水島麻理の抱える問題。
その5
水島麻理の抱える問題。
勝利の余韻なんてあるはずも無かったが、決着が着くと同時に俺達は強制的に別の空間に飛ばされた。
とにかく真っ暗だった。
黒く染まっているというのに、手元のテーブルも隣のあさぎの顔も座っている椅子もハッキリ見えた。
それはまるで違和感がなくて。
違和感がないからこそ、ともすれば関知できないが。この状況は違和感が無い事がとてつもない違和感である。
体重を感じるが同時に浮遊感を感じるというか、足をぶらぶらできるタイプのジェットコースターの肩のバーが無い感じだろうか。
これで真っ暗だから良いけれど、下に景色が見えたら超恐いと思う、テーブルに手を置けるくらいしか安心感が無い。
真っ暗なのも良いとは思ったが、好ましいわけではないし。
というかテーブルもテーブルというよりも、クイズ番組の回答者席みたいな感じだ。
「何これ?」
「わからん」
「薄情なパートナーだよね」
あさぎはもっとリアクションしろみたいな顔をするけど、さっきのあの光景を目にしていきなりつっこみ通常営業ができるわけないだろう。
サバンナマスク。
三ノ輪健太。
奪った命。
というか、俺もわかんねえよこの状況。
とにかく唐突すぎる。
瞬きしたら見通しの良い暗闇の中で浮きながら椅子に座ってるっていう状況に対応できる奴はいにだろ。
状況を正確に確認したというのに、何だか日本語が不自由になってるみたいなんだぞ。
「あら、あなた達も残ったのね?」
そんな折、聞き覚えのある声が隣から聞こえてきた。
隣の席まではおよそ五、六メートルくらいか。
顔は苦もなく確認できるし、声も強く張らなくても届くという距離。
そんな隣の席に、水島麻里は座っていた。
「……お久ぶりです」
知っている人が勝ち残っていた事に対して嬉しくも思ったけれど、素直に喜べないのは先ほどと同じように。
知った人と戦う事にまたなるかもしれないという事だ。
それはできるだけ避けたいのだけど、どうしようもない。
「浮かない顔ね、仕方ない事だけど」
同情する事も無く、また水島も同情できる立場ではないにしろなんとも淡々と答えた。
会話の流れを断ち切る言葉だった。
別に会話を続ける事もないから別にいいし、あさぎが黙ったままだからそれで終わりでいい。
「それでも良かったは知り合いに会えて、ところで私……」
と思ったら水島は言葉を続けた。
驚いた事に自分に対しても興味が無い水島が俺達に会えてよかったなどと優しい言葉をかけてくるとは思わなかった。
そしてさらに続ける。
「妊娠したのだけれども」
「「ええええええええ!!!」」
会話を続けざるを得ないとんでもない話題を水島は唐突に、天気の話でもするようにサラっと切り出してきた。
「どういう事ですかそれは!!」
「いったい誰の子なのよ!!」
俺達二人揃って嫁入り前の娘がそういう事になってしまった親みたいなリアクションをとってしまう。
明らかに水島の方が俺たちよりも歳上なあたり、それがなんとも滑稽だった。
こっちが大きなリアクションをとっているのに水島は澄まし顔で続ける。
「誰かと言われたら、それは間違いなく土田の子でしょうね。他に相手がいたわけでもないし」
あの暴力男、パンチやキックの実害だけじゃなくてそういう事もしていたのか。
本当に死んだ方がいい奴だった。
いや、死んでるけど。
むしろ俺達が殺してしまったのだけど。
それを正当化する気もないのだけど。
「幾度となく性のはけ口にされていたから仕方無いといえばそうなのよね、別にそういう事がこれまでにも無かったわけじゃないから気にしなかったけど。完全に私の油断だわ」
これまでにも無かったわけじゃないと、いつもの淡々とした口調で何事も無いように言ってしまうあたり本当にこの女の底が知れない。
知りたくもない。
そこは聞かなかった事にしよう。
「妊娠は問題ではないのだけど、土田が死んでしまった事が問題でね」
その言葉が耳に痛く、俺もあさぎも俯いてしまう。
水島の性格からして、俺達を攻めているわけじゃなく淡々と事実を伝えているだけなのだろうけど心に響く。
土田が良い父親になれたとは思えないが、それとこれとは話が違うから。
「だから良かったら千鶴君、あなた堕ろすのにつき合ってくれない?」
「は?」
また不意打ちだ。
不意な協力要請。
寝ていた時にバイト先から電話がかかってきて『人足りないから出てくれない?』と言われた時のようなリアクションをとってしまう。
事態はそんなものじゃない、そもそもまるで飲み込めない。
思わず助けを求めるようにあさぎを見てしまう。
「こっちみんな!」
薄情なパートナーだ。
「意味がわからないんですけど……」
「堕胎するには相手の男の同意が必要なのよ、付き添いという形でね。だから千鶴君が父親って事で着いてき……」
「いやいやいやいやいや!」
何をしれっと重すぎるお願いをしてくるんだこの人は。
この人にモラルとか感覚とか無いのか。
無いっぽいけど!
