雨中の進言
「な、なに……?」
俺達はじわりと後退した。非自然的なものを目にした動物のように、怯え、目を見開いて警戒した。
啓鐘者の腹にいくつもの亀裂が入り、黄金色の光が漏れ出していく。二本の鎌が自然と肩から離れ、抜け落ちる。それは、何かの誕生のようだ——という考えは、次の瞬間に覆された。啓鐘者は亀裂の入った腹を起点に、肉の袋を返すように裏返った。啓鐘者の内側には心臓を除き、内臓がなかった。その代わりに蛇のように白くなめらかな鱗があり、それが艶々と輝いて、息を呑むほど美しかった。
啓鐘者の胸には、赤い心臓が石座の上のルビーのように鎮座していた。背中からは六枚の翼が生えていて、まるで天使のような風貌だが、体内にしまっていたらしい真新しい四本の鎌が、場違いな邪悪さを持ってその両肩から生えていた。また、裏返った筈の頭部は先程までと全く変わらない形をしていた。
「ひ、ひえ……何あれ……どうしよう……?」
「大丈夫。どんな姿になろうが、敵は敵」
レイは剣を構え、啓鐘者を睨みつけた。その瞬間、啓鐘者は大きく羽ばたきをした。——嫌な予感がする。
果たしてその予感は的中した。啓鐘者の頭上で、砂のようなものが急速に集まり始めた。啓鐘者は辺り一面の泥の雨から、砂だけを吸い上げて集めているようだった。やがて砂は凝縮し、一つの巨大な岩——いや、隕石とも呼ぶべきものになった。
「あれは……!」
啓鐘者は音叉の音のようにうねる声で吠え、巨大な隕石を地上目がけて降らせた。レイは目を見開いた。
「浮遊魔法を!」
俺はレイに浮遊魔法をかけた。彼女を隕石の下に回り込ませ、隕石の落下する速度と同じ速度で降下させていく。
そうして隕石と向かい合ったレイは、その岩肌に剣を叩きつけた。すると隕石に亀裂が入り、バラバラに砕けた。しかしまだ欠片が大きすぎる。例え小さな欠片でも、ここから地上までの高さを落下すれば弾丸のようになる。
「粉微塵にするしかない」
レイは何度も何度も、何度も欠片に剣を叩きつけた。しかしそれでも粉砕が追いつかない。そうしている間にも、啓鐘者は次の隕石を生み出そうとしていた。次の次の、その次の隕石も。
「やっぱり未熟……でももうそんなの、耐えられない!」
「レイ、そんなに思い詰めちゃダメだよ!」
俺はレイに向かって叫んだ。レイは刃こぼれした剣を構え、苦痛に顔を歪めた。
「アンドロイドだって人間みたいなものでしょ!? 人間には欠落があって、未熟で当然だよ!!
間違えるのも、取り溢すのも当然のことだよ! 本来ならそんなことは気にせずに信念を貫くべきだ! でも、取り溢してはいけないものだって世の中にはある。だからもしそういうものがあったときは、俺が君を正しく諦めさせるよ!
今、君の目の前には二つの課題がある。地上の人々の為に隕石を砕くという課題と、啓鐘者を倒すという課題だ。本来ならどちらも達成するべきだけど、啓鐘者はどんどん隕石を生み出すから、それを全部砕いていたら君はすっかり消耗して、啓鐘者を倒せなくなる!
君はどちらか一方しか選べないんだ! 隕石を砕くか、啓鐘者を倒すか! どっちを優先するべきかは明白だよ! こうしてジリ貧に陥っている間にも、地上には瘴気の雨が降り続けている。レイ、隕石を砕くことを諦めるんだ!」
レイが二つの道を諦めきれないと言うのなら、俺は片方の道を選べと叫ぶ。絶対に取り溢せない方の道を選べと訴える。レイが情熱を燃やすなら俺は冷静に、レイの為の反対意見を言う。
それはブランブル帝国で得た教訓だった。レイの自主性を尊重したいからといって、反対意見を言わないことは悪いことだ。無条件の肯定は、かえって彼女を無力たらしめる。ならば俺は、全力で彼女に反対するべきだ。
最も俺は、懸命に課題に立ち向かうレイにさして協力できていない。こうして二つの浮遊魔法と防護魔法を維持し、彼女を守っているだけで、啓鐘者を倒したり隕石を砕いたりといったことに対してはほとんど無力だ。何も出来ない、しない癖に他人の挑戦を止めることが、どれだけ愚かなことかはわかっている。挑戦しない者の言葉が、どれだけ挑戦する者にとって腹立たしいか。
しかし、それが正しいかどうかは別の話だ。
「レイ、これだけ細かくしたら十分だ! 君は十分よくやったよ!」
「……それでいいのかな。諦めていいのかな」
レイの瞳に暗い影が落ちた。寂しさと諦めの入り混じった、何かを失った日の宵の薄暗さに似た、再生の気配を感じさせる深い影。
それにほんの一瞬でも見惚れてしまったことが間違いだった。
「——クラブ!!」
俺の視界に、赤が散った。




