第三十話 貞操観念逆転世界の文化祭ほど最高なものはないね、マジで
笹草さんの案内で教室の並ぶ廊下を進んでいくこと数分。
「ここ、よ……」
一つの教室の前で立ち止まった笹草さんが僕に向かって振り返る。
ふむ、装飾はポップな感じだ……なんてところだ?
えぇと……って、えっ!?
「メ、メイド喫茶!?」
「えぇ……そうなのよ……」
まさか笹草さんのクラスもこれをやっているなんて……!
いやしかしもう僕は騙されないぞ……!?
どうせまた男が出てくるに決まってる……!
あれ? けどどうして急に笹草さんはクラスに案内してくれたんだろう?
見た感じ嫌そうだったんだけど、一体何が嫌で―――。
「い、いらっしゃいませ~!」
―――その時、僕は信じられないものを目にした。
もしかして、これって……。
「まさか……」
そう零す僕の言葉に、笹草さんは気まずそうに目を逸らした。
「えぇ……私たちのクラスは、男装するメイド喫茶なのだわ……」
そこに居たのは、教室の前で客引きをする女子生徒。
それもーーメイド姿の!!!
だ、だ、男装してメイド喫茶だって!?
い、一体どういうことを言っているか分からなくなるが、ここは冷静に考えよう。
要は、元の世界で言うところの、男子が女装してメイドをすること……の逆。
つまり? 女性が? 男装……ここで言うメイド服を着て、メイドをする……というコト?
いやいや、そんな都合のいいことが起きるワケ……。
「あれ!? 笹草さんじゃん! あ、えっと、か、彼氏さん……ですか?」
「イエッ、あの、えっと……」
……フム、どうやら僕は思い違いをしていたようだ。
確かに笹草さんを含め、藍原さんや燕尾先輩、そして日向さんと顔が良い女の子と接していたことは事実。
それによって、日常生活における女性に対して免疫が生まれたことも事実だが……。
―――果たして、メイドというのは日常的と言えるだろうか?
――――――――断じて、否!!!!!
きらびやかなフリルのついたメイド服。
太腿を露出した絶対領域。
可愛い声で聞こえてくる、お帰りなさいませご主人様♡。
そして何より、この世界では恥ずかしいことであることから生まれる、恥ずかしそうな表情。
―――――実に、良し。
「……心愛……行こう……ッ!」
「え、あ……うん……よ、陽太って、こういうの好きだったのね……」
……と、笹草さんが微妙な表情をしていたことに、しかし僕は、当然気が付けなかったのだった―――。
◆
男装メイド喫茶という前代未聞の響きに戸惑いながらも、僕は笹草さんを促しながら店内へと足を踏み入れた。
すると当然。
「い、いらっしゃいませぇ……ご、ご主人さま……♡」
そう出迎えてくれたのは、まさに逆転世界のメイドたち。
つまり、どの子も女子生徒!!!!!
制服の上から黒を基調にしたクラシカルなメイド服を羽織り、腰にはしっかりとエプロン。
ただの制服にしてはスカート丈はギリギリで、フリルは細かく丁寧。
そして絶対領域――つまり、太ももは……うん、あれは……あんま直視できないカモォ……。
「こ、こちらのお席へどうぞ、ご主人さま♡」
そんな幸せの最中、通されたのは花柄のテーブルクロスがかけられた丸テーブル。
メニューには文化祭らしい軽食と、手書きのドリンク名。
そのすべてに、口に出すのも恥ずかしいような言葉が並んでいたけど、正直そんなことどうだっていい。
――これはまずいな……ここまで破壊力が高いとは……!
僕は、貞操観念が逆転したこの世界に来て、様々な逆の価値観を体験してきた。
それこそされるはずのないナンパや遊びの誘い、水族館や祭りなんかもしてきた。
……だからある程度の耐性はできたと思っていた。
けど――これは別だ。
恥ずかしそうにスカートの裾を抑えたり、あまり視線を合わせようとしない彼女たちの姿は明らかに普段の女子とは違う。
ウム、何度も言おう。
――――実に良し、と。
「あ、あぁ……陽太? あの、さ、先に頼んでていいから……わ、私は少し、トイレに行ってくるわね?」
「え? あ、うん、わかったよ」
……と、僕がメイド姿の女の子に見惚れていると、笹草さんはその言葉を最後にすっと立ち上がり、足早に教室の奥にあるカーテンの向こう側へと姿を消してしまった。
あぁ……いや、それもそうか。
僕と一緒に来たってのに、僕がメイドの女の子ばかり見てたらそりゃ嫌だよなぁ……。
うわぁ、そっか、あまりの非現実に気が昂っちゃったけど、笹草さんに対しては失礼なことしたか……。
うん、帰ってきたら謝ろう……。
――――ま、まぁでも?
帰ってくるまでは見てても……いいよね????
