80 守護獣アーニカ
クルニクエルは、孵化した時に最初に目にした相手を自分の命が尽きるまで守護する。そういう生き物なので「守護獣」と言われている。
アーニカが最初に目にしたのは、五歳の誕生日を迎えて数日経ったファミュルカだった。父であり、マザルガル帝国の皇帝であるフューエル・マザルガルから誕生日の祝いとして贈られたものの一つが、貴重なクルニクエルの卵だったのだ。
クルニクエルには決まった形がないので、どのような姿で生まれて来るか分からない。ファミュルカによって名付けられたアーニカは、二匹の蜘蛛を背中合わせでくっつけたような不思議な形だった。
その姿は、人によっては忌避感を覚えるようなものだったかも知れない。
だが、ファミュルカはアーニカを「かっこいい」と思った。五歳の女の子の両手より少し大きなアーニカを片時も離さず傍に置き、寝る時も一緒にベッドに入るくらいだった。
幼いファミュルカはお転婆で、アーニカはいつも冷や冷やした。
木に登っては落ちて腕を骨折したり、湖ではしゃぎすぎて溺れかけたり。少し年上の男の子に喧嘩を吹っ掛けたり。
まだ身体が小さかったアーニカは、ファミュルカが怪我をする度に悔しい思いをした。自分に力があれば、ちゃんと守れたのに。しかし、ファミュルカは一度もアーニカを責めたことはなかった。
父や母から怒られて落ち込んだ時は、泣いているファミュルカをどうやって慰めれば良いのか分からず困り果てた。そんな時、ファミュルカはいつもアーニカを腕に抱いて泣き疲れて眠ってしまうのだった。
ファミュルカが十歳になる頃には、アーニカは今と同じくらいの大きさに成長していた。自分の力と役割を十分に理解し、ファミュルカが常に視界に入る位置で待機して有事に備えた。
この頃から、ファミュルカはアーニカと遊ぶことが少なくなっていった。同じ年頃の女の子と遊ぶようになり、アーニカを邪険にすることもあった。
それでも、大きくなったアーニカは夜眠る時はファミュルカのベッドの下に蹲り、時々ではあるが、朝気が付くとファミュルカがベッドから下りてアーニカに抱き着いたまま眠っていることもあった。
ファミュルカとアーニカは姉妹のような関係になっていたのだ。
ファミュルカが十五歳を迎えた時、帝国とその周辺で干ばつによる酷い水不足が発生した。
緑豊かだった国土は赤茶けた砂に覆われ、農作物は枯れ果てて、深刻な食糧不足により帝国民に多大な犠牲が出た。
それから、反体制派による皇帝やその家族を狙った暗殺未遂が何度も起きた。暗殺者がファミュルカに差し向けられる度に、アーニカが悉く返り討ちにして来た。
あの日、庭園に虹色に光る不思議な膜が出現し、ファミュルカを追って世界を渡ったアーニカは、この知らない世界でも「守護獣」たらんとした。
無用な争いを避けるため、「この世界の人間を殺してはいけない」という命令に忠実に従い、ファミュルカを守ることだけを考えて来た。
元いた世界よりも、こちらの世界は敵意に満ちていた。見た事もない生き物に襲われることもあった。
それでも、中には善い人間もいた。匿ってくれた村の人々。そしてアイナ達。
アーニカは、背中の脚の半分を失い、身体中から血を流して意識が途切れそうになる中、ただ一つの事だけを考えていた。自分の命より、遥かに大切な人の事を。
ファミュルカを守らなければ。
「『天翼』!」
自分の目に槍が突き刺さったとき、その声が聞こえた。ここ最近、ファミュルカのもとへ良く会いに来てくれたアイナの声だ。
アイナは強い。自分が死を覚悟した、頭が二つある大きな生き物を倒した。