「断るの?別にいいけど、遠因はあなた達にもあるのよ?」
「あるかなぁ……?」
「ねぇよ!千鶴も弱気になるなよ!何を考えてるのあなたは!」
あさぎがキレた!
ありったけの想いをこめて、臆する事なく水島を叱りつけた。
温情のあるパートナーだ。
「そうだ、君も言ってやってくれ。考えなおせと言ってくれ」
ここで水島の陰になっていた、水島の新しいパートナーが口をはさんできた。
声は男性のもので、少し渋い感じのハスキーボイス。
「困ったわね、この人もそう言ってついてきてくれなかったから。そうそう、自分の話ばかりで紹介が遅れてしまったわね。私のパートナーの灰山秀隆さん」
「本来なら情が移るからよろしくなどと言わない方がいいのだろうけど、既に知り合いというなら是非も無いな。よろしく、灰山です」
「瀬賀千鶴です」
「防人あさぎです」
俺達が自己紹介をしたところで、灰山さんは俺達の事を水島から聞いていたようで知っていると前置いたうえで丁寧に頭を下げた。
「もし、会える事ができたらお礼を言おうと思っていたんだ。褒める事ではないし、君たちにお礼を言うのも変なのだけど、それでもね」
『は、はぁ……』と俺もあさぎも唐突なその灰山さんの反応に間の抜けた返事をしてしまう。
「良く水島さんの前のパートナーを倒してくれた、話に聞いたよ。男として、人として許せない男だ」
「……私は別に良かったのだけど」
水島さんはボソボソと否定的な意見を述べたけど、灰山さんの耳には入らなかったようだった。
きっとそこからの問答を幾度となく繰り広げたのだろう。
「なんだか複雑な気分です」
俺もあさぎと同じ気持ちだった。
普通の事……。
決して普通じゃないけれど、そうしなければいけなかった事をしただけで褒められるというのは何か不思議な気持ちだった。
「言ってて私も複雑な気持ちだよ」
そんなやり取りが何だかおかしくて笑ってしまった。
褒められない事を、誇れない事をしたばかりだからか。
そう言われて悪い気はしない。
健太君とサバンナマスクの事を考えると、だからといって気持ちが軽くなる事はないが。
「これからも辛い戦いになりそうだね、それにしてもこの状況は何なのだろう」
「そうですね、僕達にもサッパリ」
「アレ、千鶴の声ジャナイ?」
その時に向かい側からかすかに声が聞こえてきた。
続いて犬の鳴き声も。
向かいの十メートルくらい離れた同じような席にいつのまにかヨアンナさんとヌルハチが居た。
「ヨアンナさん!」
「ハチ!」
互いを認識し、良かったと胸をなで下ろす。
ここに居るという事は、二人も勝ちあがったっていう事だ。
「良かタ無事だたデスね!あとはサバンナマスクが居ればオールOKですネ!」
無邪気なヨアンナさんのその台詞に俺もあさぎも言葉に詰まる。
正直に話した方がいいのだろうか。
どうするべきなのか。
そんな事を二人で言葉に詰まって迷っていると、追いかけ、良く知る声が前の方から聞こえてきた。
「うぉっ!何だココ!暗ぇーーー!」
「喚くな、騒ぐな見苦しい。こんな事はもう慣れっこだろう。聞いてたんだからドンと構えていられねぇのか」
いつだってハイテンション、いつだって全開、いつだって最強、いつだって無敵。
そんな天童さんがこの場に現れないはずが無かった。
順当に勝ちあがってきた。
そして天童さんの登場を待っていたかのように、暗かった空間に明かりが灯った。