僕は一人残されたテーブルで最初に運ばれてくる紅茶に口をつけながら、再び周囲のメイドたちに目をやる。
いや~~、なんていうか新鮮ってのが一番大きいんだよなぁ。
この世界に来てもう数か月経って慣れてきたころにコレだもんなぁ……うん、これは仕方ないんだ。
って、あれ……?
笹草さんはさっきトイレって言ってたよな……?
あれ? でも外じゃなくて教室の奥に……。
――と、僕が疑問を思い浮かべていたその時。
「お待たせ……しました、ご主人さま♡」
え?
その声に思わず振り返った僕は、心臓が一瞬止まりそうになった。
そこに立っていたのは―――なんと、笹草さんだったから。
え、嘘、いや、え、なんで!?
「こ、心愛……!? え、えぇっ!?!?」
つい声を上げてしまった僕に、彼女は視線を逸らし、顔を赤くしながらも、どこか意地を張ったようにスカートの裾をつまんでお辞儀をした。
「よ、陽太が好きだと思ったから……そ、そのっ、これは接客体験としてやむを得ず、であって……! べ、別に私がやりたいわけじゃないのよっ!」
うわああああああ!!!????
なんてことだ!!!!!
この世界でツンデレメイドが見れるなんて!?!?!?
いやいや、え!? いいんですか!?
と、というか、これ、どうリアクションすればいいの!?
フリルが揺れて……スカートが短くて、ていうかそれ見えちゃわない!?!?
なんか猫耳カチューシャついてるし……!!
―――あぁ、これは文句なしで天使と言っていい。
視線を上げれば、恥ずかしそうな彼女の顔。
視線を逸らせば、フリルと太もも。
どどどどどうすればいいんだこれは……???
「……ちゅ、注文はまだ……なのね。……えっと、その……な、なににするのかしらっ!?」
顔を真っ赤にしながら、メモ帳を持つ手まで震えてる笹草さんの姿は、まさに天使。
いや、女神とも言える。マジで。
え、チェキ撮影まだっスカ???
……ふむ、いや、しかしなんだ。
笹草さんのこの姿を見れたのは良いんだけど……
僕はメニュー表を見て、そこに並ぶ謎の名前たちに頭を抱える。
・萌え萌えオムにゃんDX。
・らぶりーキスみるく。
・ドキドキ♥︎お姫様セット。
おぉ……あまりのネーミングセンスに目がチカチカしてきた……。
その中でも比較的これはマシか……?
いや、気のせいか?
あぁ……感覚が麻痺してきた!!!!
「え、えっと……じゃあ、その……とろける恋のオムらぶプレート、で……」
言った瞬間、変な汗が噴き出した。
声が裏返らなかったのは奇跡といっていいと思う。
注文をした後、笹草さんを見たら、彼女はほんの一瞬だけ目を丸くし、すぐにクスッと笑って――。
「えぇ、了解なのだわっ!」
……と、なぜか満面の笑みで復唱してきた。
あぁ、なるほどね。
これは絶対にあとでネタにされるやつだ……!!
はぁ~~~~~~~!!!
深呼吸しよう、うん、深呼吸だ。
いや、しかしご主人様……んへ、あは、いや待てなんだこの笑い方はキモすぎるだろ!?
―――と、僕が脳内で葛藤していると、しばらくして、彼女が両手で丁寧にお盆を持ってやってきた。
あぁ、その姿は、もはや世界遺産に指定してもいいぐらい尊かったよ、マジで。
「お、お待たせ……しました。こちら、とろける恋のオムらぶプレートになります……」
あれ?
なんか笹草さんも恥ずかしそう?
さっきまで平気そうだったのに……。
「け、ケチャップでお絵描き、するのよね……な、なにか、描くのかしら……」
あ~~~!
なるほど、確かにそういうのあるのか!!!
そういえば、忌々しい記憶の奥底にある男たちによるメイド喫茶でもそんなことやってたな……。
う~~~ん、そうだなぁ、それなら記憶を上書きしてもらうか!
「じゃあ……名前、書いてもらっても、いい?」
「~~っ! べ、別にそれくらい……平気よっ!」
そう言ってスッとケチャップを取り、慎重に僕の名前をオムライスの上に描いてくれる笹草さん。
「よ、陽太……っと……。……う、うまく……書けたかしら……?」
たどたどしく書かれたその文字は、ところどころ曲がってたり、少し潰れてたりしたけれど――どんな高級レストランの料理よりも、僕の胸にグッときた。
あぁ、持ち帰りてぇなぁ~~~~~これ……。
家宝にしてぇなぁ~~~~!!!
……ん? あれ? 笹草さんどうしたんだろう?
まだ何かあるのかな?
―――そう、僕は先の忌々しい記憶を奥底に封じていたせいで、忘れていたのだ。
「……も、もえ……もえ……きゅ、きゅんっ♡」
――――っっっっっっっ。
もういい。
もう……いいんだ……。
ありがとう文化祭。
ありがとう笹草さん。
ありがとう逆転世界。
僕は、もう、死んでもいい……―――。