アイナは優しい。自分の傷を治し、ファミュルカの傷も治し、食べるものをたくさん届けてくれた。
銀色の長い髪を靡かせながら、アイナが自分に駆け寄って来る。来てはダメ。ここは危ない。
でも、アイナになら任せられる。この子なら、ファミュルカを守ってくれる――
「ファミュルカヲ、マモッテ……」
自分を抱き寄せるアイナとファミュルカの姿が重なる。ああ、そんなに泣かないで……ファミュルカが泣くと、どうして良いか分からなくなるの……
そこでアーニカの意識は途切れた。
* * * * * * * *
「『天翼』!」
アーニカの目から槍を引き抜き、止めを刺そうとする黒い騎士の姿に、アイナは思わず木の陰から飛び出した。
黒い騎士たちのアーニカへの攻撃は『天翼』に弾かれるが、アーニカは遂にその場に蹲って動かなくなった。
アーニカを五重に取り囲んだ、一番外側にいた黒騎士たちがアイナに気付き、剣と槍を向ける。
「何者だ?」
誰何の問いに答える気もないアイナは、アーニカの元へ駆け寄ろうとする。その前に騎士が立ち塞がり、問答無用で斬り捨てようとした。
「てめぇ、ウチの妹に何してんだ?」
神速で騎士とアイナの間に割り込んだヒューイが、双剣で剣を受け止めて弾き上げる。ガラ空きになった鳩尾に痛烈な前蹴りを叩き込み、騎士が後ろに吹っ飛ぶ。
闖入者の出現に、『天翼』を叩き割ろうとしていた騎士たちも手を止め、一斉にこちらを振り向く。
「うりゃうりゃぁぁぁあっすー!」
アイナの横をペネドラが並走し、走りながら三人の騎士を弾き飛ばす。その隙に、アイナはスキルを解除、アーニカのすぐ傍に膝を着いて頭を抱き上げ、再び『天翼』を展開した。
「お前たち! 我々は聖教騎士団だ! 我々を邪魔だてすることは真ルーナ教に牙を剥くことと同義だぞ!」
黒騎士の一人が『銀獅子団』を睨みつけながら叫ぶように声を上げる。
「へぇー。聖教騎士団っていうのは、いつから丸腰の少女を襲うようになったんだ? それがお前たちの『正義』か?」
アレスが抑えた声で問い返す。
「魔物一匹を取り囲んで嬲り者にしてるように見えたわ」
「ん、狂信者にしか見えない」
「アイナ様に刃を向けるとは、万死に値します」
聖教騎士団の名を出して、まさか言い返されると思っていなかった騎士が激昂する。
「貴様等のような者どもには、我等に課された崇高な任務のことなど分かるまいっ!」
その言葉に、アレスが獰猛な笑みを浮かべる。
「ああ、分からんね。分かるのは、俺たちの妹に手を出そうとしたことだ」
アイナはアーニカの頭を膝に乗せ、一生懸命に手持ちのポーションを振りかけていた。
「アーニカ! しっかりして!」
アーニカは、ただファミュルカさん達を守ろうとしていただけだ。この黒い騎士たちは弱くはないけど、双頭竜と互角にやり合っていたアーニカが本気を出せば敵ではない筈。
アーニカは、ファミュルカさんの「殺してはいけない」という命令を愚直に守っていたのだ。
だから本来の力を出せず、こんなに傷だらけになって――
「ファミュルカヲ、マモッテ……」
その時アイナの耳に、か細い呟きのような声が聞こえた。それと同時に、アーニカの記憶であろう、幼い頃からのファミュルカの映像がどっと流れ込んで来る。
「アーニカっ! ダメっ! 死んじゃダメだよっ」
アイナの両目から大粒の涙が溢れ出す。アーニカの記憶、ファミュルカへの思いが濁流のように流れ込み、心の奥底から慟哭する。
「…………イヤだっ! アーニカ、死なないでっ!」
アイナが叫び声を上げた次の瞬間、アーニカの身体が青と黒の炎に包まれた。




