第13話 魔人は笑う
見渡す限り広がる防壁を眺め、その上から向けられる忌々し気な視線を嬉々として受けていた魔人の女、レイレは地竜に揺られながら舌なめずりをしていた。
「あぁ、頑張ったわね。必死になって準備したのね。約束を守れるなんてなんて偉い子なのかしら」
ヘイシア攻略に使った道具たちの処分を任せた顔が防壁の上にあることを確認し、その口の端が上がっていく。
自分をもてなすためにこれだけの準備をしてくれたのだ。かなりの労力と金を使い、その結果が崩壊であることを確信しているレイレにとって、その無駄な努力を愛おしいと思わずにはいられなかった。
「そうね。頑張ったあなたの綺麗な顔は大切にとっておいてあげるわ。ちょっと傷がついちゃったようだけど、それも味よね」
落ちていた小石を宝物だと言って愛でる子供のように、レイレはジェシカに向けて手招きする。
しかしジェシカから返ってきたのは、侮蔑の表情と冷たい視線のみだった。
その反抗的な顔が絶望に染まり、その表情のまま自分が手にすることを想像し、背中にぞくぞくとしたものを走らせながらレイレはゆっくりと周囲の道具たちを見つめる。
「さて、どうしようかしら?」
乗り物代わりに連れてきた地竜を除けば、周囲に集まったモンスターたちはゴミと呼ぶのもはばかられるような弱者ばかりである。
数が多ければそれなりの使い道はあるのだが、レイレの予想に反してその数は10万をわずかに超えた程度だろう。
「軍に日常的に狩られていたのかしら? 人の道具を勝手に壊すなんて悪い子ね」
そんな風に文句を言いつつも、レイレの表情は楽しそうなままだ。
レイレにとってこれは遊びに過ぎないのだ。
今回攻略できなければ、次はもっと準備をして。それでもダメなら別の手を考えて。
相手が抵抗してくれればくれるほど、強ければ強いほど攻略のしがいはある。
道具となるモンスターなどどこにでも手に入るし、どれだけ殺されようともレイレにとって全く痛くない。
長年乗り物として使っている地竜が倒されれば少し残念に思うかもしれないが、それだって移動に適した別のモンスターを従えればいいだけなのだ。
歩みを止めたモンスターたちの200メートルほど先には、飛び越えるには少々広すぎる堀がハの字状に広がっており、こちらを誘い込むように中央だけ通ることができるようになっている。
そこは防壁からなら攻撃が届く距離であり、進もうとすれば矢や魔法が飛んでくるのは明らかだった。
それが罠であることはレイレも十分承知している。
だがレイレが下した判断は……
「突撃せよ」
そう言って右腕を前に振ったレイレの指揮に、周囲のモンスターたちが雄たけびをあげながら進軍していく。
先頭を切ったのは、数が多く足の速いグリーンウルフたちだ。
まるで緑の地面が動いているかのような滑らかな動きで突き進む彼らは、ほどなく堀の中央部に進む。
それを待っていたかのように防壁の上から一斉に矢が放たれ、放物線を描いたそれは次々とグリーンウルフたちの体に刺さっていく。
グリーンウルフたちは矢を受けても動きを止めない。動きが緩んだ者は後続に踏みつぶされて死んだが、全体の動きには全く影響はなかった。
「思ったより矢が飛んでこないわね。何か策が……」
ドォン、という爆発音がビリビリと空気を揺らし、レイレにもその威力を伝えてくる。
舞い上がった土ぼこりがゆったりと風に流されて見えてきたのは、堀の手前にいたはずの大量のグリーンウルフが跡形もなく吹き飛ばされている様子だった。
自分にまで届いた土ぼこりを嫌そうに手で払いながらレイレは堀を見つめる。
先ほどの爆発は防壁の上からのものではなかった。
そうであるならば可能性として考えられるのは……
「堀の中に邪魔者がいるようね。ゴブリンども殲滅しなさい」
