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面会宿泊

——代わり映えのない生活を黙々と消費して数日が経った。

 美沙とは電話やLINEも継続しており、友達としての関係が続いている。

 

 そんな中、凛からの突然のLINE。

 【明日、康介との面会は泊まりでもいいよ。】


 胸が高鳴り、同時に不安も押し寄せた。

 いや、緊張といった方が正しいか。


 凛には『分かった』とだけ返事を返し、ソファに座り家の中を見回す。

「…掃除しておくか。」

 突然スイッチが入り、風呂掃除と洗面所掃除、トイレの掃除も行い、玄関のゴミもほうきで外に掃いた。

夕飯の時間がどんどん遅くなっていく。

 

 落ち着かない。

 階段のホコリも下に落とし、お掃除ロボットをかけてソファに座り、携帯に入っている康介との写真を眺める。


「康介…。」

 お掃除ロボットの吸引音が俺の独り言をかき消し、寂しさを和らげてくれていた。




 翌日、待ち合わせ場所に向かう。

 家を出て数分で涙が少しだけ流れた。

「本当に慣れないな…」

 数え切れないほどの涙を流した。

 それでも、一度感情が盛り上がると涙は自然と溢れてくるようになっていた。


 対向車に気づかれないよう急いで涙を拭い、視界がぼやけそうになるたびに目をこすって拭き続けた。



 凛はすでに到着しており、後部座席で俺を見て満面の笑みを浮かべる康介。

 何も分からない康介の笑顔があまりにも純粋で、俺は胸を痛めた。


 凛は相変わらず素っ気なく、その事にも心を痛めた。

 康介の前では少しだけでも取り繕って欲しかったから。


「じゃママ仕事頑張ってね!」

 精一杯の笑顔を凛に向け俺は言った。

 なぜなら康介が見ているから。

 

