぬのならば正気などかなぐり捨てる覚悟は、とうに決め込んでおる。
ここは己が戦う場面ではないと、理解しているのだ。
戦うは、ウマナミンよ!
わんわん丸は、その機先を導く!
それが己の役目。四天王としての、使命である!
よってわんわん丸は、兵法にて相手の足をくじく!
「ジェェイ!」
気合一閃。
わんわん丸はウマナミンの様子を伺う合体ロボの足元へと、音もなくするりと近付くと、引っさげた刀をずあっと抜いた。
合体ロボの板金は調合金張りである。
いかに斬スーツ剣を修めしわんわん丸であっても、その装甲を貫くには十二分以上の調息と練気が必要だ。
だが、しかし。
合体ロボは、当然の如く、人ではない。
その身は鋼鉄。であれば、巨大な鎧武者として考えてもよいだろう。鎧を攻略するセオリーとしては、その隙間、継ぎ目を狙うことであろう。
そして合体ロボは、その名の通り合体機構を備えている……つまり、その間接は非常に脆い、構造上の欠陥を抱えているのである!
わんわん丸はその間接の隙間にするりと身を滑らせると、脆い、中を通る油圧パイプ、動力パイプ、燃料ポンプ、諸共をまとめて斬り裂いたのである!
合体ロボは、全身の各箇所がそれぞれをフォローし合い整合性を取り合うシステムを用いている。
手足の動力システム群を切断されたとて、全体の動作に支障はない。
だが、こうして油断と隙を突かれては、一度は地に膝を着けようか。
「ヒヒーン!」
ぐらりとして地に膝を着けた合体ロボへ、ウマナミンが躍り掛かった。
「刃交えること三つと半……せめて一太刀! 三擦り半で終わる訳にはいかんのだ! ヒヒーン!」
それは、技とはとても言えぬものであった。
ウマナミンはただ、二本の棒を合体ロボに向け突き出したのみである。
しかし、全ては気迫の為したものであろうか。
ウマナミンの、ウマナミン棒は!
その切っ先を、合体ロボの継ぎ目、穴へと突き込んでいた!
ウマナミン棒による、二穴攻めである!
「ふっ、ほっ、ふっ、ほっ! ヒヒーン!」
腰を入れ、ウマナミンは激しく前後に身体を揺する。
合体ロボの穴がぎしぎしと軋みを上げて広がっていく。
「ほうれ、ここか? ここがええのんか? ブヒヒヒヒ!」
嘲りの狂笑を上げるウマナミン。
全身の傷から血が滴り、ウマナミン棒が膨張していく。
「一馬身届かずの人生だったバヒンが、悪くなかった……悪くはありませんでしたよ、わんわん丸様」
ウマナミン棒の前後運動が早く、雄雄しくなっていく。
フィニッシュが近い。
「ああ……逝く、もう逝く……!」
嘶きに意識が白く染まっていく最中、ウマナミンは見た。
それは幻だったのかもしれない。
今際に脳が苦痛から逃れんと放出した脳内麻薬が見せた、偽りの影だったのかもしれない。
しかし、確かに聞こえた。
ウマナミンには聞こえたのだ。
懐かしい、二人の声が。その影が。
「ヒ、ヒ、ヒヒーン!」
――――――よくがんばったパオーン。
ああ、兄者よ――――――。
――――――お疲れ様です、あなた。
ああ、ああ、ウツボカズラよ――――――。
――――――さあ、一緒に行こう。
ああ、一緒に帰ろう――――――。
「おお、赤玉だ――――――」
ウマナミンが何を言い遺さんとしたのか、わんわん丸には解らない。
二本のウマナミン棒の先端から、怪人の血液である白濁液を迸らせ、ウマナミン――――――爆浄。
「幸せそうな逝き顔をしおって、この“馬”鹿者めが……」
爆浄の煙の中、合体ロボが、全身の穴という穴から白濁液を逆流させ……しかし、しっかりとした足取りで立ち上がった。
ウマナミン爆浄の火柱を背に、見得を切る合体ロボ。
白濁液に塗れてなお、その姿には王者の風格を漂わせている。
それを認めなければならないことに、わんわん丸は悔しさに熱くなる目頭を押さえ、呻いた。
■ □ ■
黒いタイツに、タイトなスカート。
ダークスーツに、紺のネクタイ。
秘密結社アヴァロニアの女子隊服に身を包み、アシナはわんわん丸を平手打ちと共に迎えた。
「なんてえ顔してんだよ」
「……ああ」
「部下が死ぬのは始めてじゃないだろ」
「……そうだな」
「しんどくなったか? もう辞めたくなったか?」
「いいや、それは、ない」
わんわん丸は真っ直ぐにアシナの瞳を見据え、答えた。
「それだけは、ない」
四天王になると決めたわんわん丸であるが、それは目的有ってのことだった。
この立場を利用しているに過ぎない。
だが、ならばせめて、部下達の遺志を汲んでやるのが務めではないだろうか。
わんわん丸の悪の誇りとは、決して道を違えぬことである。
悪の道を。
「ふん」
アシナはわんわん丸の返答に不服だとでも言わんばかりに鼻を鳴らすと、わんわん丸の懐からスマートフォンを取り上げて、コードを打ち込んだ。
わんわん丸の鎧が無数の金属板に分裂し、逆転送されていく。
寸瞬後、そこには痛くもなかろう顎を撫で擦る大悟郎が佇んでいた。
アシナは大悟郎の姿を認めると、そのまま頭を小脇に抱え込み、細い顎先でうりうりと小突く。
大悟郎の頭を攻めて後、癖の無い短い頭髪に鼻を埋めた。
「ん」
しばらく頭を抱え込み、片方の手で大悟郎の背を、ぽんぽんと一定の間隔で軽く叩いていた。
「ん。うん」
大悟郎には解らぬが、それでアシナは納得したらしい。
アシナの体温が離れていく。
「じゃ、帰るぞ」
ああ、と大悟郎は頷いた。
今晩の夕食のメニューを聞きながら、二人は家路に着く。
アシナは離してなるものかと、がっちりと大悟郎の手首を掴んで。
腕を組むには遠く。指を絡めるには近すぎるが故に。
頬の熱さは、夜の帳が隠してくれるだろう。
嗚呼、闇に蠢く者達の夜が明けていく。