第6話 希望の兆し
アメリカ中西部、ネバダ州の広大な砂漠地帯の地下深く。
かつては、あらゆる情報網から隠蔽され、最重要極秘施設として機能していた。
冷戦時代に建設された大陸間弾道ミサイルの地下格納庫群や司令部、あるいは核戦争後の国家中枢機能を維持するためのサバイバル拠点として設計されていた。
表向きは、かの‶エリア51〟に情報と関心を集中させつつ、真に重要な研究や異星技術の解析、そして有事の際の最終拠点としての機能は、全てこの施設に集約されていた。
地表は荒廃し、ネクロムの活動も活発だが、大規模な地下施設が核の冬の厳しい環境から人員と設備を保護している。
その堅牢性、規模、そして秘匿性は、人類最後の希望を託すに足る場所であることを示し、現在は対ネクロパルス菌研究の、最前線基地として確立されている。
──統合軍事研究拠点 セレス基地。
地球が混沌と変貌していく中で、南極のエコー・ベースから辛うじて救出されたエミールの運命は、希望と絶望の狭間で揺れ動いていた。
彼は、救助された罹患者の一人として、公共の隔離施設へと収容されていたが、その‶特異性〟から、セレス基地運用開始と同時に真っ先に、そして極秘裏に移送されて、厳重なBSL-4レベルの隔離区画に収容されている。
身体は日々、菌に蝕まれていく。手の甲に走る青黒い血管は全身へと広がり、時折、意識が混濁し、主任科学者ハーマン教授と同じような衝動に駆られることもあった。
「なぜ、僕は…まだ他の罹患者のような完全な変異には至っていないのか……」
彼の体内では、菌の侵食に対する微かな抵抗が起こっていたのだ。
隔離された病室の冷たいベッドの上で、エミールはかすかに意識を保ちながら、自身の使命を思い返していた。
彼は、ネクロパルス菌の最初の感染者であり、真の性質を解明した数少ない人間の一人。その発生源である「エレシュキガル」の存在を知る唯一の証人だった。
彼が、南極から持ち帰った、自身の研究データが詰まったモジュールの中には、菌の分解と再構築のメカニズム、そしてごく稀に存在する「耐性」を持つ遺伝子パターンに関する、彼の最後の解析結果が含まれていた。
核攻撃によって生まれた「変異ネクロム」の出現は、彼の仮説を裏付けるものだった。
「菌は…環境に適応し、進化する…。人類が生き残る道は…その適応と進化の法則を逆手に取り…菌を制御する。あるいは…共存する方法を……」
彼自身が変異の淵に立たされながらも、その知性は驚くほど明晰さを保っていた。
「菌が…変異させると同時に…‶次なる段階〟へと進化させようとしているのか…あるいは…ただ単に脳を侵しているだけなのか……」
意識の明滅を繰り返しながらも、菌の侵食が彼の脳に奇妙な変化をもたらし、通常ではアクセスできないような情報の繋がりや、新たな洞察を与えているかのようだった。
数日後、エミールの容態はさらに悪化した。
完全に会話することができず、うめき声を発するだけになった。
──残りの時間は…その前に……。
エミールは、やがて来るであろう自身の終焉を悟りながら、しかしその瞳の奥には、かすかな希望の光が宿っていた。
彼の発見した「耐性」の可能性。
それは、絶滅の淵に立つ人類が、再び立ち上がるための、唯一の希望。
彼の命が尽きようとも、彼が残した知識と、彼自身の変異の記録が、人類が生き抜くための、最後の鍵となるだろう。
エミールは、知らず識らずのうちに、人類の未来を繋ぐ、最後の架け橋となったのだ。
段階的なワクチン開発の試み。
基地の研究施設では、ネクロパルス菌の解析が続けられていた。
エミールが持ち帰った情報は、菌の分解と再構築のメカニズム、そして遺伝的な「耐性」を持つ者が存在するという画期的な発見をもたらした。
当初、彼の解析結果は狂気の発言として退けられたが、世界規模の惨状を前に、ようやく一部の研究者たちがその重要性に気づいたのだ。
この情報を基に、研究者たちは、ネクロム化を遅らせる、あるいは一時的に阻止するための段階的なワクチン開発に着手した。