「…うん。」

 俺の目を見る事なく素っ気なくそう返事をし、康介に一度目を向けたあと車を走らせた凛。


「ママ…。」

 寂しそうに呟く康介をぎゅっと抱きしめ、頭や首の匂いを嗅ぐ。


「康介…。」

 愛おしい…ただそれだけ。


「…ママはどこに行っちゃったの?」

「ママはお仕事。今日はパパ休みだからさ、一緒に遊べるよ。」

 次第に康介は泣きそうな表情に変わる。


「…あ、朝ごはん食べた?お腹すいてない?」

 康介の姿が滲む。

 俺は涙が流れないようにすぐに服で目をこすった。

「食べた…。」

「そっか。じゃ、家に帰ろう。」

 後部座席に乗せチャイルドシートを閉めている時、康介はずっと凛の車が走り去った方向を見ていた。



 家へと向かう途中、ルームミラーから康介の顔をちょくちょく見ていた。

 懐かしい。

 今までは当たり前の光景が、新鮮に思えてくる。

 この前の面会でも同じことを思ったが、俺はこの先ずっとこの気持ちを持ち続けるのだろう。



「パパのおうちにいこうっていってもママはダメっていうんだよ。」

 康介の口から不意に出た言葉。

 俺は下唇を軽く噛んだ。

「…そっか。ママも忙しいんだよ。」



 ——家に帰り、いつも通りに過ごした。

 時間を気にする事なく、外で遊んだ。

 物置に入れられた虫かごと虫取り網を持って、公園にも行った。


 保育園の保護者に会ったらどうしようという不安は消え去り、ただ康介と遊ぶ事に夢中になっていた。


 あの時と違うのは、一つ一つの康介の表情を目に焼き付け、胸に刻むことだけ。


 こんな幸せが、いつまでも続けばいいのに。

 日常が、戻ればいいのに。


 何度も何度も頭の中でそう願う。

 何度も何度も面会の時は、そう思う。

 これからも…。



 ——「夜ご飯、何食べたい?」

 康介は虫かごに入った沢山のバッタを気にかけることなく激しく揺らしながら走っている。

「チキン!」

「分かった。そろそろ帰ろうか。」


 何となく、そんな気がしていた。

 食材も用意している。

 また康介の為にご飯を作り、賑やかな食卓が…。

 考えるだけで胸が踊っていた。




 家に帰ると早速ご飯の準備に取り掛かった。

「康介、大人しくしててよ。」

 そう言ってテレビをつけるが、康介はテレビ台の上に置かれたおもちゃで遊び始める。


「さて。」

 まだ三人で過ごしている時、夜ご飯を作る時はバタバタだった。

 二十一時までには寝せないといけないからだ。

 前は十七時半〜十八時くらいからご飯の支度を始めて遅くても十九時十五分前までには食べ終える。


 食器を洗い、風呂を溜め、ちょうど溜め終わる頃に皿洗いが終わる。

 すぐに風呂に入り、少しゆっくりして歯磨きをし、二階に行って絵本を読んだあと眠りにつくのだ。


 明日は休みなのでそこまでカツカツにするつもりはないが、この流れをまたやりたかったのが本音だ。

 

