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星のアスクレピオス  作者: 面沢銀
後半パート  星まで届く本戦編
49/66

幸せな夢と辛い現実は同じ意味。

 その23

 幸せな夢と辛い現実は同じ意味。



「キィィィィィィィィィィック!!!」


 もはや小細工は無かった。

 単純明快な、防御される事も、回避される事も想定していない、破壊力を純粋に追求した勢いをつけた横蹴り。

 パンチングマシンで表現するなら、高スコアを叩き出すためだけに放つ大振りなパンチのキック版と表現すれば良いだろうか。

 俺の強化も相成って、実にいつもよりも三割増しのそのあさぎの蹴りを、やはり天童さんは受けきった。


 ファーストコンタクトでの天童さんの予想通りの展開という事か、その蹴りを鍛え上げた腹筋で受けきると、そのまま天童さんはあさぎの足首を掴む。

 そして大きく振りかぶった。

 人間を掴んだ事に使う表現ではないし、俺もこんな表現を使う事が来るとは思わなかったが、実に言葉の通りの意味なのだ。

 農家の人が桑を振りあげるかのように、天童さんはあさぎの足を掴んで頭の後ろに振りかぶり、そして当然のようにそのまま振り下ろした。


 バチンという大きな風船が破裂したような。

 いや、爆裂したような音が響く。

 あさぎが叩きつけられた場所はちょっとしたクレーターのように窪む。

 それだけで、俺は一瞬で血の気が引いた。

 尋常ならざる状況だ、天童さんが強いのは十分わかっていたが、ここまで規格外だとは思っていなかった。


 この一撃で終わったとさえ考えてしてしまった。


 だというのに、天童さんは続けて二回ほど同じように叩きつけた後、ハンマー投げのように片足を軸にして高速回転し遠方にあさぎを投げ飛ばしたのだ。

 放物線を描きながら目算だけど五十メートルは飛んだんじゃないだろうか。

 まるでアニメのように人間が飛ぶ光景に度肝を抜かれたが、その後の光景にも俺は度肝を抜かれた。

 終わったなんてとんでもない、その実はまだ始ってもいなかった。

 重力に引かれ、あさぎの体が地面に激突すべく落下を始める頃にあさぎは体を丸め猫のように手足の全てを使って着地したのだ。

 そのままクラウチングスタートの姿勢をとって、天童さん以外は目に入っていないかのように全力疾走する。

 二回戦、三回戦と激しい戦いが無かったから俺も把握しきれていなあったが、サバンナマスクと戦った時よりもあさぎは強くなっていた。


 天童さんはやはり逃げようとも避けようともしない、変わらずにそれを迎え撃つ姿勢。

 次なるあさぎの攻撃は。

 いや、もう攻撃と呼べるような技術は使っていない。

 単純な肩から突っ込む体当たり。

 さっきのような胴タックルですらなく、おかえしに弾きとばしてやるという強烈な意志を感じる一発だった。

 腰をすえて待ちかまえた天童さんも、さすがに全身を使ったそのシンプルな攻撃にたまらず吹き飛ぶ。

 五、六メートルほど地面を転がるも、やはりダメージなどないように立ち上がる。


「いいね! いいね!! いいねぇ!!!」


 楽しそうな天童さんと裏腹に、暴走しているというか、頭に血が昇っているというか、ゲーム的にいうならバーサーカーにでもジョブチェンジしたんじゃないかっていうくらトランスしたあさぎは立ち上がった天童さんにシンプルに殴り合いを挑んだ。

 文字通りの殴り合いだ。

 あさぎが一発殴れば、天童さんが一発殴り返す。

 骨の軋む音が響き、血しぶきが飛び散り、髪は乱れ、二人の体が踊る。

 とてもじゃないがお互いが格闘技の経験者とは思えず、だからといって喧嘩と呼ぶにも乱暴ではない。

 乱暴ではないとは思うが、二人が行使しあっているのは暴力のそれであって。

 二人がお互いに女性であって、その女性らしき美しさをかなぐり捨てているのがその野蛮極まりないこの状況を一種の様式美にまで昇華させていた。


「ごあああああああああああああああ!」


「ぼあああああああああああああああ!」


 人間の発声とは思えない二人の獣じみた雄叫びが響く、一種の均衡状態だった殴り合いも、少しずつ少しずつバランスが崩れていく。

 そもそも一見して均衡が成り立っているように見えてその実は違う。

 俺から見て天童さんは楽しそうに、無邪気に遊ぶように、あさぎに殴られても満面の笑顔を湛えたたままだが、天童さんに殴られる度に首勢い良く捻りあがり、ともすればモゲてしまうのではないかとほどの勢いでこちらを強制的に振り返らせる威力だ。