キキィーと騒がしい声をあげながら、ゴブリンたちが身投げするかのように次々に堀に飛び込み姿を消していく。
しばらくは争うような音が聞こえていたが、それは次第に小さくなっていきいくつもの爆発が堀の底で連鎖していく。
吹き飛ばされたゴブリンの体液や血が舞う様子を満足そうに眺めていたレイレだったが、その視線の先で堀から1本の腕が伸び、1人の男がはいあがってきた。
その男の腹は大きくえぐれており、その青白い顔からしてほどなく命が尽きるのは間違いない。
しかし男はそんなことを全く感じさせない力強い瞳でレイレを睨み、そして彼女に向かって駆けだした。
両腕で何かを抱えるようにして駆ける男を、周囲にいたグリーンウルフが噛みついて引き留め、ゴブリンの上位種である弓持ちのアーチャーが射貫いていく。
全身に矢を受けた男は成すすべなく仰向けに地面に倒れ、その体をグリーンウルフに噛み千切られながら、その右手を天に伸ばした。
「ジフンよ、感謝する!」
そう大声で叫ぶと同時に、男はその右手を思いっきり自らの胸に叩きつける。
そうして起こった大爆発は、男と共に周囲のモンスターを跡形もなく吹き飛ばし、その小さな肉片の1つがレイレの頬にぺたりと張り付いた。
肉片は赤い筋を残しながら重力に引かれるままに頬を伝っていき、そしてあご先からぽとりと地竜の背に落ちた。
レイレは目をぱちくりと瞬かせ、自分の頬に感じる湿り気を指でなぞる。
指先についた赤い液体をしばし彼女は眺め、そしてとても嬉しそうに笑うとそれを長い舌でなめとった。
「なんて素晴らしいのかしら。こんな無駄なことのために命を捨てられるなんて。あぁ、あなたの顔も集めたかったわ。きっといいコレクションになったでしょうに」
まるでそれが甘露であるかのように、美味しそうにレイレは指をなめとる。
そしてしばらく同じようなことをしてくる者がいないか期待して待っていたのだが、堀から聞こえてくるのは戻れなくなったゴブリンたちの情けない声だけだった。
レイレは名残惜しそうに口に入れていた指を出すと、防壁に視線を向ける。
堀を突破し先に進んだグリーンウルフたちが防壁に対して体当たりを続けているが、表面に傷を残すのみでほとんど効果はなさそうだった。
そのとき防壁の上からまかれた液体がグリーンウルフたちに降り注ぎ、そこに火のついた矢が放たれる。
その火はグリーンウルフたちの体毛に染み込んだ油に瞬く間に燃え広がり、周囲を火の海へと変えた。
地面に転がってもその火はなかなか消えず、大やけどを負ったグリーンウルフたちは最後の力を振り絞って防壁に突っ込み、そして次々に力尽きていく。
獣臭い焼けた油と鉄の匂いが辺り一面に漂い、風下にいるレイレの鼻にも届く。
死を濃厚に含んだ戦いの匂いに、レイレの顔が愉悦に歪んでいく。
「ゴブリンたち、突撃しなさい。アーチャーとマジシャンはその援護を。屍の階段を造るのよ」
グリーンウルフの突撃で防壁の強度を見抜いたレイレは、即座に破壊することを破棄した。
そして下した命令は、ゴブリンを突撃させ、殺された屍を積み上げて防壁を乗り越えるという命を命とも思っていないようなものだった。
「あの街はこれでだめになっちゃったけど、今度はどうするのかしら。また面白いことをしてくれると嬉しいのだけど」
同じように屍の階段で防壁を超えられ、そしてモンスターたちに蹂躙しつくされたヘイシアのことをレイレは思い出す。
願わくば同じ結末にならぬように、と魔王に対して祈るレイレの横を、ゴブリンたちはまるで1つの生き物のように一糸乱れず防壁に向けて突撃していったのだった。
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