第16話 ランディの戦い
堀から急に飛び出してきたランディの姿に、レイレはほんの僅かな間体を硬直させた。しかしそれは、彼我の間にある有用な駒たちがひしめく陣を見ることですぐに解ける。
雑兵数万を防壁の攻略に向かわせているとはいえ、レイレの周囲には3千を超える強靭なモンスターたちがいるのだ。
突然現れた男がいくら強かろうとも、その刃が自らに届くはずがない、そうレイレは冷静に分析した。そうなるとレイレの関心は別のところに向く。
「あらあら、今までそこに隠れていたのかしら? あの爆発はそのための目眩まし? 人間も面白いことを考えるのね。そういうの、好きよ」
レイレはその人差し指に下を這わせて笑い、それをランディに向けて振り下ろす。
ランディを威嚇していた周囲のモンスターたちが、その指揮に合わせて一斉に襲いかかる。
その姿はまるで壁のようであり、仲間の攻撃で自らが傷つくことなど考慮に入れていない、ただランディを殺すことができればよいといわんばかりのものだった。
端から見ればそれは絶望的な状況だ。
襲いかかってくるのは1体でも普通の騎士では苦戦するようなモンスターばかりである。
この攻撃を回避する術はあるように思えず、なによりそれを回避したからといってその先に待っているのはこの何倍、いや何百倍のモンスターの群れなのだ。
それにもかかわらず、ランディは薄く笑みを浮かべた。
モンスターの壁がランディにぶつかり、両者が交錯する。
動きを止めたモンスターたちに対し、その壁をまるで魔法を使ったかのように抜けたランディはゆっくりとその剣を肩に担ぎ、つまらなそうにレイレを見つめる。
「戦争ごっこがしたいのでしたら、もう少しマシな指揮を学んでからにしてはどうですか? せっかくの兵がもったいないですよ」
ランディを襲ったモンスターたちがゆっくりと倒れ伏し、地面に血だまりをつくっていく。
対してランディはその血の1滴すら浴びることなく、余裕たっぷりといった様子だった。
それはモンスターを指揮する魔法を生まれながらにして得たレイレに対する最大限の侮辱の言葉であり、態度だった。
「その顔をすぐに絶望に染めてやる!」
「ああ、図星でしたか」
「うるさい、死ね!」
レイレの前方にいた全てのモンスターが、ただランディを殺すためだけに動き始める。
だがそんな彼らにいくつもの矢や魔法が放たれ、その動きは阻害された。
いつの間にか堀の向かい側に騎士や兵士たちが並んでおり、彼らが遠距離から次々と攻撃をしかけていたのだ。
もちろんそれらの攻撃には全体の進行を止めるような量も威力もない。
だが精鋭たる彼らが放った一撃は着実にモンスターの動きを阻害し、隊列を乱し進行の邪魔になったモンスターは周囲の仲間によって圧殺され、そうでなくても傷を広げ戦線にたどり着けなくなった。
「やはりですか。どうやら私は運がいいらしい」
そんなことを呟きながら、ランディは戦場を縦横無尽に駆け回りモンスターを斬り倒していく。
その圧倒的なまでの強さはとても人とは思えぬほどであり、それを援護する精鋭の騎士たちでさえ思わず見入ってしまいそうなほどのものだった。
「どうせすぐに疲れて死ぬわ。あんたの顔はぐちゃぐちゃに砕いてモンスターどもに食わせてあげる」
まるで半狂乱になっているかのような壊れた笑顔を浮かべながら大声で叫ぶレイレに、ランディはちらりと視線を向ける。
レイレは次々とランディを襲うようにモンスターたちをけしかけているだけであり、援護している騎士や兵士たちには気にもとめていないようだった。
「うまく逆鱗に触れることができたようだね。さて、これをいつまで続けられるか、なっ!」
襲いかかってきたブラッディベアの後ろ足を斬り落とし、ランディは雄叫びをあげ牙を向けるそれに目もくれずにランディは次の獲物に斬りかかっていく。
乱戦になってからランディは戦い方を変えていた。
怪我を負わせ、動きを阻害するだけに留め、その生命を奪うまではしなかった。
ランディが直接命を奪ったのは最初に倒した十数体のモンスターのみ。それにレイレは気づいていなかった。
ランディによって後ろ足を斬り落とされたブラッディベアは、残った3本の足でランディを懸命に追おうとするが、その動きは従前に比べ遅々としたものだ。