 俺が知ってる以上にあさぎは強くなっていたが、それでもまだ大きな差があるのだとその表情が物語っており、歯を食いしばったその鬼のような形相が天童さんとは対照的に一切の余裕が無い事を物語っている。

 

 繰り返される殴り合いに、ボールのように跳ねる東部、人間の頭はそんな衝撃に耐えられるほどに頑丈でもなければ柔軟でない事なんて子供でも知っている。

 だからこそ今この瞬間にあさぎが立っている事が、極論生きていて、なおかつ打ち返す事ができるのが不思議なくらいだった。

 そんな人知を超越した光景を、人の強さをまざまざと見せつけるこの情景に、俺も地蔵院さんも言葉を忘れて、呆けるように、惚れ込むように見入っていた。

 そしてとうとう均衡が崩れる。


 全てが上回っている、全てが覆せない、そんな戦力差の一つ身長差。

 その身長差を知らしめるような、高い位置からの振り降ろすようなフックがあさぎの頬を捕らえ、あさぎをついに地面に転がした。


「う"ろ"ぁ"」


 鈍く、低く、悲痛な短い悲鳴と共にうつぶせになったあさぎが足下に転がる。

 身体を丸め膝を折り、小柄な身体をさらに小さく丸めたそのあさぎの様子を見た俺はたまりかねてあさぎに手を差し出すもあさぎはそんな俺の手を見る事無く振り払った。

 そしてそのまま地面を力強く叩き、その音だけでヒィヒィと息切らせながらも口元を歪める天童さんにまだ戦うと意志表示する。


「でめぇ……ちづる……あにやってんだよ。みゃだ、あだじがでぼがじでぼじいどぎじゃねーんだよ。ぢゃんどみでろよ?まだだだがえる……あだじだぢはまだ、だだがっでるんだろ、めをぞむげるなよ。どんなにぼろぼろになっでもあだじばぶじぢょうのようによみがえっでだだがう。ぼねがおででも、ぢがいっでぎもなくなっでもどんなごとをじででもがつ!ぎあいをいれろよあいぼう!!」


