76 ファミュルカ
洞窟の入口の横に蹲ったアーニカは、すぐに周囲に溶け込むように色を変えた。崖の茶色、草の緑色、土のこげ茶色。そこに居ると知らなければ気付かないくらいの、見事な擬態だった。
アイナはそんなアーニカを二度見して、慌ててテンの後ろを付いて行った。テンの前にはカルメイラと名乗った女性が洞窟の奥へ向かっている。アイナの後ろからフレデリクが警戒しながら続いた。
狭い入口を抜けると五十メートルくらいそのまま続き、徐々に広がってようやく少し広めの空間に出た。恐らく入口からは二百メートルほど離れているだろう。洞窟自体はまだ奥に続いているようだが、目的の人物はそこに居た。
「お越し頂きありがとうございます。ファミュルカと申します。このような恰好で申し訳ございません」
横たわった所から別の女性に背中を支えられ上体だけを起こした姿勢で、ファミュルカと名乗った女性がアイナたちを見上げる。真っ白なワンピースのような服装だが、お腹の辺りに赤黒い染みが大きく広がっていた。
「アイナです、ケガしてるんですか!?」
「アーニカを通して拝見しておりましたので、みなさんのお名前は存じております。ええ、ここへ来る途中で怪我を負ってしまいました」
褐色の肌は、心なしか血の気が引いているようだ。真っ白な美しい髪を長く伸ばし、金色の瞳は慈愛に満ちている。痛みを堪えるように、眉間には僅かに皺が寄っていた。
「フレデリクさん、ポーション持ってますか?」
「えっ? は、はい。ポーションと、ハイポーションを何本か」
「それ、私に売って下さい! 街に戻ったらちゃんとお支払いしますので!」
「いやいや、アイナ様に売るなんて滅相もない! どうぞご自由にお使いください」
そう言って、フレデリクは恭しくポーションを両手で差し出した。フレデリクの勘違いを利用しているようで胸がチクチク痛む。後でちゃんとお礼しよう。アイナはそう思いながらファミュルカの傍で膝を着いた。
「これ、ポーションって言うんです。傷を治す回復薬です。アーニカの傷には効きました。だからきっとファミュルカさんにも効くと思います」
アイナは、ファミュルカと、彼女の背中を支えている女性に向かって説明した。ポーションを持つ右手に小さな切り傷が出来ていたので、少しだけ振りかけて傷口が塞がる様子を二人に見せる。
「ね? こんな風に傷が治るんです。どうぞ、使ってください」
アイナは、ファミュルカを支えている女性に渡そうと手を伸ばした。その女性はファミュルカに目で「どうしますか?」と問うている。
「パム、有り難く使わせて頂きましょう。アイナさん、感謝いたします」
アイナはパムと呼ばれた女性にポーションとハイポーションを渡す。
「その青い方はハイポーションと言って、より効果が高い物です。傷が酷いようでしたらハイポーションから使ってみてください」
アイナが立ち上がると、パムはファミュルカをゆっくりと横たえた。余り見られたくないだろうと思い、アイナはその場から離れる。こちらを見ていたフレデリクの腕に手を添えて反対側を向かせた。
「ほら、テンちゃんも。見ないようにしないと」
「む? お、おぅ、そうじゃな」
そうしてアイナたちがさっき通って来た真っ暗な道の方を向いてしばらく立つと、喜びの声が上がった。
「おおっ! ファミュルカ様! 傷が塞がりました!」
「まぁ……痛みもありませんし、傷跡もなくなってしまいました。アイナ様!」
呼ばれて振り返ったアイナは、嬉しそうに傷一つないお腹を見せられた。ワンピースの裾を胸元まで捲り上げ、純白のおパンツもバッチリ見えていた。
アイナは振り返ろうとしたフレデリクの顔を慌てて押さえる。
「むぎゅぅ……ハイナひゃま?」
「まだ見ちゃダメです……」
「ひゃい……」
「ファミュルカさん、取り敢えず服を直して頂けますか?」
「あ、はい……申し訳ございません。嬉しくてはしゃいでしまいました」
アイナが首を回して確認すると、ワンピースの裾は降ろされていた。フレデリクの顔から手を離し、ファミュルカの方へ歩み寄る。
「ケガが治って良かったです。でも、失われた血が戻る訳じゃないので、しばらくは無理しないでくださいね」
「アイナ様には感謝してもしきれません」
ファミュルカとパムが深く腰を折った。少し離れたカルメイラも同じように頭を下げている。
「いえいえ、このポーションはフレデリクさんが持っていた物です。お礼ならフレデリクさんにお願いします」
「フレデリク様、ありがとうございます」
「それで、お話というのは?」
「はい。それではみなさん、こちらにお座り頂けますか?」
アイナたちは、ファミュルカが示した地面に薄い布を敷いただけの場所に座り、話を聞くことにした。
「私は、こことは別世界にある『マザルガル帝国』の第一皇女です。およそ半年前、城の庭園に現れた不思議な『膜』を通ってしまい、こちらにやって参りました」