最初のワクチンは、症状の進行をわずかに遅らせる程度の効果しかなかった。
それでも、それは人類にとって大きな一歩だった。
しかし、ネクロパルス菌は驚異的な速度で変異を続ける。
新たな「変異ネクロム」の出現は、既存のワクチン研究を常に後塵に追いやっていた。対抗策を見出すには、圧倒的に情報が不足していたのだ。
「このままでは、ジリ貧だ。」
基地施設内の研究ラボで、老齢の免疫学者イアン・リードが重い口を開いた。
彼は、元CDC (疾病予防管理センター)に所属し、パンデミック以前から国際的にその名を知られた、免疫学の権威だった。
エミールが南極から持ち帰った初期データ、特に「耐性遺伝子」の可能性にいち早く着目したもの、不特定要素が多々ある状況。
「ネクロムの変異速度は、我々のワクチン開発を遥かに凌駕している。奴らの真の力、そして弱点を解明するには、さらなる情報が必要だ。」
その情報とは、他でもない、ネクロパルス菌の起源、太古の宇宙船「エレシュキガル」の中にこそ眠っていた。
「あれには、人類の技術を遥かに凌駕するオーバーテクノロジーと、ネクロパルス菌のさらに深い秘密が隠されているはずだが…」
それは、希望への唯一の道でありながら、同時に最大の危険をはらむ、死の任務だった。
そんな絶望的な状況の中、一筋の光が差し込む。
「ドクター・イアン・リード教授、お話しがあります。」
そう言って姿を現したのは、アリア・ヴァンス。
容姿端麗、才色兼備のエンジニアだ。
彼女はかつて、わずか16歳にして「MITマサチューセッツ工科大学」に飛び級で入学。多分野における高度な知識を学び、数々の革新的論文を発表。
卒業後は「NASA」でシャトルや人工衛星、宇宙ステーション、惑星探査機などのシステム設計に携わっていた優秀極まる経歴である。
20代半ばにして、崩壊した文明の残骸から独自の技術を再構築し、不可能とされた通信システムやエネルギー源の復旧に成功してきた異才だ。
無秩序と化した世界で、彼女の非凡な才能は、崩壊した社会の残骸から、不可能と思われた技術的ブレイクスルーを生み出していった。
アリアは、冷徹な現実主義者でありながら、その瞳の奥には揺るぎない知性と、人類を救うという強い意志を宿していた。
この限られたリソースの中で、彼女の才能に一早く着目し、自らの懐刀として迎え入れた、イアンの先見の明もまた、膨大な経験量と知識で培われた類稀なる才能であろう。
「南極の『エレシュキガル』…その存在は、既に情報統制の隙間から漏れています。そして、解析された断片的なデータから、あの船には、我々の理解を超える『力』が秘められていると推測しています。」
彼女は、タブレット端末に表示されたエレシュキガルの構造図を指し示した。
「あの船のエネルギーシステム、あるいは防御機構…。それらを解析できれば、ネクロムへの対抗手段を確立できるかもしれません。しかし、現在の技術では、あそこまで到達し、船内に再侵入することは極めて困難です。」
イアンが、アリアの目を見つめた。
「君は、それが可能だと?」
アリアは静かに頷いた。
「私には、あそこへ到達し、船の機能を一部でも再起動させるための計画があります。ただし、実行には多大なリソースと、命を賭ける覚悟が必要です。そして、何よりも…エレシュキガルのコアに到達できる、優秀なスタッフが必要不可欠です。」
彼女の言葉は、絶望の淵にあった人類に、新たな、そして最後の希望の火を灯した。ネクロパルス菌の根源に迫り、そのオーバーテクノロジーを手にすることで、人類は初めて、反撃の狼煙を上げるチャンスを得るかもしれないのだ。
世界がネクロムと化した暗黒に飲み込まれる中、人類に残されたわずかな希望は、エミールの遺したデータと、そしてアリアの提唱する、エレシュキガルへの再訪ミッションに託された。
目指すは、南極大陸の深淵、国際科学調査基地 エコー・ベース。
「そういえば、この基地内に‶地球外機体〟のサンプルが諸々と在ったわね……
うん、‶旅の路銀〟として活用できそうね!」
「おい、アリア! 何を考えている!?」