 マウスピースも入れずに殴りあって、歯わ折れ、頬の内側は裂け、舌もズタズタで呂律も回っていない。

 それでもその瞳は確かに死んでない。

 満身創痍の身体を燃やす炎はまだメラメラと燃えている。

 それどころかさらなる力強ささえ感じる。

 天童さんに飲まれすぎていた。

 あさぎを信じると決めたから、だからこそいらない心配をしてしまっていた。

 とっくの昔に決まっていた覚悟を思い出させてくれた、なんて厳しい俺の相棒。


 さすが、俺の相棒だ。


 俺の手を振り払ったくせに自力では立てず、俺のズボンを掴み、ベルトに手をかけ、肩によりかかってやっとの思いで立ち上がるあさあぎ。

 二、三回呼吸を整えるように鼻だけで深呼吸すると、ベッと口と喉に絡まっていた血を吐き出す。


「あ"ーーー!……バザ子ざん優じいな、待っででくれだのが?でも気持ぢ悪いがら待っででもらっだ分、本当ば私がらだげどバザ子ざんがらでいいよ」


 言ってふらふらとおぼつかない足取りで天童さんに向かいながら、ここを殴れと右の頬を差し出す。


「大したお嬢ちゃんだ……」


 さしもの地蔵院さんも、敬意とも恐怖ともとれる言葉を漏らす。

 変わらず天童さんが笑う。

 その表情から滲む狂喜は既に快楽を通り越し、一種の神々しさまでかもし出していた。

 もはや言葉さえ無く、天童さんは遠慮も躊躇も戸惑いもなくあさぎの頬を打ち抜いた。

 ふらふらのあさぎがどうして踏ん張れるのかはわからないが、あさぎは耐え難きを耐え忍び難きを忍び、先ほどと同じように殴り返す。


 一発殴れば、一発殴り返される。


 約束などしていない決まり事。

 それは俺にも地蔵院さんにも伝わっているのだから、天童さんとしてはもはや聖書の戒律のように絶対的な縛りなのだろう。

 あさぎが倒れて幾度目かの打ち合いの後、それは訪れた。


 それは決まっていた事。

 だから気がつかない。

 何も変わらないように見えただろう。

 予期していなかったら俺も気がつかなかっただろう。

 地蔵院さんが『大したお嬢ちゃんだ』と表したが俺もそう思う。

 作戦ですらないが、それでも確かにあさぎの練りに練った作戦だった。

 油断を突いて倒しきれないなかったのだ、ならば天童さんは余裕は見せても二度と油断はしない。


 ならばどうやって活路を見出すか。

 ならばどうやって活路を乱すか。


 答えは裏切るしかない、肉体の隙が無いならば精神の隙を突く。

 精神の隙を作る。

 正々堂々、平等な拳による交互の攻撃。

 かけられた情けも拒否する、その絶対的な防人あさぎが自を磔るように強いたルール。

 いつからかというならば最初から、油断は無いはずだった天童さんに強制的に隙を作る。


 天災たる天童さんの。

 台風のように全てを正面切って巻き込む天童翼子の。

 文字通り、言葉の通り目を狙う。

 決められたパターンの中、あさぎが振りかぶったのは拳ではなく相撲で言う喉輪のような親指と人差し指を広げた鍵型の形。

 効果よりも必要なのは必中、いわゆる二本指を立てるメジャーな形ではないその形状の目潰しは、永続的な効果はないこそ広い範囲をカバーすがゆえに命中率が高く、あからさまな形ではないからこそ天童さんの反応を遅れさせ、的確に視界を奪う事に成功した。


「今だ千鶴!」


「ラス・アルハゲ!」


 呪文と共にあさぎの怪我が回復していく、そして見計らったようにケバルライの効果が切れる。

 おそらくあさぎはこれも見越していたのだろう。

 強化が切れるタイミングで天童さんは何かを起こすだろうと、チャンスを狙ったいたのだろうこそ起きうる油断とも言えない心の隙。

 さらに俺は重ねる。


「ケバルライ!」


 あさぎを再強化する。

 あさぎを最強化する。


 あさぎ本人が言ったのだ『不死鳥のように戦う』と。

 苦悶を意に介さないその様子は言葉の通りの意味でもあり、水島のようでもあり。

 そしてどんな手を使ってでも勝つと。

 例え卑怯と罵られようとも、狡い手段と軽蔑されようとも、文字通り身を切って、全身と全霊を磨耗して作ったチャンスなのだ。


「おおおおおおおおおおおおおお!!」


 気合い一閃。

 上は泥丸より下は会陰までの人間の芯にあたる五カ所、一カ所一カ所のどれもが完璧とらえたならば致死的な威力となりうる急所五カ所を、瞬きのも間に合わないほどの早業で的確に捉える。