そしてそれはランディを今正に襲おうとするモンスターたちにしてみれば、邪魔以外のなにものでもなかった。
後続のモンスターたちに体をぶつけられバランスを崩したブラッディベアはつんのめって地面に倒れる。
その上をためらうことなくモンスターたちは踏み潰してランディに向かっていく。
しばらくした後に残されたのは、ピクピクと体を震わせるボロボロの姿になったブラッディベアであり、それはしばらく後に息をひきとる。
いくらランディが強いといっても、無限の体力があるわけがない。そしてそれは人であるランディ自身が誰よりもよく知っていた。
だからこそ最低限の動き、最低限の攻撃で、最大限の成果が残せるようにランディは考える。
一見無計画に見える集団から逃げる動きにさえ、追ってくるモンスターたちをいかに惑わせ消耗させるか、潰し合わせるかが念頭に置かれていた。
だからこそだろう。ランディの体力が尽きるよりも先に悲鳴をあげはじめたのは、その愛剣だった。
チルンの筆頭守護騎士であるランディの剣は、セイナット帝国でも指折りの鍛冶師によって鍛えられた秀作である。
まとわりつくモンスターの体液などにより切れ味を落としながらも、その剣は筆頭守護騎士の携える剣にふさわしい役目を果たし続けてきた。
だが連戦に次ぐ連戦、そしてメンテナンスもされずに振るわれ続けたことによる疲労は着実に剣の寿命を縮めていき、その微妙な違和感を主であるランディに伝えてきた。
ランディは剣を上段に構え、それを思いっきり目の前のモンスターに振り下ろす。
そして体を左右に別れさせていくモンスターの体にその剣を残したまま、大きく後ろへと飛び退いた。
「今よ!」
武器を失い、無手となったランディを見たレイレがつばを飛ばし、モンスターたちをけしかける。
まるで自らの身体を投げ出すかのように向かってくるモンスターたちの勢いは今まで以上のものであり、それがランディを飲み込むのを回避する手段はないかに思えた。
だがランディの後方から一斉に飛んできた矢と魔法の壁がそれを阻害する。
「ちっ、邪魔するんじゃないわよ。殺すわよ!」
「おやおや。これだけ兵力の差があるのに、私を殺せない理由を自分の無能以外に押し付けるつもりですか?」
「うるさい、うるさい! お前だって余裕なんかじゃないはずよ。その顔をすぐに絶望に歪めてあげるわ」
兵たちにモンスターをけしかけようとしたレイレを、堀付近にいつの間にか置かれていた無数の剣から1本を拾い上げたランディが挑発する。
レイレはその指を振り下ろす先を再びランディに向け、向かってくるモンスターたちとランディの命をかけた鬼ごっこが再開した。
同じようなやり取りが幾度も続く。
ランディは何体、いや何百体ものモンスターたちを切り捨てていく。周囲には幾多のモンスターたちの死骸が転がり、血溜まり以外の地面はどこにもなかった。
「なんなの。なんなのよ、あんた!」
「なにって、ただの弱い、普通の人間ですよ」
全身にモンスターの血を浴び、肩で息をしながらもその両足で未だに立ち続けるランディの姿に、レイレが信じられないものを見るかのように顔を歪める。
周辺に留め置いた3千に近いモンスターたちの群れはその3分の1を削られ、残る者たちもランディに対する怯えをレイレに伝えていた。
明らかに人間の域を超えている。いつの間にか握りしめられていたレイレの拳には汗が滲んでいた。
ゆらりとした仕草でランディがその歩を前に進める。その剣先から落ちるモンスターたちの血が、地面に静かに波紋をつくっていった。
彼我の距離はまだまだある。それなのにレイレはそのただ一歩にとてつもない寒気を覚えた。
それは本能からくる恐怖。
理性では、ランディの動きはだんだんと鈍くなってきており、このままモンスターたちをぶつけ続けるだけで勝てる。
その剣が自らを脅かすことなどないと理解しているレイレだったが、これまでの常識を覆す目の前の存在に対する恐怖は、レイレの意識を急激に塗り替えていった。
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