ファミュルカの話では、侍女のカルメイラとパムを伴い城の庭園を散歩していた時、空中に虹色に輝く直径六メートル程の膜が突然出現したのだと言う。
好奇心からそれをすり抜けると、そこは石畳に覆われた見たことのない街。濃紺のローブを纏った数人の男性が驚きの声を上げてファミュルカに詰め寄った。金属の服を纏い、手に先の尖った長い棒を持った男たちも近付いて来る。
その後カルメイラとパム、更にファミュルカの守護獣アーニカまで現れ、その場は大混乱となった。
すぐに元の世界に戻ろうとしたのだが、その時には虹色の膜が消えていた。集まって来た男たちがファミュルカたちを捕えようとしたので、アーニカが殺さずに無力化し、そこから逃げたらしい。
「私たちは、ここよりずっと東に行った場所にある、小さな村で匿って頂いておりました」
ファミュルカは勿論、カルメイラとパムも兵士ではない。二人の侍女は皇女の護衛も兼ねているため多少の戦闘訓練は積んでいたが、その強さはこの世界の一般的な兵と同程度のようだ。
村に居る間、アーニカが護衛してくれていたが、特に襲われるような事はなかったそうだ。
「二か月ほど前、その村に『聖騎士』と呼ばれる一団がやって来たのです」
フレデリクによると、『聖騎士団』は、真ルーナ教が擁する世界最強の軍隊と言われている。ここクシュタニア公国の東にある「ルベリオ神聖国」の国軍でもあるそうだ。
「アーニカには、この世界の人々を殺してはいけないと命じておりました。そのためアーニカは本来の力を発揮できず、我々は何とか森に逃げ込むしかなかったのです」
広大な森を彷徨い、この洞窟を拠点としたのが二週間前。そして昨日、食料を探すために洞窟から出たファミュルカたちは、運悪く双頭竜に出くわして怪我を負った。怪我程度で済んだのはアーニカのおかげだ。
そしてアーニカは、ファミュルカたちから双頭竜を引き離すために単身で闘いながら、アイナたちの居る場所に辿り着いたという訳だった。アーニカは昨日からずっと双頭竜と闘っていたようだ。
「アーニカは偉い奴じゃのう」
「本当にそうだね……ケガが治って良かったよ」
それで、これからどうするべきか。
「フレデリクさん。異界人の目的は『水資源』と『第一皇女』でしたよね?」
「仰る通りです」
「『第一皇女』はファミュルカさんで……ファミュルカさんの国、えーと、マザ、マルザ――」
「マザルガル帝国です」
「そうっ! マザルガル帝国! そこは水不足なんですか?」
「はい…………深刻な干ばつに苦しんでおります。五年ほど全く雨が降っていないのです」
「五年も!?」
「はい。我が国だけではなく周辺国も……そのため、僅かに残った水源を巡って争いが絶えない状態です」
「なるほど……」
「あの……アイナ様?」
「はい? あ、私のことは『アイナ』って呼んでください。どうしました?」
「いえ、アイナ様はアイナ様です。あの、私たち以外にも『異界人』がこちらに来ているのでしょうか?」
アイナはフレデリクと顔を合わせた。ファミュルカは他の異界人の事は知らないらしい。アイナに代わってフレデリクが答えた。
「非常に好戦的な異界人の兵士たちが来ています。今のところは数十人といった数でしょう。ここより南に『アドジオン帝国』という大陸で一番大きな国があるのですが、その国が十二人の異界人によって降伏を余儀なくされた、と聞いております」
ファミュルカが息を飲み、自分の口を手で押さえた。
「何と言うことでしょう……それでは、多くの人々が……?」
「……はい。アドジオン帝国では数万人に及ぶ兵士と民が犠牲になったと聞きます」
ファミュルカは目を大きく見開いた。みるみる内に涙が貯まり、遂には溢れ出した。
「何てこと……」
アイナはファミュルカの様子を見ながら、異界人に対する認識を改めていた。既に薄々そんな気がしていたのだが、異界人にだって、この世界の人々と同じように善い人も居れば悪い人も居る。
争いに心を痛めているファミュルカさんは善い人だと思う。色々と手助けしてあげたいが、アイナだけで考えるには荷が重過ぎる。
あと十日程で『銀獅子団』のみんなが来てくれるはず。そして、異界人と最前線で闘っているクシュタニア公国騎士団の副団長であり、公爵家の人間でもあるフレデリクも居る。
みんなで知恵を出し合って助け合えば、きっと何か良い方法が浮かぶはずだ。もしかしたら、今起きている異界人の問題も丸く収まるかも知れない。
アイナは瞳に決意を漲らせた。
自分の仲間が間もなく最寄りの街に到着する。それからみんなでどうすれば良いか考えよう。アイナはそう告げて、持っていた食料を全て渡し、また明日必要な物を持って来ると約束した。
ファミュルカたちの事は仲間以外には誰にも言わないから安心して欲しい。最後にそう告げ、ファミュルカたちが力強く頷くのを確認し、アイナたちは街に戻ることにした。
「異界人」と一括りで悪者と決めつけちゃイカンのです。