「リゲーーーーーーール!!」


 そして正中線五突きからの。


「キィィィィィィィック!!!」


 天童さんの頭を掴み自身に引き寄せ顎に直撃させる膝蹴り、あえて表現するならば零距離リゲルキック。

 視界を奪われていた天童さんはそれら全てを無防備なままに受ける事になった。

 だけど相手は天童翼子、俺もそう思うのだからあさぎはもっとそう思うだろう。

 それでも倒し切れたとは思えない。

 吹き飛び大の字になって崩れる天童さんにあさぎが駄目押しに飛びかかろうとした時。


「フヒィーーーーーー! イーーーーハハハハハハハハハハハァ!」


 倒れたままの天童さんの高笑いが児玉した。

 隔絶された空間なのだから、風の動きなど無かったのにもかかわらず、だというのに空気が静まりかえったと錯覚する。


 いや、確信する。


 あきらかに空気が変わっていく、倒れたままで今もなお無防備の天童さんを中心に浸食するように空気が変異していく。

 ドロドロとした甘く冷たいそれは、固まり始めたセメントのプールにでも落とされたかのようだ。

 文字通り空気に飲まれた俺とあさぎ、横目に見れば地蔵院さんも怪訝な表情をしている。

 笑い声は長くは続かず、突如としてCDのトラックが次に移行したようにピタリと止まる。

 嵐の前の静けさという言葉があるが、あの言葉は不完全だと痛感する。

 その言葉だけでは嵐が来る恐ろしさを伝えるには不十分だ。

 笑い声が収まると同時に天童さんは上半身だけ起こす。

 足は伸ばしっぱなしで、姿勢だけなら座ったぬいぐるみのようだ。


「千鶴ぅ、ネギぃ。私は嬉しかったんだよ、私と正面からかち合う奴に久しぶりに会えたって事にな。だってそうだろう、会う奴会う奴全員がオジキを狙うんだ。そりゃ私よりかは戦い易いのかもしれないけどさ、あからさまにそうしたらただのワンパだろ。鉄板の作戦なんて、こっちからすれば攻略法がわかってるんだ。どんなに数を揃えても意味なんてないんだよ。名前は忘れちまったけど、前にも私に正面から挑んで来た奴がいてさ。ほら、ちょうど千鶴とネギと会った時に戦ってた奴。アイツだけが私に正面きって挑んできたんだ」


 木田成美。

 俺の通っていた大学の女王、そういえば接点こそ少なかったが彼女もまた天童さんとスケールは違えど絶大的な自信とエゴを持っていて。

 そして俺たち以上に勝ちにこだわっていた。

 そのどん欲なまでの勝利への執着の片鱗は俺達も少なからず味わった。

 せっかく知り合えた仲間を失う事になった。

 その時は怒りに身を震わせたが、今の俺達のような事を木田は最初から全員にやっていただけだ。

 今の俺達が木田を非難する事はできない。

 そんな姿勢でぶつかっていったからこそ、振り返ってみれば天童さんはあの夜、あんなにも嬉しそうだったのか。


「そんな奴がいるのが嬉しくて、あの時はすぐに本気で戦っちまったからさ。アイツはすぐにぶっ壊れちまった。反省したよ、だから今までダラダラ戦ってたんだけどさ。そうじゃねぇよな……二人にしたらそうじゃないし私にしてもそうじゃない……」


 天童さんはゆっくりと立ち上がる。

 モデルのように長い手足、メリハリのあるボディライン、子供のように屈託が無い笑顔を見せるのに、彫刻のように彫りのある美しい顔。

 絹のように光に煌めく、艶やかな長い髪をなびかせて、一度だけ俯き。

 そして顔を上げた。


「違うよな! 天童翼子を! 私を倒すって事はそういう事じゃないよな! だったら! 本気の気持ちには本気の私をぶつけるってのが礼儀だよな! それこそあの時以来の本気だ! 呪文は何だったかな!? そうだよ思い出した!!」


 この人は今、何と言ったんだ……?

 この人は今、何と言ったんだ……!?

 呪文を忘れてた、つまり彼女は木田戦以外で自己強化無しで戦って、そして危なげもなく勝っていたってのか。

 血の気が引く俺を煽るように、天童さんが地面を踏み抜き身構える。

 振り返ってみれば、今日初めてこの人はファイティングポーズを見せた。


「千鶴、あさぎ、おまえ等だって知ってるだろ? ボス級の相手は変身を(・・・・・・・・・)残してるんだよ(・・・・・・・)!」


 天童さんのラス・アルゲティの呪文と同時に張りつめていた空気が爆発する。

 彼女の一挙一動、呟く一言でさえ場の空気を変貌させる。


 場の空気が破壊される。


 少しでも優勢だったから、儚くも夢をみてしまっていたから、俺もあさぎも天童さんの本質を失念していた。

 それは木田成美を天童さんが破壊した時から何も変わっちゃいない。

 彼女は翼子。


 天災、天童翼子。


 対峙してしまったからには想いも、願いも、信念も、考えだろうが、作戦だろうが全て等しく破壊される。


「千鶴もあさぎも今までの狡い作戦に負い目や引け目や後ろめたさなんて感じる必要はないぜ、もともと反則裁定なんてスポーツめいたルールは無いんだし。それに反則をとるなら私の存在が既に反則だ(・・・・・・・・・・)からな(・・・)!」


 そう言って、笑みを無くした災害の権化はその背に入れた翼の入れ墨を実際に広げるように。

 翼子という名前の通り、飛翔するように彼女の方から俺達に飛びかかってきた。



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