 今日くらいは少し夜更かしもいいかな。

 なんて事を頭の中で考えながら料理の支度を整えていった。



 料理ができ、テーブルに運ぶ。

 康介があまりにも食べるのが遅く、どうやったら集中して食べてくれるかと悩んだ末に購入した、緑色の枠に入った四十五分の砂時計。


 それを見た康介は何やらニヤニヤと笑っていた。

「どうしたの?」

「こうすけ、はやくなったんだよ!パパ見たらおどろくだろうな〜。」

「へぇ、食べるの早くなったんだー。でもちゃんと噛んで食べてよ?」

 自慢気に俺の顔を見て話す康介。

 普段の俺がいない生活ぶりを、ふと想像してしまう。


「いただきます!」

 今日は、大きな声で言えた。



 ——「おーえらーい。あと少し、頑張れー!」

 久し振りに俺と食事をすることに、康介も張り切っているのかちょくちょく集中は切れていたものの、何とか時間内に食べきれそうだった。

 まだ数週間しか経っていないのでそこまで劇的に変わる訳がないと、心のどこかで安心していた。


「たべたー!」

 康介は小さなお椀の中身を見せつける。

 鶏もも肉の甘辛炒め(辛さはない)も綺麗に平らげ、サラダも食べていた。


「これ、少し残ってるよ?」

 豆腐が一つ、お椀の中央に残った汁の中に取り残されている。

「たべない!ごちそうさまでした!」


 やっぱり、全然変わんないな。

 良かった…。


「はいはい。口、ちゃんと拭いてね。」

 ティッシュをさっと取り口を拭き、おもちゃのあるテレビ台へと走るように向かう。


 味噌汁椀に残った一つの豆腐を口に入れ、じんわりと涙を浮かべる。


 あぁ、この生活は、もう当たり前じゃないのか。


 一緒に生活していた頃から豆腐を半端に残していた康介。

 ただただ懐かしさで胸が一杯になった。


——『お湯はりをします』

 それを合図に皿洗いに取り掛かる。

 いつもは音楽をかけながらするのだが、今日は康介が遊ぶ姿を見ながら…。

 かちゃかちゃと音を立てながらお皿を洗っていると、あることを閃いた。


「康介ー、明日サファリ行く?ライオンさんいるよ。」

「え、らいおん…?いく!」

 その笑顔がたまらない。

 水を止め、作業を中断し康介へ近づき体に触れた。

 照れたように笑う康介を優しく抱きしめ、しっかりと康介の体温と匂いを感じる。


 今、思いっきり泣ける気がする…。

 パッと体を離し、康介の頭を撫でた。

「明日は早起きしないと!楽しみだね!」

 ニコッと笑いかけ、すぐに台所へと戻る。

 涙は見られたくなかったから。



 ——『お風呂が沸きました』

 音楽と共に部屋の中に響く声。

 皿洗いも終わり、シンクの中を綺麗にしていた。

「康介、お風呂入ろう。」

 久し振りに康介とお風呂に入れる。

 胸が踊り、自然と笑みがこぼれた。


 凛から渡されたバッグから康介の着替えを取り出し、お風呂場へと向かう。

「今日はずっとパパとなの?」

 俺を見上げ、純粋な目でそう問いかける康介の中に、少しだけ寂しさが見え隠れしている。


「うん、そうだよ。」

 笑顔を意識し、そう答えた。

 すると康介は一瞬泣きそうな表情を見せ、口をぎゅっと結んだ。

「パパとママとこうすけ、三人が良い…。」

 気を使うような、康介の眼差し。


「…うん、そうだね。ごめんね…、パパの仕事がいそがしくなったから…」

 康介と離れ、何度も同じこの文言で嘘をついている。

 慣れない。

 

 三人が良いと言う康介の望み。

 その時の康介の眼差し。

 そして寂しそうな表情。


 この子に一体どれだけの負担が掛かっているのだろうと考える。


 そう思いながらもこの現状を変える事はできず、少しずつ受け入れている俺。

 本当に、嫌になることばかりだ。


「お風呂上がったらアイス食べよう!」

 俺からの提案に、康介は目を輝かせる。

「うん!」


 湯船に浸かり、康介は背中を俺に預けるように座る。

 俺はその小さな背中を後ろから抱きしめ、その肌の温もりや愛おしさを胸に、押し寄せる感情のまま涙を垂れ流した。

 目を閉じて、康介が振り向く気配に気をつけながら。



 ——「いちご?チョコ?バニラ?」

 三つのアイスをテーブルに置いた。

「いちご!」

 康介はパッといちごのアイスを取り、蓋を開け始める。


 選ばなかったアイスを冷凍庫に入れ、康介の隣の椅子に座り頬杖をつきながら康介を見る。

 蓋を取るのに苦戦する康介はついに俺の顔を見て、助けを求めた。

「あけて!」


 ティッシュの上に蓋をのせ、康介にアイスを手渡す。

「ありがと!」

 まだ固いアイスにスプーンの先端がズズッと入っていく。

 そして小さく取れたアイスを口に入れ、それを繰り返す。


 俺の視線に、康介は気付いた。

「みないで!」

「えぇーなんでー?康介が食べるところ見たいのにー。」


「もう、しょうがないなぁ!」

 何かのキャラの真似をする康介の喋り方。


 また、思う。

 ずっとこの生活が続けば良いのに。



 ——歯を磨いた。

 いつものように。

 うがいもした。

 髪も乾かした。

 寝る前に少しだけおもちゃで遊んだ。

 気付くと二十二時前になっていた。


「そろそろ寝よか。絵本何読む?」

 俺はそう言ったあとに気付いた。

 絵本は凛が持っていったんだ!と。


 康介と二階に上がり、康介の部屋にする予定だった部屋を見る。

 すると、三冊の絵本が棚に残されていた。


「この中から選んで。」

 康介のお気に入りの絵本は持っていかれており、どれも昔に買った絵本。

「えぇー。」

 康介は三冊の絵本を手に取り、じっくりと選ぶ。


「これ。」

 選んだ絵本は、この中でもよく読んであげていた絵本。

「これにすると思った。」

 康介の頭に手を置きながら寝室へ行くと、康介はベッドに走って飛び乗った。


 切なさを胸に抱え、ゆっくりとベッドに腰掛ける。

 涙で視界が滲んだが、すぐにベットの小さな照明に切り替えたことで康介にはバレなかった。


「…よーし、読むよ。」

 深呼吸しベッドへ横になる。

 久しぶりに枕を二つセットし、仰向けのまま体を寄せ合い絵本を上に向ける。


 ゆっくりとページをめくる。

 隣から鼻息が聞こえ、体温が伝わる。

 涙を抑えながら俺は、絵本を読み終え康介を見た。

「まだ絵本見たい!」

 康介の小さな体をギュッと抱きしめ、鼻をすする。


「良いよ…。あと一冊だよ。」

 寂しさと切なさが入り混じり、愛おしさが最後に押し寄せる。

 その繰り返しの、蠢く感情。

 俺はもう一度、康介をギュッと強く抱きしめた。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

 


 

 

 

 

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